第一話 文化祭 接触
剣術大会も終わり、文化祭に向けて各科、学年、クラスで準備が始まった。準備期間はそう長くはなかった為、文化祭前日の今日はどのクラスでも遅くまで準備に残ることだろう。
明日から三日間キャンベル王立学園の文化祭が始まる。
「シルバーさん、ちょっとよろしいかしら」
「「はい」」
声をかけられて振り向いたのは、ミルクティー色の髪を同じようにポニーテールに結んだ、同じ顔、一ミリの誤差のない同じ体型をした、そっくりな二人の少女だった。声まで瓜二つな彼女らだが、瞳の色だけが違うようで、右側の少女が緑色、左側の少女が青色をしていた。
「えっと、マニエラさんとサリエラさんよね」
「私がマニエラです、マリア先生」
「私がサリエラです、マリア先生」
緑の瞳が姉のマニエラ、青の瞳が妹のサリエラだった。
声をかけたのはマリアで、二人を手招きして廊下の端に連れて行った。周りに生徒はいるが、皆文化祭の準備で忙しく、三人のことを気にする人間はいない。いや、一人だけ。同じクラスで作業していたダニエルだけは、三人の存在を広い視界にしっかりととらえて注目した。
ダニエルもさりげなく廊下に出ると、廊下の掲示物を貼っていた同級生に話しかけ、馬鹿話をしつつマリア達の会話に耳をすませた。
マリアは最初は文化祭のことについて話していたが、雑談が続き、剣術大会のついでという感じにサイラスのことを話しだした。
「そういえばお二人はサイラス殿下の元婚約者候補でしたね」
「「いいえ、マリア先生」」
「あら、違うの?」
二人はクスクス笑って顔を見合わせる。笑い声までユニゾンで背中がゾクゾクする。
「「だって、まだ正式な婚約者は決まってませんもの」」
二人は頷き合い、初めて言葉を分けた。
「婚約者候補だったのではなく」
「今でも婚約者候補ですから」
二人は婚約者候補の打診は五年前に受けたが、婚約者候補を下りる打診は受けていないと。それに王族に限っては一夫多妻婚も可能なのだから、一人婚約者が決まったとしても、第二第三夫人の座もあるのだとのこと。
「まぁ素敵。何事も諦めなければ叶うものです。もしかして、二人が気落ちしてしまっているのではと心配していましたが、その様子ならば大丈夫そうね。先生は二人を応援していますからね。二人が同じ立場で一緒にいる為には必要なことですものね。貴族の夫人になれば、必ずどちらかは日陰者になってしまうから」
「「必ず、サイラス殿下のお嫁さんになりますから!」」
マリアは二人を一緒に抱きしめて、「私は二人の味方。忘れないで」と囁いて去っていった。二人も、そんなマリアの言葉に頷き、手を繋いで教室に戻った。
★★★
「……ってことがあったんです」
ダニエルは生徒会室で午前中に見たことを報告していた。
目の前では三人がけソファーに座ったサイラスとエリザベスがピッタリ寄り添いサイラスは常にエリザベスに触れており、エリザベスは恥ずかしがりながらもサイラスを拒否はしないようだ。右斜め前ではアナスタシアがラスティに給仕させながら優雅にティータイムを楽しんでいる。キャサリンだけが何もせずにダニエルの話を聞いているように見えるが、きっと頭の中では新作の化粧品開発のことでも考えているのだろう。
「マリア先生は、シルバー侯爵令嬢達にラス様との結婚を焚き付けていたのね」
聞いていないかと思いきや、やはり当事者だからかエリザベスはしっかりと聞いていたらしい。
「ベス、婚約式は来週だ。何も心配することはないよ」
サイラスがエリザベスの髪の毛を撫でながら、その一房を手に取りキスを送る。
それを横目で見ながら、アナスタシアは紅茶のカップをソーサーに置いて口を開いた。
「甘いですわ。あの二人のスタンスは昔から今まで変わっておりませんわよ。可愛らしいお顔で、蛇みたいに執念深いし、お互いの為という大義名分を振りかざしてえげつない嫌がらせも平気でする娘達ですもの。まぁ、死人が出る範囲ではありませんが、精神的にやられますわよ。シルバー侯爵も何をなさるかわかりませんわ。こちらは死人が出るレベルで」
「僕がベスに手を出させるようなヘマをすると?」
「あら、わたくしが、そんなこと許しませんわ」
アナスタシアの言葉にサイラスが眉をわずかに上げた。それだけで、冷気のようなものが生徒会室に広がる。ダニエルはブルリと震えたが、アナスタシアもラスティもシレッとしている。キャサリンはやはり意識は化粧品開発に向いているのか、全く気がついていないようだ。
「ラス様……」
エリザベスがサイラスの袖を引っ張ると、サイラスはすぐに甘い笑みを浮かべてエリザベスの頬を指先で撫でた。
「大丈夫だよ。僕が【、、】ちゃんとベスを守るからね」
シルバー侯爵や令嬢達も気にはなるのだが、エリザベスにはマリアの方が気になっていた。
マリアはエリザベスの元婚約者であり、ゲームの主人公のジルベルトの攻略対象者ではないのに、早くからジルベルトと関係があった。しかも、攻略対象者達と関係を持っている最中でも、コンスタントにジルベルトとの関係は続き、いまだに関係は途切れていないようなのだ。それに、先日の剣術大会の前に出される号外の差し替えに、マリアが関係しているのではないかという情報も入ってきていた。マリアが、なぜジルベルトがエリザベスと復縁するように動いたのかは謎だが、今回シルバー侯爵令嬢ズに働きかけたのも、何か思惑があってのことのように思われてならなかった。
「なるべく、ベスは一人にならない方がいいですね。特に明日からの文化祭の最中は。シルバー侯爵の黒い噂は商会でも有名ですから、ちょっと探ればボロボロ証言が取れると思いますよ。ダニエル、調べられますね?」
聞いていないと思っていたキャサリンもちゃんと聞いていたらしく、シルバー侯爵の事業について話しだした。
シルバー侯爵は隣国との繋がりが強く、隣国だけにしかない鉱石の輸入を独占して行っていた。その加工技術もシルバー侯爵領の特許技術としており、加工した鉱石の他国への転売もシルバー侯爵が一手に行っていた。他にも隣国からの輸出入はシルバー侯爵を通すことになっており、その際の仲介料が商会では問題となっていた。
「まぁ、これが表向きの侯爵の事業なんですが……」
「裏の事業もあるんだな」
キャサリンが濁した言葉をダニエルが引き継いだ。
「これは噂の域をでないんですけど、孤児などの人身売買を行ってるんじゃないかってのと、最近王都で流行っている薬、あれの出処がシルバー侯爵領が関わっているって噂も」
「薬?」
薬ならば何も問題ないのではないかと、首を傾げるエリザベスに、ダニエルは言いにくそうに続ける。
「身体によくない方の薬ですね。気分が異常に高揚して、思考能力が低下します。身体の感覚が鋭敏になり……身体に熱が籠もるそうです。正しく発散しないと脳が破壊されるという話もあります」
「つまりは媚薬ですね。しかも、かなり強めの」
ラスティが眉を顰める。
媚薬! エロゲーの世界ではメジャー過ぎるやつだ。確か、ゲームの中でも、最後の攻略対象者アナスタシアに対して使用していた筈。
ジルベルトに心を許した後のアナスタシアは、ジルベルトと際どい絡みまではいくが、なかなかその先に進まないのだ。エリザベスの好感度をマックスにして、さらにある隠れキャラを攻略すると、ジルベルトがアナスタシアに媚薬を使用でき、アナスタシアの快楽堕ちの本番映像が見れるらしい。
らしいというのは、各務愛莉として二回ゲームをエンディングまで進めたが、一回目は婚約者の好感度が上がりきらずアナスタシア攻略できなかったし、二回目は隠しキャラを見つけることができずに、本番に到らないエンディングで終了してしまった。それでもかなりドギツいエンディングではあったが。
今度こそは! と挑んだ三回目、ティタニア攻略後という中盤で愛莉自身のエンディングをむかえてしまった訳だ。
「まぁ、そんな相手を婚約者候補に加えておりましたの? 王家の諜報部隊は大丈夫ですの」
「シルバー侯爵の脱税などの話は把握していたが……。まぁギリギリ問題になる手前くらいのもので、大なり小なり他の貴族にもある話だから放置していたらしいが」
「人身売買や薬は最近ですからね。しかも、前者は平民の孤児ばかりだし、後者も最初は平民に広まりましたからね。最近は下級貴族の仮面舞踏会とかでも使われてるみたいですけど。まぁ、平民相手のことだから、王家の耳には入らなかったんじゃないですか」
「ダニー!」
投げやりに言うダニエルをキャサリンが嗜める。
「それじゃ駄目なんだ。泥濘んだ足場に、どんなに強固な建物を建てても倒れるだろう。平民を蔑ろにして成り立つ王家は、いずれ瓦解する。諜報部隊のネットワークを平民の隅々まで行き渡らせないとだな……」
サイラスがエリザベスに向けるいつもの甘やかな笑顔ではなく、キリリと引き締まった真剣なその表情に、エリザベスの鼓動が激しく高鳴る。
恋人がカッコ良すぎて辛い……。
「それなら、キャシーの商会とか商人の人達に聞くといいかもですね」
「え?」
ドキドキをまぎらわす為になんとなく言ってみたことに、皆の視線がエリザベスに集まる。
「ベス、詳しく」
「詳しくも何も……。商売って情報が命じゃないですか。売れない物仕入れてもしょうがないですし。ある程度情報操作もできないと、ヒット商品なんかも生まれないですよね。だから、商会には独自のルートがすでにあるんだろうなって思ったんです。それなら、わざわざ新しく諜報部隊のネットワークを広げるより、既存のネットワークに便乗できれば楽かなって。それだけです」
「確かに、商会には商会独自の情報網がありますし、商会同士は組合を通して繋がってます。組合同士もまた。他国の情報を取り入れた商品開発もしないとなので。ただ、情報は商人の命にもなりますから、ただで提供するかは……」
「ただじゃなければよろしいんじゃなくて」
「どこからその予算を? 過剰予算はあまりないと思いますが」
ラスティは去年の国家予算の決算報告書を思い出しながら、削れる場所を削り捻出できる予算を算出する。しかし、当該部門からの反発を考えると、気軽に減らせる予算もなく、商会が満足するような金額が出せるとも思えなかった。
「あら、脱税を見逃さなければよろしいのよ。脱税ができないような税制改革が必要ですわ。それだけでも十分な予算が取れそうですわね。そうね、仲介料の国家介入も良いのでは? 定額にしてしまえば良いでしょう。いっそなくして輸出入を国の管轄になさったら?」
「簡単に言うなぁ」
「そのくらい、簡単になさいませ」
アナスタシアはツンと横を向いて言い放ち、優雅な手付きで紅茶のカップを口に運ぶ。
「でも、仲介料を減額してもらえたら、商会はかなり助かりますよ。もっと安価に商品を提供できるようになるし、そうすれば販売促進にも繋がり紙幣が回る。商会も前向きに検討するでしょうね」
「……わかった。王国議会に議題として提出してみよう」
「その前に手回しはしっかりなさいませね」
サイラスはゲンナリしたように頷き、ラスティとダニエルと話を詰めだした。
前世の日本ならばまだ子供と認識される年齢の彼らが、真剣な表情で国家政策について話し合っている。
その横ではアナスタシアとキャサリンが新作化粧品の販売戦略会議を始めてしまい、エリザベスは一人紅茶をすすりお菓子を食べる。
明日からの文化祭の話は、その後いっさい出なかった。