序章
「へえ、お前がユリエルお兄さまの身代わりなの? ずいぶん貧相だけれど、ちゃんと誤魔化せるのかしら」
薄暗い部屋の中、長い銀髪の少女が、布張りの椅子に腰掛けてゆったりと足を組む。歳のころはまだ十二やそこらの子どもだというのに、年相応の愛らしさはなく、代わりに底意地の悪さだけがにじみ出ていた。
少女の前には、薄汚れ擦り切れた衣服を纏った少年が跪いている。わずかに癖のある前髪は彼の目をすっかり覆い隠していて、その瞳の色もそこに宿る感情も確かめることはできなかった。
ぱちぱち、と暖炉の薪が火の粉を散らす音だけが、ふたりの間の沈黙を埋めていた。
少年は、跪き俯いたまま、おずおずと口を開く。
「……命を尽くして、このお役目をまっとういたします、フェリシアさま」
瞬間、少女は組んでいた足の靴先で少年の頬を蹴り上げた。
衝撃に耐えきれなかった少年は、どさりと鈍い音を立てて柔らかな絨毯の上に倒れ込む。口の端がわずかに切れたようで、どす黒い血が絨毯の毛先ににじんでいた。
「お前のような薄汚い人間が、許可もなく私の名を口にしないでちょうだい」
少女は深い溜息をつきながら、たった今、少年を蹴り上げた靴の先を確認した。贅沢な宝石やレースが飾りつけられた、少女のお気に入りの赤い靴だ。くすみひとつなく磨き上げられたその先端には、よく見れば靴の赤より一段暗い液体が付着している。
「あーあ、汚れちゃったじゃない。責任とってちゃんと綺麗にして?」
よろよろと体を起こした少年の前に、少女はぴんと伸ばした靴先をちらつかせる。
少年は迷うように眉を下げた末に、自らが纏っているシャツを引っ張って彼女の靴を拭こうとした。
「ちょっと待って、そんなぼろ布で拭いたらもっと汚くなるじゃない!」
少女は少年の胸を蹴り飛ばし、苛立ちを露わにした。抵抗する力もなく姿勢を崩す少年を見て、長いまつ毛に縁取られた金色の瞳に嗜虐的な光が宿る。
「卑しい者らしく、くちづけて綺麗にしなさいよ。むしろ光栄なことでしょ? 名門レーゲン公爵家のひとり娘が、靴に触れてもいいって許可してあげているのよ?」
再び足を組み、少女はくすくすと笑いながら少年を見下ろした。
少年はのろのろとした動きで体を起こすと、目の前に差し出された赤い靴にそっと口を寄せた。そうして、かさついた唇で少女の靴に付着した自分の血にくちづける。
少女はその姿を見るなり、金色の瞳を輝かせて軽やかに笑った。その笑い声だけを聞けば、まるで庭に跳ねる子兎を見て喜ぶ純真な少女のようだ。
「ふふふ、命じられたら本当にやるなんて! 抗う力を持たない者って、本当に可哀想!」
少女はくすくすと笑いながら、おもむろに赤い靴を脱ぎ捨てた。乱暴に放り出された靴が、跪く少年の膝にこつりと当たる。
「お前がくちづけた汚い靴なんてもういらないわ。売ってお金にしてもいいわよ? ああ……一応今日から『ユリエル・ラ・レーゲン』になるのなら、そんな必要もないのかしら?」
葡萄色の絨毯の上に、抜けるように白い素足を乗せ、少女はゆっくりと立ち上がる。輝くような銀髪も相まって、少女は薄暗がりの中で淡く発光するかのように輝いていた。
「言っておくけれど、このレーゲン公爵家の次代の真の主人はわたくしよ。お前はわたくしの操り人形に過ぎないの。お兄さまの代用品だということを自覚して過ごしなさい」
少女は素足のまま、ふわりと踵を返す。雪の妖精のように神秘的な美しさを纏ったまま、少女は薄闇の中へ消えていった。
残された少年は、目の前に転がる少女の赤い靴をそっと拾い上げ、爪を立てるように握りしめる。そうして俯いたままそっと唇を歪ませて、自身を苛んだ残虐で美しい少女の名を口にした。
「フェリシア・ラ・レーゲン。……醜い名だ」
◇
「お嬢さま、フェリシアお嬢さま。お目覚めになってくださいませ。旦那さまがお呼びでございます」
「ん……」
控えめな女性の声に呼びかけられ、重たい瞼をゆっくりと開ける。身じろぎをすると、つるつるとした絹のストールがするりと滑り落ちていった。
どうやら私は、おやつの時間にお茶をいただいている最中に眠ってしまったらしい。軽く伸びをして、私をそっと起こしてくれたメイドの顔を見上げる。
「おはよう、メリル」
「はい、おはようございます、フェリシアお嬢さま」
メリルの優しい声を聴きながら、ソファーの上でそっと体を起こす。眠っている間に乱れてしまったのか、葡萄色のドレスの袖や裾が捲れてしまった。
そこには、幾つもの古傷とどす黒い痣が刻み込まれている。とっさにその傷を隠すように袖を伸ばせば、メリルが新しいストールを私の肩にかけてくれた。
「大丈夫です、お嬢さま。……このような傷を負わせる方は、もうこの世におりませんから」
労わるようにメリルが私の肩を撫でてくれる。メリルはまだ歳若い女性だけれど、早くにお母さまを亡くした私にとっては母か姉のような存在だった。
「そうね……そうよ、お兄さまは、もう――」
部屋に差し込んだ夕暮れの光の中に、俯く私の影が長く伸びる。
「メリル……私、どのくらい眠っていた?」
「ほんの半刻ほどでございます。……うなされておいででしたから、もっと早くお声がけしようか迷っておりました」
「うなされて……? そうよ、なんだか妙な夢を見たの。私は椅子に座っていて、お兄さまによく似た男の子と話をして――」
その瞬間、ぐらりと視界が揺れ動くような不快感を覚えた。思わずソファーの座面に手をついて、体を支える。そうでもしなければ倒れてしまうほどの眩暈だった。
「お嬢さま……!? お加減が優れませんか?」
慌てた様子のメリルが、私の体を支えてくれる。
だが、彼女の言葉に答える余裕もなく、私は先ほどの悪夢に思いを馳せていた。
……私、あの光景を夢で見る前から知っているわ。
頭の中をぐるぐるとかきまぜられるような眩暈の中、必死にその記憶を手繰り寄せる。
レーゲン公爵家。お兄さまの身代わり。ひどく残虐な公爵令嬢の私。
……そうよ、そうだわ。
思い浮かぶのは、分厚い一冊の本だった。
それは、私がフェリシアとして生まれる前に読み込んでいた恋愛小説――「ミアの初恋」だ。
「ちょっと待って……」
……ここは、『ミアの初恋』の世界なの?
前世など信じてもいないしこの本のこと以外は何も思い出せないが、そう考えれば妙にしっくりときた。受け入れた途端に、ぐるぐると頭の中をかきまぜていた眩暈も引いていく。
「お嬢さま……医師を呼んで参ります。珍しくお昼寝をなさったと思ったら……具合が悪かったなんて」
わずかに涙ぐみながら、メリルは扉のほうへ駆けて行こうとしていた。その後ろ姿に縋り、彼女の細い手首を掴んで引き止める。
「なんでもないわ。もう平気。……それに、行かなきゃいけないから」
じっとメリルを見上げて意思を伝えると、彼女はたじろぎながらも頷いた。
「承知いたしました。……お嬢さまは、旦那さまにどんな御用があるかご存知なのですか?」
ストールを羽織ったままソファーから立ち上がり、夕日の差し込む窓辺に近づく。背後からメリルの視線を感じながら、わずかに頬を緩めた。
「ええ……なんとなくね」
嘘だ。本当ははっきりとわかっている。
今日で、私の実の兄、ユリエルお兄さまが土砂崩れに巻き込まれて亡くなってから一週間。ここが、本当に「ミアの初恋」の世界なのだとしたら、今日はきっと――
――未来の悪役公爵、レンと初めて巡り会う日だ。
第一章
「ミアの初恋」は下級貴族の娘であるミアと、心優しい王太子との恋を描いた恋愛小説だ。身分を理由に他の令嬢たちから虐げられ、仲間はずれにされながらも一途に王太子への想いを貫き、王太子もまた何もかもを捨てる覚悟でミアの想いに答える純愛の物語だった。
多くの物語がそうであるように、この物語にも悪役が登場する。それこそが名門レーゲン公爵家の令息、ユリエル・ラ・レーゲンだった。
ユリエルは、実はレーゲン公爵家の血を引いていない、身代わりの子だ。本物のユリエルは十四歳のとき、領地から王都へ向かう道の途中、馬車ごと土砂崩れに巻き込まれて亡くなってしまう。公爵家の実権を分家に渡したくはない公爵は、ユリエルの死を伏せ、すぐにユリエルとよく似た少年レンを孤児院から引き取り、「ユリエル」として育てることに決めるのだ。
孤児の身の上から公爵令息に成り上がったレンだったが、彼を取り巻く環境は過酷だった。衣食住こそ何不自由なく保障されているものの、公爵はレンを「生かしておくだけでいい」と考え、ろくな教養を身につけさせなかった。事情を知っている一部の使用人たちは自分より身分の低いレンを蔑み、食事にいたずらをしたり、鬱憤を晴らすようにレンをいじめたりした。
だが、おそらく彼にいちばんの苦痛を与えたのはユリエルの妹、フェリシアだっただろう。
フェリシアは、レンをまるで下僕のように扱った。名を呼ぶことを許さず、自身はもちろんレンを「お兄さま」とは呼ばず、公の場でわざとレンが身代わりであることを仄めかしたり、彼を貶めたりした。時にはあの悪夢のように物理的にも彼を傷つけ、それを見て高笑いする、正真正銘の悪女だった。
公爵家はレンが心を閉ざし、世の中を憎むようになるには十分なほど過酷な生活環境だったのだ。
そんなレンは十八歳になったとき、公爵が病に倒れたことで若くしてレーゲン公爵位を継ぐことになる。そうして公爵として参加した初の夜会で、彼は運命の人に出会うのだ。
それこそが、下級貴族の娘、ミアだった。柔らかなくるみ色の髪と瞳、花が綻ぶように笑う姿。公爵家の人間たちとはまるで正反対の、どこまでも人を思いやり、誰かの痛みをわかちあおうとする高潔で清廉な聖女のような彼女に、レンは恋をする。
だが、そのときすでにミアは王太子の内緒の恋人だった。王太子は身分の低いミアを妃に迎えるため、彼女を高位貴族の養女として迎える準備を進めていたところだったのだ。
そこでレンは、実はレーゲン公爵がミアを養女として迎えようとしていたことを知る。レンはその計画を受け継ぎ、義妹というかたちでミアを公爵家に迎え入れることを提案し、レンを信頼していた王太子もそれを承諾するのだ。
レンの恋心に気づくことなく、むしろレンのことを自分の恋路を応援してくれている恩人だと考えたミアは、本当の妹のようにレンとの距離を縮める。それが、レンの執着心を強めていくとも知らずに。
そして、ミアが婚礼の準備のために公爵家を出る前夜、ついにレンは強硬手段を取る。ミアを別邸の奥深くに閉じ込めてしまうのだ。ミアは正々堂々とレンを説得しようと試みるが、当然監禁などという非人道的な手段に走った男が聞く耳を持つはずもない。
レンは、徹底的にミアを隠した。それこそ、レンがミアを監禁していることに勘づいたフェリシアを、躊躇いもなく殺して口封じしてしまうくらいには。
だが皮肉にも、フェリシアが殺されたことで彼女の忠臣のメイド・メリルが王太子に事情を暴露し、ミアは別邸から無事に救い出されるのだ。レンは未来の王太子妃をさらった罪で内々に処刑され、ミアの監禁事件は公には伏せられたまま、ミアと王太子は無事に婚姻を結ぶ。「ミアの初恋」は、そんな恋愛の物語だ。
……王太子であるリチャードの清廉な愛し方よりも、レンの病み方のほうが魅力的で、レンを応援する声が多かったくらいなのよね。
お父さまに案内された部屋の中、布張りの椅子に座ってぼんやりと考え込む。今でもこうして詳細を思い返せるくらいに、深く読み込んだ物語だった。
……私も、どちらかと言えば王子さまよりレンのほうが好きだったっけ。
監禁なんて手段を選んでしまうのは怖かったが、それくらいミアのことが好きなのだと思えば心の奥がくすぐられるような気持ちになったことも確かだった。
……だいたい、育った環境が酷すぎるのよ。あんな状況じゃ、愛し方が歪むのも当然だわ。
公爵には無関心を貫かれ、使用人たちにはいじめられ、義理の妹からは蔑まれる。広い屋敷の中に閉じ込められるようにしてそんな毎日を送っていれば、鬱屈としていくのも当たり前だった。
……特に、フェリシアの当たり方は酷かったものね。
先ほど思い出した悪夢なんて、ほんの序の口だ。作中のフェリシアは、もっと残忍で、レンの尊厳を踏み躙るような行いを何回も繰り返していた。
……どうしてあんなに執拗にレンをいじめるのか気になっていたけれど――。
そっと葡萄色のドレスの袖を捲って、腕に残る縛られたような痣を確認する。
この怪我を負ってからずいぶん経つというのに、嫌なことを刻みつけようとするかのようにすこしも薄れてくれなかった。
「ミアの初恋」では描かれていなかったけれど、なんとなく、作中のフェリシアがレンを下僕のように扱っていた理由はわかってしまった。
フェリシアはただ、取り戻そうとしていたのだ。自分がされたことをレンにもすることで、自分の傷ついた何かを埋めようとしていたのだ。
思わず、ぎゅっと自分の体を抱きしめる。目を瞑るだけでも蘇るつらいことを、ひとつひとつ必死に記憶の海へ沈めた。
……大丈夫、私は作中のフェリシアと同じことはしないわ。
ここで私が変われば、レンは救われるかもしれないのだ。真っ当な愛し方を知って、ミアと幸せになれる可能性だってあるかもしれない。
物語の世界ならともかく、ここは生きた人間のいる世界だ。私もレンも、ふたりして不幸になる道を選ぶ必要なんてない。
……すくなくとも、処刑なんてさせないわ。
ミアと結ばれるかどうかは、彼女の気持ちだってあるのだから無理強いはできない。けれど、レンが処刑されるほどの罪を犯す前に、義妹として止めることはできるはずだった。
……どうせ何もしなければレンに殺される運命なのだもの。命懸けで止めてみせるわ。
これからこの部屋には、お父さまに引き取られたレンがやってくる。
用意された椅子は私が腰掛けているこれひとつで、レンのことは床に座らせるつもりなのだろう。お父さまとしても、初めから私とレンを対等に扱う気がないのは明らかだった。
ぱちぱちと火の粉を散らす薪も、深い葡萄色の絨毯も、作中の描写通りだ。それでも暖炉から感じる熱や煙の香りは、今の私にしか感じられないものだった。
……そうよ、生きている世界なのだから、失敗はできないわ。
この出会い方が、私の一生を決めると言っても過言ではない。そう思うと、妙に緊張して落ち着かない気持ちになった。
……なんて言おうかしら? 初めまして? いきなりお兄さまと呼ぶ?
「お嬢さま、旦那さまがお話しになった『例の方』がいらしております」
扉の向こうから、慎ましいメリルの声がする。メリルをはじめ、公爵家に忠実な上級使用人たちはお父さまからレンをお兄さまの身代わりにすることを聞いている。秘密を共有できる相手がいることはありがたかった。
「わかったわ、お通しして」
私の一声で、音もなく静かに扉が開いていく。薄暗い部屋の中に、廊下の燭台の明かりがすっと差し込んだ。
その光の中から暗がりに溶け込むように現れたのは、わずかに癖のある黒髪をした小柄な少年だった。私よりふたつ年上の十四歳のはずなのだが、年下に見えるほどの痩せ細り方だ。レンが屋敷に来る前のことは「ミアの初恋」では詳しく描写されていなかったが、命を繋ぐのもやっとの生活を送ってきたことは火を見るよりも明らかだった。
レンは、まっすぐに私の前に歩み寄ると、絨毯に膝をついて跪いた。ぱちぱちと、火の粉が弾ける音がやけに響く。
……座ったままじゃ、顔が全然見えないわ。
するりと椅子から滑り降りて、レンの前に座り込む。扉の前で控えるメリルが息を呑むのがわかったが、今だけは見逃してもらおう。
突然に目の前に座り込んだ私を見てなのか、レンは警戒するように身をこわばらせた。その振る舞いは、私にも覚えがあるだけにちくりと胸が痛む。
これは、暴力をふるわれることに慣れている人の反応だ。よく見れば、やせ細った手足には新旧混在した痣がある。レンが、ここに来る前から、日常的に虐げられていた証だった。
そっと、彼の瞳を覆い隠すような長い前髪に手を伸ばす。手入れが行き届いていないのか絡まっている毛先をそっとよければ、私とよく似た金色の瞳が露わになった。
……なんて、綺麗なの。
色こそ私と似ているけれど、レンの瞳のほうがずっと鋭く、神秘的な光を帯びていた。
「きれいな目……夜空に浮かぶ月みたいね」
初めにかける言葉はたくさん用意していたはずなのに、不意に思いついた言葉が口をついて出る。はっとして、慌てて考えていた挨拶の言葉を口にした。
「お父さまから聞いたわ、ユリエルお兄さまの身代わりの子が来るって。初めまして、あなたがレンなのね」
にこりと微笑みかければ、無感動な金色のふたつの瞳がじっと私を見つめた。
お兄さまとは違う、静謐な目だと思った。お兄さまの瞳はいつも、私をどう傷つけようかと嗜虐的に輝いていたから。
……レンの持つ静けさが、こんなに心地いいなんて。
「これからは、あなたが『お兄さま』になってくれるのね。……ありがとう」
思わず、そっとレンの体を抱きしめる。
これは、レンに気に入ってもらうための言葉ではない。私の、フェリシアとしての本心だった。
彼を救おうなんて傲慢なことを考えていたが、ひょっとすると救われるのは私のほうなのかもしれない。
私の「お兄さま」という位置を、彼が占有してくれることが心の底から嬉しかった。
「お嬢さま……いけません、お召し物が、汚れてしまいます」
彼は掠れた声で狼狽えるように告げると、そっと私の肩に手を置いて距離を取った。そのまま私のドレスが汚れていないか点検し、念の為といった様子で肩の部分を払ってくれる。
「ふふ、お嬢さまなんて呼び方、変なの。今日からあなたは私のお兄さまになるのでしょう? 本当のお兄さまは私のこと、呼び捨てにしていたわよ?」
くすくすと笑いながらレンの顔を覗き込めば、彼はどこか気まずそうに視線を逸らした。
こうしてみると、幼いながらに恐ろしいほど目鼻立ちが整っている。そういうところは、お兄さまとよく似ていた。
「僕は平民です。……公爵家のお嬢さまを呼び捨てにするなんて、そんな恐ろしいことできません」
「でも今日から公爵令息だわ。うっかり公の場で『フェリシアさま』なんて呼んだら怪しまれてしまうわよ?」
聡明なレンがそんな失態を犯すことなどないだろうが、説得の材料に使わせてもらおう。彼とはなるべく距離を縮めたかった。
「私も今日から、あなたのことはお兄さまと呼ぶわ。ね? だからいいでしょ?」
にこりと笑いかけると、彼の金色の瞳がゆらりと揺れるのがわかった。
その瞳の奥に、知らない熱がかすかに宿る。
「フェリシア・ラ・レーゲン」
一音一音を噛み締めるように、彼はゆったりとつぶやいた。
「――美しい名だ」
瞳に知らない熱を宿したまま、ぞっとするほどに美しい微笑みを浮かべて。