第一章 再会
三か月前、目の前に突然広がったのはとても鮮やかな赤だった。
でもそれは温かで希望に満ちた色ではなくて、冷たい絶望に染まった色だ。
誰よりも愛しい人の命が消えようとしているその証。
誰よりも愛しい人だから殺してしまった。
先に手を離したのは自分の方なのに、裏切りを許すことができなかった。
何がいけなかったのだろう。
魔力がないのに魔法を使いたいと願ったこと?
結ばれはしない相手だと知らずに恋をしてしまったこと?
出会ったこと?
きっとその全部が許されざることだ。
だから今でも消えずにいる想いを抱え続けているのが、こんなにも苦しい。
青みがかった緑色の目を不安に揺らめかせ、シェリーティアは自分を見下ろす彼を見つめた。
何度も見つめていたからよく知っている、深い海の底の色にも似た穏やかな色をたたえていた瞳は、見たこともないほど暗く冷たい光を宿している。それは彼がシェリーティアの知らない人物に変わってしまったことの、何よりの証拠なのかもしれない。今にも心を凍りつかせそうな眼差しにシェリーティアは涙をこらえた。
(ばかね。嫌われているのは――憎まれているのは、最初から分かっていたことでしょう)
でも分かっているはずが、華奢な身は悲しみと心細さで固く強張るばかりだった。
白い肌の柔らかさや、首筋から腰へとなだらかに続くラインを確かめるように、自分のものではないしなやかな指先がなぞりながら滑る。
触れられるのに合わせて心の奥底に湧き上がる、狂おしいほどに切ない想いもシェリーティアは知っていた。
だけど今は、決して抱いてはいけないものだ。
「やめて、下さい……」
口先での拒絶は何の効果ももたらさない。
もちろんシェリーティアは最初、身体中で抵抗した。結い上げたプラチナブロンドの長い髪が乱れるのも構わず、みっともなく四肢をばたつかせて彼を拒んだ。
でも両手首を一つに束ねた状態で頭の上で拘束されてしまって、自由などいともたやすく奪われた。手首を押さえつけるものが王国一を誇る彼の魔力である以上、シェリーティアが太刀打ちなどできるわけがない。
一方の両足も、魔力で拘束こそされていなくても、彼自身の足で押さえつけるようにのしかかられては動かせなかった。
――そもそも、部屋で二人きりになることはおろか、顔を合わせることすら避け続けていたのに。
『母上ご自慢のシェリーティア・ブレンメル嬢にお茶を淹れて欲しい』
行儀見習いとして仕える王妃を通し、直々に言われては断れるはずもなかった。
そうして彼の――王太子の私室に招かれて初めて足を踏み入れた。
お茶を淹れるだけ。
だけど大きなソファーへと押し倒され、後はあっという間だった。夜会用のドレスとは違い、華やかさはないけれど仕立ての良いドレスを引き裂かんばかりの乱暴さで脱がされ、顕わになった素肌に愛撫を受けている。
「ヴィル……、フリード、……っ、殿下」
「前は特別な名前で呼んでくれたのに、もう呼んではくれない?」
慣れ親しんだ呼び名を口に出し、慌てて訂正したシェリーティアを見て彼の目が細められた。
深い海の水面にも似た、限りなく紺色に近い青。
穏やかに凪いでいた記憶だけが残るその目は、けれど今は静かな怒りを湛えているように見えた。
もっとも、力ずくでシェリーティアを組み敷いている時点で、それなりの怒りを抱いていることに違いはないのだろう。
ただそれを直情的にぶつけたりはせず、柔らかなふくらみへと手を伸ばして淡いピンクに色づく部分に触れた。
けれどシェリーティアを咎めるように、今すぐ触れて欲しいと言わんばかりに存在を主張する、いちばん敏感な突起には決して触れようとはしない。シェリーティアが少しでも身動【みじろ】ぎすれば弾みで触れてしまうほどの場所で、挑発するように円を描く。
「ん……っ」
人に素肌を触れられるのはこれが初めてでも、内にある心には初めての経験じゃない。愛撫というにはもどかしいばかりの刺激に焦らされてしまう。でも決して自ら求めてはいけないのだと、シェリーティアはきつく眉根を寄せてひたすらに耐えた。
「あ【、】の【、】場【、】所【、】にも、君は全然足を踏み入れようとはしない。今日は君が来てくれるんじゃないか。明日は初めて会った時のように可愛い寝顔を無防備に晒して眠っていたりはしないか。僕はいつも期待して足を運んではがっかりしていた」
そうして今も傷ついているような表情を向けられ、シェリーティアは思わず顔を背ける。
けれどふくらみをなぞる手とは逆の手によって頬を包み込まれ、視線を重ねるように向きを変えられた。なおもシェリーティアが視線を彷徨わせれば、諦念に満ちた溜め息が上から降り注ぐ。
「ねえティア。僕が思っていた以上に君は意外と薄情なのかな。あんなにも愛していると囁いてくれたのにね。それも全て、嘘だった?」
「ふ、あっ……!」
何の前触れもなく、親指が乳首を強めに弾く。驚きとわずかな痛みと、強い快楽に身体が跳ねた。
「いいね。君の声にはやっぱり、ひどくそそられる」
涼やかな青い目を楽しそうに細めながら、頬を包む手は首筋へと下りて鎖骨を撫でる。
綺麗な長い指で触れられていると思うだけで胸が甘く高鳴った。二度目なんてないと思っていたから二度目がある奇跡に泣きたくなる。
だけど。
彼はまた隣国の王女様と結婚するのだろう。
そう思うと、違う意味で泣きたくなった。
時間をかけて高められた熱も、瞬く間に引いて行ってしまう。
シェリーティアの胸の内など知る由もない彼はふくらみを両手で持ち上げ、大きな動きでゆっくりと揉みしだいた。
柔らかく弾む白い胸の頂上、肌を控えめに彩るピンク色の可愛らしい小さな突起が、彼の手指に擦られる度に色味と硬度を増して行く。シェリーティアは羞恥に頬を染め、乱れる呼吸と一緒にこぼれそうになる嬌声を懸命に押し殺した。
「覚えてるよ、ティア。君【、】の【、】全【、】て【、】をね」
左側の乳首を優しく指で転がすのと同時に、右側の乳首を唇で食【は】む。きつく吸い上げながら口に含み、甘噛みをする。熱い舌先でねぶられると下腹部が切なさを訴えた。とろりとした蜜が滴る気配を感じ、身体が強張る。
どうか、気がつかないで欲しい。そう願っても叶わぬ想いではあるのだろう。
「あ……。ん、あ……っ」
我慢しきれずに甘えた声がこぼれた。
シェリーティアも覚えている。
何も知らなかったから幸せだった。
知ってしまったから、耐えられなくて幸せを壊した。
立派な王様になって欲しかった。
幸せになって欲しかった。
彼の隣に寄り添えるのが自分ではないことに耐えられなくなったから、身を引いたくせに幸せを願えなくなって、壊した。
「そこは、だめ……っ」
「こんなにいやらしく濡らしているのに何がだめなの?」
とうとう彼の右手が足のつけ根を探る。
口とは裏腹に、身体は素直すぎるほど愛撫に応えていた。受け入れる為に蜜が溢れたそこは触れられただけで湿った音を響かせる。
シェリーティアはいやいやと首を振った。
今さら逃げようともがき出し、その拍子に敏感な蕾が指に擦られて鋭く息を呑む。
「そんなに欲しがらなくても、君のいちばん好きな場所も後で可愛がってあげるから急かさないで」
「ちが……っ。や、あっ、や……!」
「何も、違わないと思うよ」
舌で乳首への愛撫を続けたまま、足のつけ根に忍ばせた指でわざと淫らな水音を大きく立て、はしたなく濡れた花弁をもじっくりと愛でる。
小さな蕾を覆う包皮を器用に指先で剥き、蜜を塗り込めるように扱かれると足が震えた。その愛撫は、まだ慣らされていないこの身体にはあまりにも強すぎる刺激だった。一気に高みへと追い立てられ、快楽と不安が華奢な身体の中を駆け巡る。
「だめ、そんなにしちゃ、だめ……っ、あぁっ!」
「もういきそう? 相変わらず敏感だね」
秘められた場所は耳を覆いたくなるほどの淫らな音を奏で、シェリーティアを羞恥に苛【さいな】む。
それなのに自ら腰を揺らしてねだろうとするシェリーティアも確かにいた。必死に理性で抑えつけても、彼の指はたやすく絶頂に導いてしまう。
「やあぁ……っ! いく、から……っ。も……しない、で……!」
どうしたら良いのか見失って、シェリーティアは啼き続けることしかできなくなった。未開通の蜜口に指が差し込まれて引き攣れる痛みも、身体を知り尽くした指が一瞬の迷いもなくざらついた場所を探り当てて与える刺激によってかき消された。蜜口をさらにこじ開けんと増やされた指をも飲み込み、よりいっそうの快楽に身を震わせる。
「だめ、や、あっ、あぁ――!」
身体が燃えているかのように熱を帯びているのに、心はどんどん冷えて行った。
理由は分からない。
ただ漠然と、澱のような何かが心の中に降り積もって行くのだ。
「は……。はあっ、あ……」
荒く息を吐き、身体の中で燻【くすぶ】る絶頂の余韻を逃がそうとする。でも好きな人が触れてくれた証でもある熱を逃したくない気持ちもあって、なかなか消えてはくれなかった。
(嫌いになれていたら、良かったのに)
そうしたら熱を帯びることなく冷たいまま、やり過ごせただろう。
だけど想いは消えないでいるから、彼に触れられた身体が悦びに震えた。もっと愛して欲しいとねだるような嬌声をあげて媚び、はしたなく絶頂を迎える姿まで見せてしまった。
彼に愛してもらえることは――愛されてなんか、もうないのに。
「まだ終わりじゃないよ、ティア」
素肌を全て曝すシェリーティアとは違い、しっかりと衣服を着たままの彼が上着の襟元を緩めた。それからトラウザーズの前をくつろげ、雄々しく反り立ったものを取り出して自嘲気味に笑う。
「今度は、僕が初めてかどうか気にならない? 僕が誰と閨を共にしようと、もうどうでも良くなった?」
どうでも良くなんてない。
自分じゃない女性と閨を共にしたと思うと、それだけで泣きたくなった。今も思い出すだけで胸が締め付けられるくらい悲しかった。