契約結婚の相手の子を妊娠してしまいました

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先行配信日:2023/02/10
配信日:2023/02/24
定価:¥770(税込)
噂の〝悪女〟ロザリンドが嫁いだのは、子供ができないはずの公爵様。
期間限定の契約結婚解消後、まさかの妊娠発覚。ひそかに彼の子を出産することに。
――なんて可愛い赤ちゃん! 私、このままこの子と静かに暮らします!
しかし穏やかな母子の暮らしは、エミリオ様との再会で破られる。
輝くような銀髪、愛らしい笑顔。間違いなくこの子はあなたそっっっくり!
すれ違い夫婦が溺愛カップルに変わる。ムーンライト屈指の名作、大加筆。

成分表

♡喘ぎ、二穴、NTR、非童貞、などの特定の成分が本文中に含まれているか確認することが出来ます。

立ち読み
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「それでは三年間お世話になりました。これにて、わたくしは失礼させていただきます」
 机の上に紙切れを一枚置き、無表情だが優雅なカーテシーをして退出した彼女の背中をエミリオはただ見つめることしかできなかった。
(呆気ないものだったな……)
“仮初の夫婦”。それがエミリオと妻……だったロザリンドとの歪な関係だった。
 年少の頃に患った病のせいで子種がないと医者に宣告された公爵家唯一の子息と、数多の男を咥え込んだと噂の伯爵令嬢。愛も何もないお互いの利害が一致した三年限定の契約結婚のはずだったのだ。
「本当に離縁されるおつもりですか?」
 気遣わしげに聞いてくるのは、古くから仕えてくれている執事のゴードンだった。
「彼女はずっと修道院に行きたいと言っていた。肩身の狭い貴族の世界にいたくないと……解放してやるのが一番だろう」
 この国では離縁した女性は“傷もの”として腫れ物扱いされてしまう。修道院はそういった貴族令嬢の受け皿にもなっていた。
「ですが……」
「最初から愛など何もなかったのだ。私に子供ができないことがわかればもう無理に結婚しろと周囲も言わないだろう」
 エミリオはゴードンの言葉を無理矢理遮ると、何かを忘れるかのように一心不乱で書類にペンを走らせた。



「おえぇ…………」
 街中の様々な匂いと馬車の揺れに耐えながら、目的の修道院はまだかまだかと込み上げてくるものを必死に呑み込む。
 ――ロザリンドは念願かなってようやくこの日を迎えた。
 始まりはロザリンドの美しさに嫉妬した同年代の令嬢たちだった。
“夜会で数多の男たちを手玉に取り寝所に連れ込む淫乱令嬢”
 夜会には必要最低限しか参加していないにもかかわらず、噂は人の悪意の数だけ確実に広がってしまった。伯爵家はせめて早々に火消しをしようと、ロザリンドの縁談相手を血眼で探し、ようやく見つけたのがエミリオ・バーミリオン公爵だった。両家にとっては不本意な縁談ではあったが、不妊を証明して煩わしい縁談話から解放されたいエミリオと、実家から厄介払いされるロザリンド。
 ちょうどよかった《・・・・・・・・》。
 本来なら何事もなく、三年後に終わる白い結婚のはずが、なんの気まぐれか三カ月前にエミリオに一度だけ、そう、たった一度《・・・・・》だけ抱かれてしまった。
(大丈夫よ。エミリオ様はお子ができない体質だとご自身でおっしゃっていたし、これはただの体調不良だわ)
 ロザリンドは、自分に言い聞かせるように両指を胸の前で組んで神に祈った、 のだが……………………。
「おめでとう! ローザ! 元気な男の子よ!」
「はへぇ…………?」
 どうしてこうなってしまったのか。



 時は遡り、ロザリンドとエミリオの初夜。
「君を愛することはない」
 顔合わせも行わないまま、異例の早さで推し進められた婚姻で夫となった人物の言葉に、緊張で固まったロザリンドの体は一気に脱力した。
「これは双方に利点のある契約結婚だ。三年後に離縁するまではこの屋敷で自由に過ごしてくれ」
「利点……ですか?」
「あぁ、そうだ。すまないが私の事情は詳しくは言えない。訳あって結婚相手を探していたとだけ伝えよう。……だが、なんの瑕疵もない令嬢相手では流石にばつが悪くてな」
「お、お待ちください! わたくしにいったいどのような瑕疵があるのでしょう?」
 叫ぶように疑問をぶつけると、鋭い眼差しがロザリンドを射抜き、華奢な体を震え上がらせた。
「…………自由に過ごせと言ったが、屋敷に男を連れ込むようなことはしないでくれ」
 遠回しな物言いにロザリンドは確信した。彼もあの噂を信じているうちの一人なのだと。家族にすら疎まれたロザリンドの唯一の希望が、夫になるエミリオだった。縁談の話が持ち上がったとき、彼女は願ったのだ。噂に惑わされず自分自身をちゃんと見てくれる人と尊重し、愛し合いたいと。そして温かい家庭を築く。
 しかし現実は残酷だった…………。
「わたくしは神に誓って純潔でございます!」
「どうだかな」
 そう吐き捨て肩をすくめると、エミリオはさっさと部屋を出ていってしまった。
 ロザリンドは寝所に男を連れ込むどころか、手すら繋いだことがなかった。
 自分の何がいけなかったのか? 母親が亡くなった後すぐに後妻を迎えた父親にもっと理解を示せばよかったのか? それとも知人に紹介された男性に形式的でも笑みを浮かべて挨拶をしなければよかったのか?
 ――答えはわからない。

「どうして……うっ、……うぅ」
 残されたロザリンドは悔しさとやるせなさのあまり、唇を噛み、声を押し殺して涙を流した。



「坊っちゃま、爺やは悲しゅうございます」
 ゴードンは顔に刻まれたシワをより深くし、ハンカチを噛みしめながらこれ見よがしに嘆いている。
「爺やはあんな噂を信じるような子に育てた覚えはございません」
 お前は親かと言いたいが、あながち間違いでもないので否定できない。
 政略結婚で結ばれた両親の間にあったのは、貴族としての義務だけで愛などなかった。母親はエミリオを出産すると自身の役割は果たしたとばかりに、社交界で浮名を流した挙げ句、旅行先で愛人と馬車の事故で命を落とした。そんな母に父親は最後まで無関心を貫き、とうとう一度も妻を気にかけることがなかった。冷めきった家庭環境で育った幼いエミリオの心を守ったのは、ゴードンを始めとする使用人たちであった。
「坊っちゃまはよせ。それに、火のないところに煙は立たないというだろう」
 貴族の世界とはそういうものだ。些細な不興といえど買ってしまえばその話は面白おかしく脚色され、肥大化した噂が社交界をひとり歩きしてしまう。
「ご縁があって可愛らしい奥様を迎えたのです。一度きちんと向き合われてみてはどうですか?」
「馴れ合うつもりは毛頭ない」

 ――確かに初めて会った瞬間から彼女を美しいと感じた。
 
 少しウェーブがかった黒髪に垂れた大きな菫色の瞳。一見あどけない少女のようにも見えるが、彼女の纏う雰囲気はひどく妖艶でその不釣り合いさに一種の背徳感を覚えた。しかし、それと同時に男好きしそうな彼女の魅力にどうしても嫌悪感が募ってしまった。
(私の勝手な偏見なのだろうな)
 似ても似つかないはずの母の姿を彼女と重ねてしまうなんて。
「…………だが、こんな出来損ないの男と結婚させられた彼女には申し訳ないと思っている。離縁まではせめて不自由なく過ごせるようにしてやってくれ」
 昨晩はロザリンドに対してきつい物言いをしてしまったが、本当に瑕疵があるのは公爵家の体裁を保つためとはいえ重大なことを秘匿し、彼女を欺いたエミリオだ。
「奥様のことは承知致しました。しかしたとえ旦那様であっても、我が主への侮辱は許せません」
 先ほどまでの態度を引っ込め、真剣に告げる執事の態度に思わずエミリオは眉を下げてしまう。
 六歳の頃、原因不明の高熱を出して一週間生死を彷徨ったせいなのか、成人を迎えた時に医師に告げられたのは自分が種無しということだった。
「三年……三年間だけだ。その後は、親族から後継として養子でも迎えるとしよう」

 ――こうしてエミリオとロザリンドの歪んだ夫婦関係が始まったのだった。



 ロザリンドは公爵家の豪勢な晩餐を食べ終えると、ナプキンで口を拭い、壁際に控えていた給仕係へと振り返る。
「今日の食事もどれも本当に美味しかったわ。料理人たちにお礼を言っておいてもらえるかしら」
 返事の代わりに深く頭を下げる勤勉な姿に、労うように優しく微笑んだ。
「部屋に戻るわ」
 そう一言告げると、すっかり通い慣れた自室へと足を動かした。

 ――結婚二年目にロザリンドは、悲観するのをやめた。有り体に言えば開き直ることにしたのだ。
 最初の一年は、夫となった人物の誤解を解こうと努力したが、無下に拒絶され悲しみにくれた。
 夜な夜な枕を濡らす日々のなか、ある時ふと気づいてしまったのだ。
(なんだかすべてが馬鹿らしいわね)
 こちらがいくら歩み寄ったところで、目線一つでロザリンドを殺すかのように睨みつける仮初めのの夫も、“帰ってくるな”と一言書かれた手紙だけを寄越した実家にも、ほとほと愛想が尽きてしまった。今までいったい自分は彼らに何を期待していたのだろうか?
 いっそ真実は違うのだと、泣き叫べればよかったのかもしれないが、それは伯爵令嬢としての矜持が邪魔をし、結果として彼女は孤立した。
(もう誰にどう思われたっていいわ。貴族のしがらみなんてうんざり。わたくしはわたくしらしく生きるの)
 それから、令嬢がするにははしたないとさせてもらえなかった料理や乗馬などを夫に言われた通りに《・・・・・・・・・》自由に行った。
 使用人たちは反対しなかったし、ここには口うるさい父親も、ロザリンドを蔑む義母もいない。いるのは無関心を貫く夫だけだった。

(この生活もあと三カ月ほどで終わりだわ)
 その後の生活はどうしようか、帰る実家もないので平民としてどこかで穏やかに暮らせないだろうか。未だ見ぬ未来に思いを馳せていると、屋敷内がガヤガヤと騒がしくなっていることに気づく。
「いったいなんの騒ぎかしら?」
「なんだいたのか」
 訝しげに周囲を窺っていると、普段まともに顔も合わせない夫と遭遇し、内心でため息を吐きながらも背筋を正す。
(何がいたのか、よ。いるに決まってるじゃない!)
 鋭い目つきでジロジロと不躾なまでにロザリンドを観察するその顔は、普段より若干紅潮しているようにも思える。
「旦那様、お帰りなさいませ」
「…………お前は外見だけは美しいな」
 世辞なのか皮肉なのか突然言い捨てられた言葉の意味を理解しきれず、呆然としていたロザリンドの細い手首をエミリオのゴツゴツとした手が掴む。
「っ、な! なんなのですか!?」
「いいから来い」
 引きずられるように連れてこられたのはエミリオの寝室だ。
 投げるように寝台へ沈められたロザリンドは、ぞんざいに扱われた怒りを言葉で発しようとしたが、それが叶うことはなかった。

 ―――初めてした口づけはとろけるように甘くて、でもそれでいてどこかほろ苦かった。



「あぶぅ~」
 ゆりかごに寝かされた小さな命がこちらにあどけなく微笑んだ。
「あ! 笑った! この子っていつ見ても独特な顔で笑うよね」
「…………本当に誰に似たのかしら」
 赤子とは思えないニヒルな笑い方をする我が子を見て思い出すのは、いつもどこか不機嫌そうな顔をした目つきの悪い夫だった人物だ。もっとも彼の笑った顔などついぞ見られなかったが。
 ロザリンドは本来向かうはずだった遠方の修道院に悪阻で辿り着けず、結局未だに公爵領に留まっていた。
 途中で馬車を降り、しばらく歩いたところでとうとう我慢の限界を超え、建物の物陰に隠れて吐き戻しているロザリンドに声を掛けてくれたのが、ベティだった。
 ロザリンドより少し歳上の赤い髪を肩口で切り揃えた彼女は、女だてらに一人で両親から受け継いだパン屋を切り盛りしているという。すぐに妊娠を見抜いたベティは、深く詮索することなく訳ありのロザリンドを雇い入れ、パン屋の二階の空き部屋に住まわせてくれたのだ。
「ちょうど人を雇おうと思ってたの。こんだけべっぴんさんなら客足も増えて大儲けできるわ!」
 そう言って豪快に笑う彼女に、ロザリンドは心から感謝した。
「本当に今日から店に立つの? まだ休んでていいんだよ?」
「充分すぎるくらいに休ませてもらったし、裏方の仕事ばかりでは体が鈍ってしまうわ。それにエリックも三カ月近くになって、ずいぶんとしっかりしてきたもの」
「絶対無理はしないって約束できる? ちょっとでもつらそうならローザもエリックも部屋に戻すからね、わかった?」
「いつも本当にありがとう、ベティ」
 すっかり平民としての生活にも慣れ、口調も少し砕けたロザリンドは長い黒髪をシニヨンにすると、その背に紐で子供をしっかりと固定した。手慣れた様子で店の前に看板を出すと背後で可愛らしい声が聞こえた。
「あぅ~あ~」
「ふふ、お利口にしていてね。お母さんあなたのために精いっぱいお仕事頑張るわ」

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