第一章 モブの役目は終えました
「思ったより時間がかかってしまったわ」
窓から差し込む光を浴びながら、南館にある音楽教室へと先生に頼まれたプリントを運び終え北館にある教室に戻るなか。
肩をほぐすように首を動かすと、白のスタンドフリルシャツに同じく白のリボンの結び目が解けかけているのに気づき直します。
ついでにライラック色のジャケットスカートを軽く叩【はた】くように清掃魔法をかけると、ふわっと空気が舞うように自身を包み、魔法が成功していることに小さく笑みを浮かべました。
私、シルヴィア・ロードウェスターは、王都学園に通うのが今年二年目となる北部出身の伯爵家長女です。
伯爵家といっても贅沢ができるほど資金が潤沢にあるわけでもなく、むしろ乏しいほうなので衣装も限られています。
その分身嗜みは気にするようにしているので、洗濯回数を減らせるこの魔法は傷みも減りとても便利で重宝しております。
動いた拍子に頬にかかった自身のキャラメル色の髪を耳にかけ、窓の外を眺めます。
穏やかな陽気はほっとするほどとても気持ちがいいですが、そろそろかとちょっとした気がかりを思うと、ついつい溜め息を漏らしてしまいます。
「早く終わってほしいのですが。あと、ティアが無茶をしていないといいのだけど」
それと同時に気がかりを植え付けてくれた領にいる妹を思い、ゆるりと視線を下げます。
ここ、ハインリヒ王国の南部に位置するこの王都学園は、貴族が通う魔法学園です。
人は生まれた瞬間から魔力があり、その魔力に脳内でイメージを流し固めると魔法が発動し使うことができます。
ありがたいことに私は魔力量も多く勘も悪くないほうです。そのため、魔法の扱いは得意で、先ほどのような簡単な魔法は造作なくこなせます。
人によっては言葉にして魔法を繰り出す者もいますが、私のようにイメージだけで魔法を使う者のほうが圧倒的に多いです。だいたいが十二歳前後で魔力が安定するので、それくらいから本格的に練習し魔法を習得していきます。
持って生まれた魔力量と性質は人によって異なり、貴族は高い確率で魔力量が多いので、自分で適性を見極めて使いこなしていけるかが非常に重要になります。
学園は今まで積み上げられてきた歴史や魔法を学ぶ場であり、民の上に立つ者として貴族は学園に入ることが義務付けられ、才能を生かせるかどうかは自分次第。
習得できることはできる限り習得していきたい私にとって、学園生活は有意義な時間です。
幸い、学園に来て順調に使える魔法は増えており、貧乏伯爵家の一員として少しでも今より良い環境に発展するために役立つ魔法が増えるのは非常に喜ばしいことです。
実家の伯爵領のことを考えるとぽんっとすぐに頭に浮かぶのは、二歳下の仲の良い妹のフロンティアのこと。
突拍子もないことをたまにやらかす明るい妹で、フロンティアのことを考えるとついつい頬が緩んでしまいます。
それくらい妹の自由さは一緒にいて新鮮さもあって好ましいもので、いつも元気をもらっております。定期的に手紙のやり取りはしていますが、そんなに頻繁に帰省することはできないので次に会うのが楽しみです。
南館から出ると、校舎と校舎の間には木々や花々が植えられた憩いの広場が広がります。
午後の照りつける日差しは強く、眩しさに目を眇め私は足を止めました。
その中央には、時間によって噴き上がる本数と高さの違う噴水があり、空へと緩やかな曲線を描く様ときらきらと光を含む水しぶきはとても綺麗です。
「あっ」
しばらく遠くから噴水を眺めていた私は、そこで思わず声を上げました。それから、なんとなくですが口を押さえます。
――こんなところで、お一人で何を?
入学してからというもの、ちょくちょく学園では騒動が起きていました。
ここ最近はまた一層騒がしく、なんなら私が教室を出る前も不穏な気配が漂っていたので、少し戻るのが億劫になるほどでした。
その騒動の中心人物が噴水の前にやってきて立ち止まったのを見つけてしまい、場所が場所なのでちょっぴりどきっとしてしまいます。
ストロベリー色の髪と瞳を持つ可愛らしい彼女は、稀有な光魔法所持者です。元平民で男爵家の養女となり入学した彼女は、初日から時の人となりました。
今も鮮やかな水色のたっぷりのレースをあしらった服装で、それは彼女にとても似合っております。ですが、少々派手な部類の衣装ですので、どこにいるのかすぐにわかる非常に目立つ方です。
行動や発言も育った環境の違いからか、こちらが認識する常識と違うことも多いので注目を集めておられます。
顔立ちも良く美人で可愛らしい雰囲気の彼女は、常に男性に囲まれており非常にモテる方です。
婚約者がいる男性相手にも関係なくとても近い距離で接していることもあって、その分彼らの婚約者たちと揉めることも多く大変そうです。
中にはそのことが原因で在学中に婚約を破棄された方もいますし、なかなかの影響力を持って周囲に変化を及ぼしています。
私自身は彼女と今まであまり関わることはありませんでしたが、ほかの方たちとは別の理由で彼女の行動は少し気になっていました。
先ほどの溜め息にも起因する、前世の記憶を持つ妹の情報があるからです。
ここ最近お騒がせなふわふわ美少女を主人公とすると、私はモブになるらしいのです。
転生者の妹の話によると、この世界は乙女ゲームなるものと酷似した世界。その世界はヒロインを巡って殿下とその側近たちが彼女に愛を乞う物語なのだとか。
殿下たちが実際愛を乞うている場面は見たことはありませんが、いつ見ても男性たちに囲まれていますし、殿下たちも気にしておられるようなので、先ほど話したように彼女の周囲は非常に賑やかです。
誰かに押されて階段から滑り落ちたり、物がなくなったり、ドレスが破られていただとか、裏が取れませんのであくまで彼女の主張となりますが、話題には事欠かない方です。
こんなにも問題が重なるのかと驚く気持ちのほうが強いですが、妹によると彼女はそういうものなのだそう。
最初の頃は光魔法がどのようなものなのか興味がありましたので、彼女の授業の様子をよく見ていました。
一年以上経ちましたが、光魔法自体の良さは知れてもその凄さを目の当たりにすることはありませんでした。
広範囲で治癒や回復魔法を使えるなんて、光魔法保持者にしかできないとされています。
ですが、勉学や魔法のことよりもほかのことに熱心な様子なので、このままだと本来の光魔法のポテンシャルがわからないまま卒業となってしまいそうで残念です。
自領に被害はありませんが、北部は魔物の出没が多く怪我をする人が跡を絶ちません。ですので北部出身の一人としては、彼女の能力を見てヒントになるものがあればと、そういった意味でも期待し注目しておりました。
そんなことを考えながら彼女の姿を眺めていると、次に彼女が起こした思わぬ行動に私は目を見張りました。
「ああー。今日だったのね」
ぽそりとつぶやき彼女が立ち去ったのを見送ると、先ほど彼女が立っていた場所へと向かいます。
ばしゃばしゃと水が跳ねる噴水の中を覗き込むと、一冊の沈んだ教科書が見えます。
「確かに、落ちていますね」
うーんと首を傾げ、袖をまくって噴水に浸かった教科書を拾い上げます。
それから濡れていては困るだろうと、とりあえず教科書を温風魔法で乾かそうと私は手をかざしました。
◇◇◇
「ディストラーさん、そこでこれを拾いましたよ」
「えっ?」
差し出したのは、先ほど拾った教科書。何やら揉めているようですが、これを渡したら終わりでしょう。
「落とされましたよね? どうぞお受け取りになってください」
「……はぁ」
「ディストラーさん?」
「…………あっ」
もう一度声をかけても反応がなく、なかなか受け取ろうとしない彼女にしびれを切らし、私は無理やり押し付けるように手渡します。
ずぶ濡れになっていたので、しっかり魔法で元の状態に戻しておきました。
ついでにこっそり保護魔法もかけておきましたから、これで汚れたり破れたりはないはずです。ここ最近の彼女の周囲は少々荒れておりますしね。特別サービスです。
「では、失礼いたします」
お礼の言葉もないようですが、別にいいです。
少なくとも、私の出番は終わりだと聞いているのでやることやって即退場です。余計な言葉はいらないと聞いています。
ストロベリー色の髪に可愛らしい顔をしたクラスメイト──アリス・ディストラー男爵令嬢は、受け取った教科書と私を見比べなぜか困っておりますが、無事任務完了と私は少し離れた己の席に着きました。
クラスが一瞬シーンと静かになりました。ですがすぐに、わぁーわぁーと彼女を取り巻き問い詰めるように騒ぎだします。
「どういうことですのっ!」
「これは……」
周囲がさらにヒートアップしています。まだ揉めているようですが、いつも彼女の周りは賑わっていますので私には関係ないことです。
それよりもです。
「やっと、終わりました」
私はぽそりと任務完了の言葉をつぶやきます。
わぁー、肩の荷がおりました。これ、ずっと引っかかっていたんですよねー。地味に。ここポイントなので二回言います。地味にっ!!
強制力なるものを感じたような、まったく感じていないような。
よくわかりませんが、役割は終わったのであとは自由なはずです。
それにしても、落ちているとはどういう状況なのかと思っていたのですが、本当に落ちていました。びっくりです。
妹から、『ヴィア姉さまは、学園の噴水の中に教科書が落ちてるのを見つけ、教科書がなくなって困っているヒロインと揉める悪役令嬢たちに教科書があったと告げるモブ』と、言われておりました。
落ちて見つけたものは落とし主に返す。それは当然なので、これが強制力かと言われてもよくわかりません。
結局のところ、モブというのはいてもいなくても構わない存在。
成り代わることができる人物であり、その人でなくてもいい。だけど、モブがいないと話が進まないからセリフがあるモブは重要なファクターだということ。
それらを妹節でいろいろ熱弁されてきました。
妹の話は難しいですが、やることやったら終わりだということは理解しここまできました。
普通に生活していたなら、己の言動がどこまで誰に影響を与えるかなんてわかりません。
だけど、私は特殊な妹の力で誰かの人生の岐路にほんのちょっぴり関わる予定を知ってしまった、というだけのこと。
いわゆるモブというその他大勢の一人らしいので、結局のところ私の役目が何なのかよくわからないままこの日を迎えました。
私にとって大事なのは、ちょっぴり面倒だったことが無事終わったということ。
「ねえ、シルヴィー。あれをどこで拾ったの?」
「噴水広場のところよ」
「さっき落としたって言ってたけど」
友人のその言葉に、ああ、と私は晴れ渡る空が広がる窓の外に視線を向けます。先ほど目にした光景を思い浮かべると、少し複雑な気持ちになりました。
「そうですよ。ディストラーさんが噴水の中に落としたのをたまたま見かけたので、なければ授業に差し支えがあると思ってすぐさまお持ちしました」
「ディストラーさんが?」
「ええ」
私が頷くと、友人は周囲の様子をうかがうように見回し、言葉を繰り返して確認してきます。
「噴水の中?」
「わざわざ水の中に落とすとは、ディストラーさんは器用な方なんですね」
私のその言葉に、友人や周囲にいたクラスメイトたちに沈黙が流れます。