優しい伯爵令息の初恋

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先行配信日:2024/01/26
配信日:2024/02/09
定価:¥770(税込)
誰にでも優しい伯爵令息エドガーは、初心の女性からの告白をまた断っていた。
夜会での人付き合いが苦手な令嬢ラウラは、抜け出した中庭でその現場に遭遇してしまう。
成り行きで悩みを打ち明け始める二人、会話の中に心地よさを感じる。それは真逆の価値観だから?
会うたびに会話が増え、気づけば心惹かれあっていて――。
「俺は君のことが好きだ」真摯な眼差しで言う彼の言葉に、胸の鼓動は速くなる。
しかし浮評ばかりの伯爵令息との付き合いなど、ラウラの父親は許容するはずもなく……。
かっこ悪くたっていい、初恋を成就させたいエドガーは猛奮励! 
そんな二人の愛の行く末は!?

成分表

♡喘ぎ、二穴、NTR、非童貞、などの特定の成分が本文中に含まれているか確認することが出来ます。

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 第一話

「君とはそういう仲になることはできないよって、最初に言っていたよね」
 優しく、けれど有無を言わせない強さを持った男性の声と、それから女性の啜り泣きが聞こえて、私は思わず動きを止める。覗き込まない方がいいであろうことは容易に想像がついた。さっさとこの場から退散するべきであろうということも。けれども、身動きすることで物音を立ててしまってこの会話に乱入する結果となることも恐ろしく、結局その場から一歩も動けなくなってしまう。夜会が面倒でひとりこっそりと中庭に出てきたのは、どうやら過ちだったようだ。
「ごめんなさい……エドガー様が優しくて、私……」
「……優しいと君が感じたのは、君が俺にそれを求めていたからだ。言った通り、優しさを与えることはできるよ。でも俺は、君を愛してあげることはできない」
 諭すような声色の言葉に女性の啜り泣きがより一層強くなる。しゃくりながら「ごめんなさい」と言う声のあとに、泣いている彼女のものと思われる足音が足早に去っていくのが聞こえた。完全に足音と啜り泣きが聞こえなくなったのを確認して、私はひとつ小さくため息をつく。
「……そこの君、もう出てきていいよ」
 その声にどきりと心臓が跳ねた。もしかしたら私に対する言葉ではないかもしれないとしばらく黙ったまま動かないでいると、「どうかした?」と言う声と共にガサガサと音が聞こえて、木立の合間からひとりの男が現れる。どうやら彼には最初から私の存在はバレていたようだった。
「えっと……お邪魔してしまってすみません」
「別に少しも邪魔じゃないよ。というかどうしてこんなところに? ラウラ嬢」
「私のことを知っているのですか?」
 思わずぱちぱちと目を瞬【しばたた】かせる私の目の前にいるのは、少し長めのアッシュグレーの髪に榛色の瞳をした端正な見目の男――イェルム家のエドガー伯爵令息だ。社交界の噂に疎い私でさえも、彼がいかに令嬢たちに優しく、結果として女性の心を奪い泣かせているか……という話を知っている。誰にでも優しく、けれど誰も好きにはならないと断りを入れるという彼の話は、あまりに有名だった。
「知っているよ。シェルヴェン伯爵家のご令嬢だろう?」
「……流石浮名を流すエドガー伯爵令息は、しがない令嬢のことでもよく知っていらっしゃるのですね」
 私の返事に彼は「それほどでも」と言って肩を竦める。私の皮肉は通じているようで、けれど少しも効いてはいないらしい。私をじっと見つめたエドガー様は、微かに首を傾げて目を細めた。なるほど顔に掛かるアッシュグレーの髪が色っぽく、随分と様になっている。令嬢たちが夢中になるのも納得だった。
「泣いている……わけではないね。悲しいことがあって慰めて欲しいなら、してあげられるよ。先述の通り愛は与えてあげられないけど」
「夜会が面倒で抜け出してきただけですので、結構ですわ」
 ぴしゃりとそう言ってのけると、彼はきょとんとした顔をしたのちにくすくすと笑う。私にとっては特段面白いことはないので胡乱げな表情で彼を見上げるけれど、彼の笑いはなかなか収まらない。
「……何か面白いことでも?」
「いいや。君みたいなひとは珍しいなあと思って」
 含みのある物言いだったけれど、その真意に興味はない。「そうですか」とだけ返した私は夜会の会場に戻ろうと踵を返す。
「待って待って、会場まで送るよ」
「結構です」
「俺のことを夜道にひとりで令嬢を放り出すような男にしないで」
 優しい声色でそう言われて、私は呆れを滲ませながら彼を見上げる。私の表情に気づいているだろうに、エドガー様はどこ吹く風で飄々と微笑むだけだ。
「そんなだから令嬢を勘違いさせるんですよ」
「俺はみんなに優しくしているだけだよ。優しくするのは悪いこと?」
 隣を歩くエドガー様はそう言って首を傾げる。そういう言い方をされてしまうと、もちろん優しくすること自体は別に悪いことではない、けれど。
「後々自分の首を絞めることになったりするんじゃないかと思いますけど……」
「首を? 今さっきみたいなことなら、説明したら理解してくれるし、そこまで困ってはいないよ」
「……そうですか」
 会場の入り口まで辿り着いた私はエドガー様へと振り返り、「ここまでで結構です」と頭を下げる。
「中までエスコートするのに」
「先ほどのご令嬢と別れた直後に別の女性と並び立って歩いているのを見られるのはあまりよろしくありませんわ。私もあなたとのことを誤解されるのはごめんですから」
 私に優しくしてくれるというならここでお別れとしてください、と言えば、エドガー様は肩を竦めて笑う。
「そう言われてしまうと言い返せないな。有意義な時間をありがとう、ラウラ嬢」
「ええ、こちらこそ」
 にっこりと笑って会釈をし、彼に先んじて会場へと戻る。途端に広がる喧騒に、こっそりと眉を顰めた。ここから逃げ出してゆっくりしたかったというのに、結局面倒な会話をしただけで少しも気を休めることができなかったと思うと、何だか損をしたような気分だ。
「……まあ、今日は早く帰りましょう」
 はあ、とため息を吐く。私の実家であるシェルヴェン伯爵家には鉱山があり、そこでの潤沢な鉱物資源によって領地経営の財源を賄っている。このご時世鉱物の需要がなくなることはないから、かなり裕福な領地のひとつだといえる私の家に婿入りしたい、そうでなくても何某かの関係を持ちたいと考える家は多く、夜会のたびに男女を問わずあちこちから声をかけられる。私ではなく未だ幼い弟が成人したのちに家を継ぐと公言しているにもかかわらず止まないアピールに、正直なところ随分と辟易している私にとって社交シーズンは、ただただ面倒なものでしかなかった。

     ***

「あれ、また会ったね」
「……つい先ほどまで会場でたくさんのご令嬢たちとお話しされていませんでしたか?」
「そうだよ。見ていてくれたんだ、嬉しいな」
「……」
 無言でじとりとエドガー様を見つめる。ニコニコと笑う彼はやっぱり私の呆れを理解していて、それでいて気にする様子は少しもない。
 彼と初めて会話をしたあとに開かれた夜会で、また私は貴族たちの猛攻に辟易しながら中庭に避難していた。エドガー様が貴族令嬢たちを相手にしていたのは先ほど会場で見ていたのだけど、いつの間に中庭に出てきていたのだろうか。
「呼び出しを受けて告白されたんだけど、断ったところだよ」
「別に私は何も聞いてないんですけど……」
「知りたいのかなと思って」
 別にエドガー様のことに興味はない。そう思う私の心境を理解しているのだろう彼は楽しそうに笑いをこぼして、私の顔を覗き込んでくる。
「ラウラ嬢はまた喧騒から逃げてきたの?」
「……ええ、まあ。その先に貴方がいたのであまり意味はありませんでしたが」
「つれないなあ」
 せっかくだから少し歩く? と彼から誘われて、私は眉を顰めた。彼の噂はよく聞くけど、女泣かせといった類のもので無理やり誰かに迫るような下衆な話は少しも聞かない。むしろ泣かされた令嬢でさえも、彼のことは悪く言わないのだから、本当に上手く彼女たちに接しているのだろう。それに、他の令息とこんなところでふたりきりのところを目撃されればすわ密会かと話題になるであろうけれど、彼が私とふたりで歩いていたところを誰かに見られたとしても、どうせいつものことかとなるだけである。
「今会場に戻ったって面倒だろうし、ひとりで中庭に居続けるのもあまり安全ではないよ。それなら俺と居たらいいんじゃないかな」
「……それなら、少しだけ」
 彼の言うことは正論だった。頷いた私にエドガー様は嬉しそうに笑って自然と私をエスコートし、そのまま中庭の奥へと進む。噴水近くのベンチにハンカチーフを置いてその上に私を座らせた彼は、少しの距離をとって隣に腰を下ろした。
「声をかけられるのは面倒?」
 柔らかい声で話しかけられて、私は隣の彼を仰ぎ見た。榛色の瞳が優しく私を見下ろしている。「ええ」と頷いた私に、彼は首を傾げた。
「どうして? 好いてもらっているのは嬉しいことじゃない?」
「好いてもらっていると言ったって……皆様私の家が持つ鉱山に興味があるだけです」
「そうかな。声をかけてもらう理由がそれだけだとは限らないんじゃないかと思うけどね。他の理由で興味を持ってもらえてるのかもしれないし、仲良くなれるきっかけになるかもしれないよ」
「……私とエドガー様とでは、好意の受け取り方がまるっきり逆ですね」
 思わずそう言ってくすくすと笑ってしまう。きっと彼は私とは違い、自分に寄せられる好意を煩わしく思うことがないのだろう。
「君からしたら俺みたいに何でも受け入れるのはおかしいことなんだろうね」
「貴方からしたら私のように全てを突っぱねるのがおかしいことなんでしょう?」
 顔を見合わせどちらからともなく笑みをこぼす。エドガー様とは価値観がまるっきり逆であるけれど、双方がそれを理解しているからか意見がぶつかり合うというわけではなく、話していても居心地は案外と悪くなかった。
「君に声をかける男性の中にはただ君を知りたいと思うひともいるかもしれないし、女性の中にも純粋に君と仲良くなりたいと思っているひともいるかもしれない」
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれないですね。かもしれない、そのためにそうではない多くのひとの相手をすることに疲れてしまっただけです」
「そう」
 頷いたエドガー様はそれ以上の追求も反論もしてこなかった。このひとのこういう意見を押し付けすぎないところも悪くないな、と思う。価値観はかなり違うけれど、聞き上手で話し上手なひとだ。見目だけではなく性格もこうであるなら、令嬢たちが話をするうちに好きになってしまうのも納得である。
「エドガー様はどうして皆に優しくするのですか?」
「俺? 俺は……誰かが必要としてくれているなら、助けになってあげたほうがいいだろうって、それだけの理由だよ」
「博愛なんですね」
「博愛……どうだろう、愛してあげられていないけどね」
 そう言ってエドガー様は少し寂しそうに笑った。誰にでも分け隔てなく……なんていう接し方は、私には到底真似できるものではない。ある意味で尊敬すべき相手だな、なんてことをひとり思う。
「令嬢たちに頼られるたびに、愛はあげられないって話はするんだけど。以前聞かれちゃったときみたいに、それでも告白されてしまうんだよね」
「エドガー様が優しすぎて皆さん勘違いするんですよ」
「うーん、やっぱり俺のせいなのかなあ」
「え? 違うでしょう」
 思わず声を上げてそう言えば、エドガー様が驚きを表情に浮かべて私を見る。そんな顔をされる理由がわからないまま、私は「だって」と口を開いた。
「もともと愛さないと公言しているのですから、エドガー様は何も悪いことはしていないのでは? まあ私からしたら、恋人でもないひとにそこまで優しくする気持ちは少しもわかりませんし、女性の心理を考えたら最初に釘を刺されていたとしても理性で気持ちを押し留めるのは難しいのかもしれないと思いますし、それだったらもういっそのこと初めから優しくしなきゃいいのにと思ったりはしますけど……優しくしてほしいと言ったのも、愛がなくていいと言ったのも相手方なら、エドガー様が必要以上に自分のせいだと思うことはないのでは? そこまで優しいとそれこそ損しちゃいますよ」
 きょとんとしているエドガー様を見て、少し話しすぎたかしらと私はきゅっと唇を閉じた。そんな私の様子を見て吹き出したエドガー様が、「ありがとう」と表情を緩める。今までとは違って少し気の抜けたようなその笑顔に、私の胸がどきりと高鳴った。……なるほど確かに、こんなふうに微笑まれたなら初心な令嬢ならあっという間に好きになってしまうのかもしれない。
「……ラウラ嬢、よければ俺のこと利用する?」
「……は?」

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