煌びやかなシャンデリアの光を受け、今年デビュタントを迎える男女がホールに集う。その中のひとりである私、クロエ・ガルシアは、周囲に緊張を悟られないよう、ひとりでこっそりと小さく深呼吸をした。
「……クロエ、大丈夫?」
けれど隠そうとした緊張は、隣にいる彼にはお見通しだったらしい。小さな声でそう尋ねてくる私の婚約者――トビアス・フェルナン様に、私は苦笑を浮かべた。
「大丈夫です、トビアス様。ダンスも作法も、きちんと頭に入っていますから」
「うん、君のダンスの腕前も、作法の完璧さも、俺は十分知っているよ。だからあまり気を張らなくていいからね」
ヘーゼルの瞳を細めて優しく笑うトビアス様に、私は微笑み「ありがとうございます」と返す。周囲にいる、今年デビュタントを迎えた令嬢たちの視線が彼に集まり、どこからかほうっとしたため息が聞こえてくる。彼女たちが見惚れるような優しい笑みを、トビアス様はまっすぐに私に向けてくれていた。
合図ののちに、音楽が奏でられ始める。それは、デビュタントを迎える令息令嬢たちが一斉に踊るための曲だった。
トビアス様が私の手を取ってホール中央へと踊り出す。彼のリードに合わせ、私もステップを踏む。彼とは何度もダンスの練習を共にしたけど、こうして公の場で踊るのは初めてのこと。
「うん、やっぱりすごく上手だ。こうして公の場で君と踊れることが嬉しいよ、クロエ」
「私もです、トビアス様。これからは私もトビアス様の婚約者として社交に励ませていただきますね」
「はは、ありがたいけど、そんなふうに思わなくていいよ。これまでよりもいろいろな人と関われて、交流の場が広がるって……それくらいで考えてくれたらいい」
そつなく私をリードしながら、トビアス様がそう言って笑う。私にはそんなふうに言いつつ、二歳年上の彼がその若さにもかかわらず社交に邁進していることを私は知っている。だから、やっとデビュタントを迎えることができた私も、これから少しでも彼の力になっていきたいと思っているのだ。
私、クロエ・ガルシアと、トビアス・フェルナン様の婚約は、今から七年前――私が十歳、彼が十二歳の時に結ばれた。それから今に至るまで、私たちは良き婚約者であり続けていると思う。
フェルナン侯爵家の嫡男であるトビアス様は、美しく柔らかな金髪にヘーゼルの瞳を持った、面立ち爽やかな好青年だ。その見目だけではなく知識の豊富さと社交界での立ち回りの上手さ、それによっての顔の広さも評判で、将来を有望視される方だった。
そんな彼と婚約した私も、彼のもとに嫁ぐにあたって不足がないよう、これまで知識や所作、見目に至るまで気を遣うようにしていた。
私とトビアス様が婚約を結んで長いけれど、私たちの間に恋愛感情はない。ないけれど、それよりももっと安定した、信頼関係が築けていると思う。
貴族同士の結婚というのは、得てしてそういうものだ。私と彼はこのまま婚約者として、将来的には夫婦として、よい関係を維持していけるだろう。
そのときの私は、そんなふうに思っていた。それがあまりに見当違いな考えだと思い知ったのは、それからほどなくのことだった。
デビュタントを迎えて少し経ったある日、私は慈善事業の一環として、王都のはずれにある孤児院を訪れていた。社交界デビューする以前から、自身の領地の孤児院に顔を出して子どもたちと交流したり、不足する物資の手配をしたりする活動を行っていたので、それを王都でも継続しようと思ってのことだった。
城にほど近い孤児院は貴族たちの注目を集めやすく寄付金も集まりやすいので、私はあえて貴族が訪れないであろう、王都の中心地から外れたとある小さな孤児院を訪れたのだ。
「わざわざこんなところまで来てくださってありがとうございます」
そう言って深く頭を下げる孤児院の院長だという年配の女性に、私は「何か困っていることはないかしら」と尋ねる。
「いえ、こうして来ていただいただけで十分です」
「そうかしら? ……それなら、少し孤児院を見学させてもらってもいい?」
「ええ、ぜひ」
大きく頷いた彼女の案内で、孤児院を見て回る。建物自体は古いながらも、丁寧に管理されているのが見て取れた。遊んでいる子どもたちが興味と警戒が入り混じった視線を向けてくるのに、領地から王都へと場所を移しても子どもの反応は変わらないのだなと思わず苦笑する。
食堂、厨房、寝室と見て回り、一通り中を案内された。
「手入れが行き届いているわね」
「そう言っていただけると光栄です」
「食材はそれなりに豊富にあるみたいね。子どもたちもそれほど痩せてはいないし、衣服も清潔だわ。……でも、ベッドが随分と古かったわね。娯楽になるような本や玩具も少なそう」
私がそう言うと、院長は驚いたように目を見開いてこちらを見てくる。
「まとまった寄付金のほかに、新しいベッドと玩具をいくつか取り寄せるようにするわ。どうかしら」
「ああ……ありがとうございます! 本当に……!」
彼女が瞳を潤ませてそう言って頭を下げるのに、「いいのよ」と首を振る。
こういうときは、あちこちの孤児院を回った経験があってよかったと思う。孤児院の立地によって不足している物資には偏りがある。例えば野菜の生産が盛んな土地なら食料品よりは娯楽品が不足していることが多いし、工業が盛んだと玩具類は寄付されて充実していたりする。孤児院にお金を寄付しても、管理をしているスタッフだけではそもそもその街で不足している物資を取り寄せるところまでができないこともあるから、現物を支給するというのは喜ばれることが多いのだ。
領地で孤児院を回って得た知識が役に立ったことが嬉しく、けれどそれを表情に出さないよう微笑むにとどめる。
「ここは王都から外れていますから……畑は多く、食べるものに困ることはないのですけれど、どうしても子どもたちが遊べるようなものは手に入りにくくて」
「よかったわ」
そう言って、視線を窓の外へと向ける。庭を駆け回って遊ぶ子どもたちを見つめていた私は、その中のひとりの姿を見て、はっと目を見開く。
そこにいたのは、ひとりの女性だった。少女というべきか、女性というべきかは難しいところで、けれどおそらく私とそう年齢が変わらないだろうことが察せられた。子どもたちに囲まれ、何か話をしているようだった。
彼女の浮かべる笑みに、どこか既視感を抱いたのだ。その正体を探って――トビアス様が私に向けてくれる笑みによく似ているのだと思い至る。
無意識のうちに、私は窓に向かって歩み寄っていた。私の様子を見た院長の「どうかなさいましたか?」という声に答えず、半ば食い入るように彼女を見つめる。
優しく微笑むその瞳が、トビアス様と同じヘーゼルであるのが見えた。次いで、その髪を見る。くすんだ金髪は、トビアス様の持つ美しい色とは違っていた。
それでも、私の胸のざわめきは止まらなかった。私と年が変わらない、トビアス様によく似た女性の存在に、私は心当たりがあったのだ。
トビアス様には、ふたつ年下の……私と同じ年の、妹君がいる。名をセレスティアという彼女は、トビアス様が七歳、彼女が五歳の時に、お忍びで出かけた街先で、行方が分からなくなったらしい。おそらく人攫いにあったのだろうと推測され、フェルナン侯爵家は総力を挙げてセレスティア様の行方を追ったけれど、その消息はいまだ不明のままだった。
トビアス様は彼女を連れて街に降りたことを、ずっと後悔していたという。私と婚約してからも、彼が妹の話を口にすることはほとんどなく、私も気を遣ってその話題を口にしなかった。
けれど私は、トビアス様が積極的に社交に励むのも、侯爵家嫡男として恥じない素養を身に付けようと努力し続けているのも、セレスティア様に対する罪悪感や、彼女を見つけるためのより多くの手がかりを得るためなのだろうと、なんとなく察していた。そのくらい、彼にとって妹の存在は大切なもので、それを失ったことは大きな出来事だったのだろうと予想できた。
「……あの、あちらの方は」
「え? ああ……彼女は」
私の視線の先に気づいた院長が、窓を開けると「セレ!」と叫んだ。その名前に、ひとつ心臓が大きく跳ねる。
声に気づいたセレと呼ばれた女性がはっと顔を上げる。
「入っていらっしゃい」
院長にそう言われ、彼女は庭から孤児院内に入ってきた。院長の隣に並んだ彼女は、恐縮したように身を縮めている。
「彼女はセレといいます。確か……十二年ほど前に、馬車の事故現場で見つかって。彼女以外は皆その場で亡くなっていて、彼女も頭を強く打った影響のせいかそれ以前の記憶がほとんどなく……身元が分かるようなものもなかったので、この孤児院で引き取られました。今は保母として一緒に子どもたちの面倒を見てくれています」
彼女の話す内容のすべてが私の予想を裏付けるもので、私はひとつ息を呑んだ。
「その金髪は、染めているの?」
私がそう尋ねると、セレは驚いたように目を見開く。
「は、はい。その……本当はもう少し明るい金髪なのですけれど、あまり平民らしくない色合いで……トラブルのもとになりそうだから、と」
「……そう」
彼女に近づいて、その髪をひと房取る。安い染料で染め上げているのだろう、髪色はまだらで、毛先には傷みが見える。不健康というほどではないけれど身体もやせぎすで、もちろんのこと化粧っ気も少しもない。
――彼女がこんなところでこんな生活をしていたなんて。
「……彼女の家族に心当たりがあるかもしれません」
「えっ?」
突然の私の言葉に、セレも、院長も、驚きの声を上げる。
「ぬか喜びとなったら申し訳ないのですが……少しだけ待っていてくださいますか?」
彼女たちにそう言った私は、随伴していた騎士のひとりにトビアス様に連絡するように伝える。確か今日彼は、同世代の貴族令息たちの集まりに出ていたはずだった。
「セレ……本当の名前はセレスティアではないですか?」
「あ……は、はい、その通りです。名前だけは、覚えていたんですけど……本当に、私に家族がいるんですか?」
セレスティアの声が震えている。私は彼女の手を取って、優しく包み込んだ。
「私の知っている人に、貴方がよく似ているんです。ずっと、セレスティアという名の女の子のことを探していて。……とにかく、一度会ってみましょう」
私の言葉に彼女は小さく頷く。シスターの方へと視線を遣って、「急にごめんなさい」と謝罪しておく。
王都とは言ってもはずれに位置する孤児院だから、騎士がトビアス様を呼びに行き、彼がここまでやって来るにはそれなりに時間がかかった。子どもたちと遊びながら彼の到着を待ったけれど、私もセレスティアも、少しも心が落ち着かない状況だ。
しばらく待ったのちに、とうとうトビアス様が馬に乗って駆けてくるのが見えた。私は孤児院の入り口まで出て、彼を出迎える。私の姿を認めたトビアス様は、怪訝そうな顔をしながら馬から颯爽と下りた。婚約者に呼びつけられ、集まりを中断してまで向かった場所が孤児院だったから、不思議に思う気持ちがあったのだろう。
「クロエ、いったい急にどうしたんだ?」
私に向かってそう尋ねてきた彼はけれど、私の後ろにいるセレスティアの顔を見た瞬間に目を見開き、「セレスティア!」と、私が今まで聞いたことのないような大きな声を上げた。
それは、彼女も同様だった。セレスティアのあいまいな記憶は、肉親を見たことで一気に思い出されたらしい。「お兄様!」と声を上げた彼女に駆け寄り、トビアス様は彼女を――セレスティア様を、強く抱きしめた。
振り返った先で、固唾をのんで見守っていた院長が、感動したのか涙をかすかに浮かべている。子どもたちが、「セレお姉ちゃん、どうしたの?」と不思議そうに首を傾げている。
そんな中、私は兄妹の奇跡のような再会を、ただひとり、ぼんやりと見つめていた。