今日は婚約者のアードルフが、我がラトゥリ伯爵邸に来て親交を深める日だ。
婚約をしてから早二年、毎月欠かさず行われている習慣。……なのだけれど、屋敷に到着しているはずのアードルフが、一向にニナの部屋にやってこない。
「遅いわね。一体どうしたのかしら」
「ニナお嬢さま、私が確認してまいります」
「ええ。私も行くわ」
何かトラブルでもあったのだろうか。
そう思って侍女を連れて部屋から出ると、微かに女性の嬌声が廊下に響いていた。耳を澄ませて声がするほうへ近づいていくと、妹の部屋から聞こえているようだ。
そこでとんでもないことに気がついてしまった。勢いよく振り返り侍女を見ると、同じく気がついた様子の彼女は顔を青くしたり赤くしたりして忙しそうだった。しかしなりふり構っていられない。急いで両親を呼んでくるようお願いすると、優秀な侍女はすぐに正気を取り戻して駆けてゆく。
そして妹の部屋の扉をノックもせず、大きな音を立てて開けた。
普段のニナは、こんな無作法をしない。
けれど、今は緊急事態だ。
――この甘ったるい喘ぎ声と共に聞こえてくるのは、婚約者の声だったから。
部屋に入った途端、生々しい情事の匂いがむわっとする。思わず眉を顰めると、ベッドで絡み合った二人と目が合う。一瞬で青褪めたアードルフは、組み敷いている女性から手を離し、慌てた様子で口を開く。
「なっ! ニナ? これは違うんだ」
「ちがう、とは……?」
言いながら、丸出しの下半身に視線をやると、アードルフがもっと狼狽【うろた】える。
すると、その下で仰向けに寝転ぶ、裸の女性が慌てるアードルフを、艶っぽい声で誘惑する。
「あぁん、アードルフさまぁ。お姉さまのことなんか放っておいて、早く挿れてくださいまし」
残念なことに、ニナの婚約者を寝取ろうとしているのは、妹のルミだった。
姉がいることを気にもせず、はしたなく股を広げ、アードルフを蜜口に誘い込む。アードルフはその誘惑に逆らえなかったようで、ごくりと喉を鳴らすと、ルミの中へ肉棒を滑らせた。
この状況で続きをしようとするとは、どうやら思考が下半身に支配されているらしい。
「あぁんっ、きもちぃい! アードルフさまぁあ!」
「ニナ、ごめん。俺はルミのような守ってあげたくなる子のほうが好みなんだっ!」
別の女性に腰を打ち付けながら、あんまりなことを口にするアードルフに、唖然としてしまう。ニナはあまりの衝撃で、何も言えないまま、ぼうっと婚約者と妹の性行為を眺めるしかなかった。
ふと、視線を感じて目線を向けると、ルミが勝ち誇ったようなおぞましい笑みを浮かべていて、背筋が凍る。
――ルミは昔から、ニナのものを欲しがった。
幼い頃に母の浮気が原因で両親が離婚し何年か経った後、父に紹介された新しい母と共に現れたのが妹ルミだった。彼女は義母の連れ子で父や自分とは血が繋がっていない。
平民街で育ったせいか、ルミは貴族令嬢に憧れを持っていたようで、ニナが着ているドレスや髪飾り、宝飾品などを欲しがった。
初めは屋敷に移り住んで来たばかりで足りないものもあろうと、欲しがるままに与えていたが、父が貴族令嬢に必要なものを新品であつらえても、まだニナのものをねだった。流石におかしいと気がついたのはその頃だ。
妹は輝くような金髪で碧眼、お人形のように華奢な体型で、庇護欲をそそられる可愛らしいタイプだ。対してニナは父譲りの鮮やかな赤紫色の髪で、アメジスト色の瞳を持つ。ややつり上がったまなじりは迫力のある印象をもたらし、昔から胸やお尻の肉付きがよいため、年齢よりも上に見られるタイプだ。
髪色や瞳の色、顔の系統や体型も違うというのに、どうしてか大人になった今もニナのものに執着している。
婚約者までも寝取ろうとするだなんて、もはや病気なのではないか。
挿入してから一分半ほど経過し、アードルフが今にも達しそうな唸り声を上げた時、勢いよく扉が開かれた。屋敷で仕事をしていた父が息を切らして、妹の部屋にやってきてくれたみたいだ。
「なんなんだ! この事態は!」
父の後ろには、ニナの侍女がいる。思ったよりも早く呼んできてくれて助かった。
怒りで顔を真っ赤にした父は、アードルフとルミを引き剥がした。
「お前たちはニナの前で何をやっているんだ!?」
「ヒィッ。伯爵、これは……!」
「アードルフ、見損なったぞ」
怯えるアードルフは、流石に肉棒が萎えている。対して妹は、きゅるんと可愛らしいおねだり顔を作った。
「お父さま。ルミ、アードルフさまが欲しいの」
「何を言っているんだ! アードルフはニナの婚約者だぞ!」
いつもはルミのわがままを聞いている父も、流石に怒声を上げている。
そりゃそうだ。父が自ら、我が伯爵家へ婿入りするのにぴったりな子爵家の次男を選んできたのだから。
「お父さま。アードルフさまは、私のような無愛想な女よりも、ルミのような守ってあげたくなるタイプがお好きのようなのです……」
「なんだと」
少々盛って父に伝えると、火に油を注いだようで、その額に血管がピキピキ浮き出た。そこへニナは追い討ちをかける。
「アードルフさまを一途に想い慕っておりましたが、まさか、妹と浮気をするだなんて……。それに、私に見られてもなお、行為を続けて腰を振りっぱなしでした。こんな不義理なお方は、我が伯爵家に相応しいとは思えませんわ」
しおらしげに、俯きながら控えめに告げる。すると、怒りで震えた父は叫んだ。
「アードルフ! 貴様は、今後一切ラトゥリ伯爵家に関わることを禁じる! 今すぐ出ていきたまえ!」
「ヒェッ」
まるで火山が噴火したような父の怒声に、アードルフは驚いて走り去る。しかし下半身が丸出しなのに気がついたのだろう。走りながらズボンを穿くが、ズボンの裾を踏んで転び、立ち上がってもまた転んでいた。
小さく鼻で笑うと、妹が鋭い眼光で睨んでくる。それを無視して父に声をかけた。
「お父さま。私のために怒ってくださり、ありがとうございます。少々疲れてしまいましたので、先に部屋へ戻らせてもらいますわ」
「ああ。ゆっくり休みなさい」
「では、失礼します」
自室に戻って、誰もいないことを確認して、ベッドへ身を投げる。なんだか笑えてきて、肩が震えてきた。
(やったわ〜〜っ! これで次の婚約者ができるまで、夜遊びし放題じゃない!)
あのアードルフと結婚しなくて済むという、予想外の嬉しい出来事に、足をバタバタとさせた。
――ニナが暮らすハルティア王国では、婚前交渉が推奨されている。
昔こそ貞操を守るべしという風習があったが、何代か前の王が王妃との性の不一致で世継ぎが生まれない事態に見舞われた。王族は運命の人に出会うと一途で愛情深くなると言われており、また不用意に子どもを作りすぎて王権争いにならないよう、基本的に一夫一妻制である。性の不一致が起きた際には、特例で王妃と離縁をして、後宮を開き結果的に運命の人が見つかって、新しい妃を迎え入れて事なきを得た。
しかし今後も同じことが起きる可能性がある。王族存続の危機が発生してからは、王族が婚約者を決めると必ず婚前交渉をして行為が可能か確認しあってから結婚するように制度ができた。安心安全の避妊魔法薬が普及し始めたこともあり、その風潮が貴族や平民に広がっていった。今ではその制度を利用して、婚約者を取っ替え引っ替えしていると噂される女泣かせの第二王子がいるほど、婚前交渉は一般的になっている。
例に漏れずニナとアードルフも、肌を合わせているのだが……正直に言ってしまえば、満足できるものではなかった。もちろん初めて同士だから最初はこんなものだろうと思った。けれど、二度目も三度目も同じだった。
アードルフとは家同士が決めた縁談だ。いくら持続力がなくて、これからという時に終わってしまっても、行為自体は可能だったから、他家の令息の男のプライドを傷つけるようなことは流石に言えまい。
かといって浮気をするのはニナの信条に反する。母親の浮気が原因で離婚して随分と寂しい想いをしたから、できる限り夫婦円満に暮らすことが夢なのだ。
そのため中途半端に終わってしまった時は、悶々と自分を慰めるほかなかった。
恋愛小説のように一晩中愛されることに憧れはあれど、実際はそこまで高望みしていない。ただ少なくとも行為中一度は、蕩けるように達してみたかった。
だから持続力は置いておいて、まずは強くて痛い愛撫をなんとか力加減してもらったり、前戯を長くして欲しいとさりげなくプレッシャーにならないように伝える努力はしてきたつもりだった。
まぁ、全てが無駄に終わってしまって切なくもある。きっと向こうも同じように、ニナに対して思うところはあったのかもしれない。
けれど、今はとにかく解放されたという気持ちでいっぱいだ。
――これから次の婚約者が決まるまでは、我慢しなくてもいいわよね……! ああ、なんて幸せなのかしら……っ!
以前読んだお気に入りの恋愛小説では、酒場で出会った冒険者と平民の女性が一夜限りの関係を過ごしてから恋に発展していた。
もちろんニナは伯爵家の娘なので身分違いの人と、本当の恋を楽しむことはできないけれど……。
人生は一度きりだもの。ずっとやってみたかった憧れの夜遊びができる機会なんて中々ない。他の男性……なんなら好みの筋骨隆々で雄々しくて逞しい方に、これでもかってほどイかせてもらいたい! それに、アードルフが卑猥すぎるからと言って、口淫をさせてもらえなかったけれど、今度こそやってみたい!
――よし。後腐れのない男を捕まえて、絶対夜遊びしてみせるわ!
そうとなったら、すぐ行動! ちょうどよくお茶を持ってきてくれた侍女に一つの頼みごとをする。
「平民の服を用意してちょうだい。できるだけ肌の露出があるものがいいわ」
ニナは侍女に用意してもらった膝下丈のワンピースに着替えた。避妊魔法薬も事前に服用して夜の街にこっそり出ると、夏の終わりの過ごしやすい気温だった。
侍女には口止めをしてある。部屋を訪れる人がいたら「落ち込んで誰にも会いたくないから引き取ってもらうように」とお願いしたからきっと大丈夫だろう。
ニナが暮らす王都は治安がいいため昼間に何度か一人で出かけたことがあるが、夜は初めてだった。
さて、どこなら理想の殿方と会えるかしら。後腐れのない男を探すなら定番の酒場に行くのは決まりとして、逞しい人が多そうなところ……。
あ、確かこの近くに冒険者ギルドがあったはず。そこならきっと筋肉もあって体力がある人がいそうだわ。
それにきっと平民が通う酒場ならエールも呑めるだろう。元々エールは農民が飲むお酒だったから、プライドが高い貴族は好んで呑まない。けれどニナは、以前に我がラトゥリ伯爵領で醸造された喉越しのいいエールを飲んでからすっかり虜になってしまっている。
また呑みたいと思いつつも領地に行けていなかったから、今夜エールを味わえるだなんて、たとえ理想の殿方が見つからなくても満足してしまうかもしれない。
エールの味を思い出しながら歩いていると、冒険者ギルドの近くまで来た頃にはすっかり喉が渇いてきてしまった。
いくつか酒場があるうち、素朴で温かそうな雰囲気のお店に決めて、勇気を出して木製の扉に手をかける。
扉を開けると店内は物凄く賑わっていた。全体的に筋肉がモリモリな人が多くて、エールを豪快に呑んでいる。
「お嬢ちゃんいらっしゃい。一人かい?」
「はい」
「カウンターへどうぞ」
お店のマダムに案内されるまま、一番端の空いたカウンター席へ腰掛ける。マダムの笑顔が明るくてホッとしたところで、隣のお客さんを見ると、まさにド好みの男がそこにいた。
広い肩幅で、服越しでも分かるほどよく鍛えられた身体つき。二の腕の逞しい太さが堪らない。それに肩まで伸びる銀髪が、とっても綺麗。冒険者なのか、帯刀している。お顔はよく見えないけれど、エールを呑んでいるようだ。
「マダム、私にもエールをいただける?」
「あいよ」
注文すると、マダムはすぐにエールサーバーから木製のジョッキに注いでくれて、手早く提供された。喉が渇いていたので、カウンターに置かれて即エールを呑んだ。
念願のエールは軽めの味わいで、喉越しがよく、一気に呑み干してしまった。やっぱりエールは美味しい。満足気にぷはぁと息を吐けば、隣から「ククッ」と笑い声がした。
ふと横を見ると、透き通った青色の瞳と視線が重なった。色っぽい垂れ目で、鼻筋がスッと通っている。口元は弧を描いていて、かなりの美形だ。それに何より絶対的強者の風格が滲み出ている。冒険者の中でもきっと高ランクなのだろう。
「お嬢さんいい飲みっぷりだな。マダム、この可愛らしいお嬢さんに俺からエールを」
「はーい」
瞬く間に、隣の冒険者から、おかわりをいただいてしまった。しかしつれないニナは、棘っぽくこう言ってしまう。
「私のことを笑った罰として、有り難く頂戴するわ」
「ははっ。エールで許してくれるなんて、優しい女だな」
口を大きくあけて笑っているのに、気品もあって、でも野性みもある不思議な人だ。
貴族は口を閉じて笑みを浮かべるのが一般的だから、とっても新鮮。
「ここにはよく来るの?」
「たまにな。お勧めはシェパーズパイだ」
「あら。美味しそうね」
私は軽めのエールを呑みながら、メニュー看板を眺める。そしてマダムに自家製ピクルスとシェパーズパイを頼んだ。
お通しのナッツをつまみながら、エールを呑んでいると、隣の男がまた話しかけてきた。
「ところでお嬢さん。今日はどうして、こんな野郎ばっかな酒場に? 周りは皆貴女に注目してるけど」
目線だけで、周りを見渡すと、確かに強靭な肉体を持った男たちがニナのことをチラチラと見ている。
ふむ。やっぱり後腐れのない男を探すにはぴったりな場所だったわね。
「女一人で酒場に来るのはおかしいかしら?」
「いいや。ただ、いささか危ないんじゃないかってね。お嬢さんみたいな綺麗な人だと特に」
この男は、ニナのことを、狼の群れに迷い込んだ子羊だと思っているのかもしれない。心配してくれるだなんて、優しい人のようだ。
「婚約者が妹と浮気していたのよ。だから今日は祝い酒ってわけ」
「……それは大変だったな。だが、なんで祝い酒?」
「もう我慢しなくて済むからよ」
マダムから自家製ピクルスを渡され、セロリを食べる。そして、ぽつりと呟いた。
「それに私、雄々しい人が好きなの。貴方みたいなね」
「そりゃ光栄だ」
話していると、湯気が立っているシェパーズパイも出てきた。パイとはいっても、パイ生地は使われていない。代わりにマッシュポテトが被さっていて、中にミートソースがたっぷり入っている。
エールによく合う濃い味付けで、その美味しさに目を見開いた。
「うまいだろう?」
「ええ、とっても」
エールを喉に流し込むと、とっても幸せな気分になる。自宅である屋敷やレストランで食べる繊細な味と違って、大胆な味付けだけど、それが癖になりそう。
夢中で食べ進めて、パイ皿が空になると、はっと我に返った。男漁りに来たというのに、食べることが目的になってしまった。
「お嬢さん。この後うちで呑み直さないか?」
隣の冒険者から声がかかる。ニナは残りのエールをクイッと呑み干して、笑顔を作った。
「ええ。もちろん」