1 夕島真生はアレが大きい
大きすぎる。ちんこが大きすぎる。
それは褒め言葉ではなく、夕島真生が彼女に振られた時にぶつけられた言葉だった。
二年付き合った。これまでで一番長く付き合った。
歴代彼女に振られた理由、「セックスが苦痛」「エッチが痛い」。その失敗を繰り返さないよう、念入りに前戯を行いローションも使用し、痛がっていないか何度も確認をしながら気を遣って彼女を抱いていた。
いや、きっと気を遣いすぎたせいもあったのだろう。なかなか波に乗れず、射精するまでが長かったこともあったかもしれない。ローションを追加することもあった。
ずっとずっと、我慢していたと彼女は泣いた。ずっとずっと、我慢させてしまっていたらしい。
何も言われなかったので、今回こそは上手くいってると思っていたのだ。
振られたのはもう一ヶ月も前だというのに、いまだに彼女の泣き顔がフラッシュバックする。一ヶ月やそこらで立ち直れるものではなかった。
職場の一室で、真生は特大のため息を漏らした。
今日はもう何もかも駄目な日だ。
痴漢のせいで電車は遅延するし、パソコンが突然壊れてデータが飛ぶし、よく行く定食屋は臨時休業だ。まだ十一月上旬だというのに凍えるような寒い日に、予報になかった雨にも降られた。
ひとりで不運を嘆きたい気分だった。コンビニでおにぎりを買い、社員が滅多に立ち寄らない資材室という名の物置に忍び込む。そこで段ボールの山をソファにして昼食をとっていたが、暖房のスイッチを押したはずなのにいつまで経っても部屋は暖まらない。調子の悪い換気扇が不快な音を立てているだけだ。
そう言えば節電のために倉庫や資材室など、常に人がいるわけではない部屋の暖房は主電源を切ったと、そう張り紙がしてあったことを思い出した。
もう不運を嘆くことにすら飽き飽きして、スマートフォンを開いてSNSやニュースサイトを適当に見て時間を潰す。そしてそこで、とある記事にとどめを刺されることになった。
『男が勘違いしている10の事実』という下世話な記事の、一番目の項目。
『ペニスは大きければ大きいほどいいと思っている』『女が求めるのは硬さと適度な長さと適度な持続力!』『大きなペニスは痛いだけ!』
「はぁああぁ……」
両手で顔を覆う。そんなことは知っている。痛いくらいに思い知らされた。
泣きたい気分だったが、棚の向こうから耐え切れなかったような「ふふ」と笑う声が聞こえて、真生は慌てて手を下ろした。ひょっこりと顔を出したのは、真生と同じ部署に勤める桜江きよらだった。
「夕島さん、大きなため息でしたね」
しっかり聞かれていたらしい。ノックの音にも扉を開閉する音にも気付かなかったくらい、打ちのめされていたようだ。
「聞かれてたのか、恥ずかしいな……」
「お疲れさまです。糖分を取ったら、少し疲れが和らぎますよ」
彼女が差し出したのは小袋のチョコレートだった。気遣いに感謝しながら「ありがとう」と受けとる。
今年入社したばかりだというのに、老若男女の社員に可愛がられているのは、こういう気遣いをさり気なくできるからだろう。
彼女もここで昼食にしようとしているのか、お弁当の入った鞄を持っていた。
「ご一緒してもいいですか?」
「もちろん」
返事をしながらも疑問に思う。彼女はいつも社員食堂でお弁当を食べていたはずだ。しかしその疑問を口にする前に、きよらがぽつりと呟いた。
「塩苅さん、いつ帰られるんでしょうね……」
「えっ、あいつ来てるの!?」
思わず中腰になって叫ぶ。
塩苅は本社のお偉いさんの親族で、仕事はできないくせに親族だということを笠に着て、パワハラセクハラモラハラやりたい放題の中年男だ。暇を持て余して近所の支社へやってきては、傍若無人を繰り返していく。
彼女は真生のどでかいため息は、塩苅が来ていることへのため息だと思っていたようだ。
「はい。一時間ほど前から」
「……俺、外に出てて。帰ってきて直接ここに来たから、知らなかった」
顔を手で覆って天を仰ぐ。
「あー、ほんとに今日は駄目な日。もう帰りたい……」
なんとか会わずに済まないか、午後からの仕事を頭の中でシミュレーションする。
「あのおっさん、俺にばっかり強く当たるんだよな……」
「塩苅さん、イケメン嫌いですからね……」
慰めてくれているのであろうきよらに、頬をさすりながら「イケメンはつらいよね」と冗談で返して、真生はゴミをまとめたレジ袋の口を縛った。
「桜江さんもよくしつこく食事に誘われてるよね」
「そうですね。ちょっと困っちゃいますよね」
「もしかして、逃げてきた?」
眉尻を垂らして、きよらは困ったように笑った。
その困った顔も可愛いなと思う。
そうだ。もう付き合っている彼女もいないのだから、可愛い後輩を可愛いと思ってもいいのだ。
清楚系で癒し系の彼女は、おっとりしているように見えて仕事はできる。ただし高校の時から長く付き合っている男がいるらしく、数人の社員や取引先の人間が当たっては砕けていくのを真生は何度も目撃していた。
アリすら吹き飛ばせそうにないくらいのため息をついて、きよらは「ごちそうさまでした」と手を合わせて弁当箱を仕舞った。
「どうにか会わずに済まないかな」
「うーん……」と彼女が唸った時だ。
ガチャンと無遠慮に扉が開く音がして、ふたりは顔を跳ね上げた。
ノックもせずに乱暴に扉を開ける人物なんてひとりしかいない。
「夕島、いるか?」
その声は、やはり塩苅だった。なぜわざわざピンポイントでここに探しに来るのか。忍び込む姿を誰かに見られていたのかもしれない。
「隠れて!」
潜めた声で叫んで、辺りを見渡す。塩苅お気に入りの女性社員とこんなところでふたりきりでいるところなんて見られたらもう、賽の河原で石を積むレベルの無意味な仕事を押し付けられてからの、会社に泊まり込みコースだ。不運にもこの会社には、夜勤のための仮眠スペースとシャワーがある。
資材室は物が積み重なって入り組んでいて、ここにたどり着くまで数秒の猶予はあるはずだ。真生は身長よりも高く積み上がっている段ボールの細い隙間に体を潜り込ませ、奥へと進む。突き当りの左側にさらに隙間があり、そこに身を潜めると覗き込んだくらいでは絶対に見つからない。きよらは無事に隠れることができただろうかと後ろを振り返ろうとした時、背中に何かが触れて驚いた。
きよらがすぐ後ろにいた。
「他に隠れられる場所がなくて……!」
慌てて彼女に場所を譲ろうとしたが、塩苅の足音が聞こえてふたりは体を強張らせた。
きよらが真生にしがみついて、耳元で懇願する。
「お願い、入れてください……!」
「おい、夕島」
その声と同時にきよらの腰を引き寄せ死角へと引きずり込む。お互いの体の前面が触れ合ってヒヤッとしたが、彼女はそれよりも塩苅の動向が気になるらしい。よっぽど会いたくないようだ。
ふたりで息を止めてその足音に集中する。すぐ近くまで近付いてきた奴の舌打ちと「クソ、あいつどこで油売ってやがる」という悪態が聞こえた。なんとかバレていないらしい。うるさい換気扇の音がふたりの気配を上手く消してくれたようだ。
いったん安堵する。
安堵すると、自分の置かれている状況を冷静に見ることができるようになった。
そして突然、おかしくてたまらなくなってきた。
いい大人が、一体何をしているのか。いたずらがバレないように隠れている小学生のようだ。
笑ってはいけないと思えば思うほど笑いが込み上げてくる。きよらを見下ろすと、その口元も弧を描いていた。目が合って、声に出さないようにふたりで笑い合う。
遠ざかっていく塩苅の足音を聞きながら口を押さえていると、ふと下げた視線の先に、きよらの額に貼ってある小さな絆創膏が見えた。どうしたのだろうとさらに視線を下げて、真生は気付いてしまった。
彼女のニットの襟元が浮いて、黒いレースの下着がちらちらと見えてしまっていることに。
思わず目を逸らして、それからバレないようにちらりと見る。
身につけている服がパステル系が多いので黒は意外だ。大人っぽいレースが肩紐まで続いていて、ギャップでむしろいやらしい。
いやらしいといえば、さっき半泣きで「お願い、入れてください」と囁かれたのも、まるで、まるで。
一瞬で頭の中をいかがわしい妄想が駆け巡る。
彼女の服を乱して、その黒い下着を押し上げて白い肌を露出させて、愛撫にうっとりと顔を紅潮させたきよらが熱っぽく「お願い、入れてください」と――。
この一ヶ月出すものも出せていない体は驚くほど鮮明に卑猥な妄想を頭の中で繰り広げ、そして。
勃ってしまった。
サーッと血の気が引く。
せっかく扉が閉まって塩苅が出ていったのに、まさか自分の下半身に反乱を起こされるなんて思わなかった。
「出ていきましたね……」
「そっ、そ、そうだね……」
萎えさせようと塩苅の憎たらしい顔をドアップで思い浮かべてみるが、意識すればするほど彼女の甘い香りだとか押し付けられている柔らかい体だとかどさくさに紛れて引き寄せたその腰の細さだとかで頭の中がいっぱいになって、下半身だけヒートアップする。
きよらのへその辺りでこれ以上ないほど膨れ上がったものに、彼女はまだ気付いていないようだ。
「本当にごめんなさい。今出ますね」
「ゆっ……ゆっ……」
ゆっくり後ろに下がってという声は出ない。
気付かないまま出ていってくれればと願ったが、真生の必死な祈りもむなしく、体をひねったきよらの腕がそれにぶつかった。
「あっ、ごめんなさ……い……っ!?」
彼女がびくっと体の動きを止める。その視線が下に、真生の下半身へと向けられている。
スーツのスラックスから形が浮き出るくらいギンギンにパンパンに膨張したものを、彼女は視界に入れたのだろう。
今日ほど巨根を呪った日はない。
「おっ」
彼女の口から悲鳴のようなものが漏れる。
もう駄目だ。もうおしまいだった。セクハラでこの人生終了だ。今日は本当の本当に駄目な日で――。
「おっきい」
きよらは拳を握って叫んだ。
「おっっっっきい!!」
それは部屋に響き渡る声だった。
あわわと唇を震わせて、彼女は狭い段ボールの山の隙間でさらに叫ぶ。
「えっ、嘘っ、本物ですか……!? それ、その、ちん……おっきいの……!」
「本、物、だけど……」
「わああ! すごい! 本物だ!」
まるで芸能人でも見たかのような黄色い悲鳴を上げてから、彼女はハッと我に返ったように体を固まらせる。
すーっと微笑に戻った顔の、ほんのり赤らんでいる頬を手のひらで隠すように押さえた。
「取り乱してごめんなさい」
呆然と、そのどこからどう見ても可憐な顔を見つめる。
今のは何だろう、幻かもしれない。
だって彼女は朗らかで穏やかで、これまで声を荒げた姿すら見たことがない、癒し系の後輩で。
いいや違う。
理解してしまった。
彼女は可愛い癒し系の皮をかぶった、おっきいちんこに興奮するタイプの女だったのだ。
「いったん外に出よう」
「……はい…………」
誤魔化しきれないと思ったのだろう。きよらは気まずそうに返事をして、隙間からのそのそと出た。続いて段ボールの隙間から出た真生を、彼女はちらりと一瞬だけ見上げる。
「すみませんでした……その、最近別れた彼氏が、あの……ちょっと、かなり……ちん……その、アレが小さい人で、それしか見たことがなかったから、興奮……驚いてしまって……」
ぼそぼそ話す彼女に聞きたいことが色々ありすぎたが、一番気になったことを思わず尋ねた。
「彼氏と別れたの? かなり長く付き合ってるって言ってなかったっけ?」
「はい、七年付き合っていたんですが、一ヶ月くらい前に別れました……色々あって」
それは彼女にとってはつらい出来事だろうが、その顔に悲愴感はない。
彼女は少し萎えてきた真生の下半身をまだじっと見つめている。それはもう無遠慮に、熱い熱い視線を送ってきていた。
「……見たい?」
囁くように尋ねると、きよらはびくっと体を震わせて、ようやく真生の顔を真正面から見た。
浮かんでいるのは期待半分恐怖半分。いや、期待のほうが多いかもしれない。