第十三章 私の異世界の命運を、パンツの紐に懸けてやる
私が意識を取り戻したのは、寝心地の良いベッドの上だった。ふかふかの布団に包まれながら起き上がるが、頭が痛くて再びベッドへ倒れ込む。
見慣れない部屋と、ガンガンと突き刺さる頭の痛みに、自分の身に起きたことを思い出してウェーっと顔を顰める。
展開が急激すぎて頭の整理をしなければ現状をのみ込めそうにない。
えーっと……そうだ。行方不明になっていたカーナが無事に戻ってきて、きちんと保護をされたようなので、そこは良かった。多分だけど、彼女のあの様子からして、犯人に協力していたとは到底思えない。私と同じように無理矢理捕らえられ、人違いだと分かり、本物の私を捕まえるための囮として、本人も知らないままに利用されたのだろう。
未成年の女の子を相手に、最低なことをしやがる。
地獄に落ちろと心の中で呪いながら、どうして彼女が私ではないと気がついたのだろうと考える。彼女が間違われた理由と思しき雇用時期やその他の特徴は、まんま私に当てはまる。でも、その情報を持っていることがすでにおかしい。カルレスさんとダビデさんが秘匿した情報を、どうやって手に入れたのだろう? 息抜きの外出で姿を見られていたとしても、私がクラッチバッグなどをデザインした人間だとは分からないはずだ。
……うーん、分からん。
頭の痛みの邪魔もあり、思考回路が上手く働かない。
天井を睨みながら痛みが体から抜けていくのを待つしかないだろう。
暫く休んでいると、扉がノックされて使用人らしき年配の女性と、父親よりも少し年齢が上だろう中年の男が入って来た。男は大股でつかつかとベッドに歩み寄ると、満足そうに口の端を上げる。
「お初にお目にかかりますお嬢様。私はトルタールと申します。お嬢様が拐かしに遭っていた場所に偶然居合わせ、これは大変だとお助け致しました。体調はいかがですか?」
「……ありがとうございます。少し頭が痛いですが、問題はありません」
「それは良かった。ですが、暫くはゆっくり休んでください。何か用がありましたら、この者に言いつけてください」
トルタールは人受けする笑顔で使用人を私に紹介した。深々と頭を下げられて、私も頭を下げる。
どうやらトルタールは服装からして私が裕福な家の者だと勘違いしているようだ。訂正する必要性はないので、話の流れに合わせる。
私が誘拐されるところに出くわして助けてくれたとトルタールは言った。それが本当であれば、すぐにカルレスさんの元に帰れるだろう。
少しの疑いと、少しの期待を胸に仮眠を取る。しかし、体調が良くなっても、カルレスさんの所に帰りたいと伝えても、のらりくらりと躱されて部屋から出して貰えない。
一日目はまだどこか大丈夫だろうという気持ちがあったが、二日目、三日目と続くと恐怖が色濃くなり、不安から表情が消えてしまう。これは確実におかしい。誘拐を目の当たりにして助けて下さったのなら、安心させるためにすぐに家に帰してくれるのが正しいやり方ではないだろうか。
お金のかかっているだろう食事が机に並べられても、全然食欲が湧かなくて、スープが数口くらいしか食べられず、早々にスプーンを置いた。
「あの、トルタールさんは、本日はいらっしゃいますか?」
「何かご用でしたか?」
「もう体調も良くなりましたので、家に帰りたいとお伝えしようと思いまして……」
「いいえお嬢様。まだ顔色が悪うございます。しっかりと食事が食べられていないからですよ」
「本当にもう大丈夫なんです」
「お嬢様。大人の言うことを良く聞いて、大人しく療養をなさってください」
私に付けられた使用人はパネラと名乗った。パネラさんは強い口調でそう言うと、私を寝室へと押し込める。
私に与えられているのは豪華な作りの客室だ。壁紙のデザインも凝っていて、調度品も高級感があり、広々としている。だけど吐きそうなくらいに息苦しい。
部屋に沢山の光を取り入れる大きな窓は、人が出入り出来ないように細工されていて、せっかくのバルコニーは使えない。そして扉の中にはパネラさんが、外にはラガーマンのような大柄の男が見張りのように配置されている。
これははっきり言って軟禁だ。監禁といってしまっても良い。
不気味なのは、トルタールの目的がハッキリしないことだ。私が狙われる理由は話題の新商品をカルレスさんから奪い取って独占したいからだと言われている。けれど、ここに来てから一度も、私に何かを作るように言ってこない。もし本当に私を攫った犯人が別にいるとしたら、本気でトルタールの狙いが分からなくなってしまう。それが不気味なのだ。
どうしよう。何も作らせて貰えないと、刺繍で助けを求めることも出来ない……
窓に手を置いて外を眺める。高い塀に阻まれて見晴らしは良くないが、それでも外が見えるというだけで少しだけ安心する。
カルレスさん心配してるよね。ちゃんと探してくれてるかな……絶対に探してくれていると信じているはずなのに、不安のせいで疑心暗鬼になってしまう。そんな自分が嫌で、窓にゴンと額をぶつけた。
それからまた三日が経った。何も分からない状態が一番怖いということを、人生で初めて知った。相手が何も教えてくれないので、私も何も教える義理はなく、時折パネラさんに子供扱いされていると感じても、わざと訂正をしなかった。未成年だと思われている方が相手の油断を誘うはずだ。
不安を誤魔化しながらなんとか過ごしていると、パネラさんから夕食をトルタールと同席するようにと言われてギュッと唇を噛む。いつもより豪華な服を着せられ、「淑女の歩行訓練用です」と、間に紐の付いた足輪を両の足首に付けられた。輪と輪を繋ぐ紐は肩幅より短くて、これを付けられている間は走れないようになっている。要はおしとやかに歩くための訓練具という名の拘束具だ。
外させては貰えなくて、仕方なくしずしずと夕食の席へと向かう。白いテーブルクロスが掛けられた細長いテーブルには、トルタールの他に見知らぬ初老の男がいて、覚えのある教会の神父の装束を纏っていたため、心の中でウゲッと舌打ちをしたい気持ちになった。
パネラさんに椅子を引かれ、気の進まないままに座る。すると、トルタールが食前酒のグラスを持って掲げる。
「今日という素晴らしい日を迎えられたことに、神に祈りを。そして、お忙しい中、ご足労頂きました神父様に感謝を」
そう言ったトルタールがグラスを神父と私に向ける。神父は同意するようにグラスを持ち、私に意味深な視線を向けた。意味が分からずに不安な表情のまま座っていると、後ろに待機しているパネラさんに「お嬢様、グラスをお持ち下さい」と言われ、渋々と手を伸ばす。
トルタールは満足そうに笑みを深めた。
それから地獄のような食事会が始まる。トルタールと神父以外は喋る人が居なくて、私は目の前の豪華な食事を意味もなく切って時間を潰した。胃袋が食事を受け付けないので、全然食べられない。
苦痛でしかない時間が流れ、ようやく食後のお茶が出たところで、内心の読めない笑みを浮かべたトルタールが私に顔を向けた。
「さて、楽しい食事もそろそろお開きだ。今夜の本題に入っても宜しいかな」
「勿論ですとも」
私ではなく神父がにこやかに返事をする。
二人は私が頷かなくても問題はないようで、食事中と変わらないやり取りを続ける。ただ、今回は私は部外者にさせては貰えないらしい。
「お体の方は大丈夫ですかお嬢様。お嬢様の噂はかねがね聞いておりましたので、こうしてお会いできたことを光栄に思います」
「……噂ですか?」