復縁編
第一話 会いたくない人
運命なんて信じない。だから、もちろん"運命の人"なんて存在しないと思う。それにもし運命の出会い――的なものがあったとして、そんな素敵な出会いが訪れるのは、気品と優しさに溢れた誰からも愛される美人、もしくは純粋無垢なかわいい子だけ。そう、所謂"ヒロイン"ってやつ。私は違う。どこにでも居そうなつまらない栗色の髪に、低身長。かろうじて二重とはいえ、華やかさとは程遠い平凡な顔つき。それほど賢くもなければ、身体つきも貧相。とにかく、人に誇れるような良いところが一つも見つからない(自虐しておいて、ちょっと口を尖らせている私)。
もし何かの物語に登場するとしたら、ヒロインどころか、ヒロインの友達Aにすらなれないモブ中のモブ。そんなモブの私でも、週末くらいは楽しみます。普段慎ましく暮らしているんだから、それくらいの楽しみがあってもいいよね。
***
「ソレルさん」
席に座った途端、聞き覚えのある声がして、顔を上げた。薄暗い照明の、大人の雰囲気が漂うお洒落な空間。落ち着いた色合いの、横に広いテーブルの向かい側、筋骨隆々のいかつい男性の陰から、ジャケット姿の優男がひょっこりと顔を覗かせこちらを見ている。人好きのする柔和な笑みを浮かべ、ひらひらと手を振る軽薄な様子に、背筋が凍り付いた。
「ななな、なんであんたがここにっ!?」
「こんなところで会えるとは、何とも奇遇ですねぇ」
同期に誘われた、飲み会――という名の合コンで、世界で一番会いたくない人間と再会した。騎士団相手と聞いて参加することを決めたのに、コイツがいるなんて聞いてない!!
「あんた、なんて随分と他人行儀な呼び方しますねぇ。僕たちは旧知の仲だというのに」
降り注がれる視線は、微かな緊張感を滲ませている。中には何が何だか分からないといった様子で、隣同士顔を見合わせる者もいた。爆音を奏で始めた私の心音が、他の人に聞こえるのではないかと思うくらい、場が静まり返っている。未だ胡散臭い笑顔のままの、空気の読めないコイツは無視するとして、この雰囲気は今すぐに変えなければ。
「うふっ。皆さん、失礼いたしました。この方は、私のことをどなたかと勘違いされているようです。先ほどは、つい私も彼の話に乗ってしまったのですが、全く存じ上げない方ですわ。さぁ、気を取り直して飲み物でも注文しませんか?」
慣れないしなを作り提案をすると、リーダー格と思わしき男性がナイスアシストでメニュー表をテーブルの中央に広げてくれた。そして注文を済ませ、飲み物を待つ間にそれぞれ自己紹介をする流れになった……のだけど、それどころではない私は、誰の自己紹介も頭に入ってこない。どうやってこの飲み会を切り抜けるかで頭の中はいっぱいだった。あれこれと思いを巡らせているうちに全員分の飲み物が揃ったらしく、先ほどの男性が「かんぱ~い!!」と活きの良い声を上げる。それに続き、対面に座る笑顔の素敵な男性と軽快にグラスを打ち鳴らした。相手を替え同じことを数度繰り返すが、一名だけは素通りする。寂しそうな顔をしていたって気にしない。だって自業自得だもん。出鼻をくじかれた挙句、尻拭いまでさせられた、こっちの身にもなってよね。
「ねぇちょっと! 何でここにアイツがいるの? 聞いてないんだけどっ!!」
飲み会に誘ってくれた、隣に座る同期の袖を勢いよく引っ張り、コソコソと耳打ちをしたのだけど。
「あー、あの人どっかで見た事あると思ったら、やっぱりソレルの元カレかぁ」
あまりにも他人事過ぎる呑気な声に苛立ちが募る。
「元カレかぁ……じゃない! 騎士団との飲み会に、どうして魔術師団の人間がいるのかって聞いてるのっ!!」
「そんなの知らないわよ! 本人に聞いてみれば? あのさぁ……! 私、あっちの彼と話したいから邪魔しないでよね!」
すでに意中の相手を見つけたらしい同期は、あからさまに面倒くさそうな顔で話を切り上げ、いそいそと席を移動し始めた。気合を感じる横顔を目で追っていると、いつの間にか席が替わっていることに気がつく。私と他一名は来た時のままだけど。何よ、みんなして。さっきの笑顔の素敵な彼はどうしたの。なんだかわからない内に、余り物みたいになっちゃったじゃない。何のためにここに来たと……何のために……。すっかり気落ちしてしまった私は、静かに席を立った。
***
向かった先は化粧室。半身が映るほどの大きな鏡には、華やかなメイクを施し、おろしたてのワンピースに身を包んだ、気合充分の自分が映し出されている。髪の毛は女性らしくハーフアップに結い上げており、普段は童顔と言われがちな顔立ちが、今日は幾分大人びて見える気がする。だけど、冴えない薄茶の瞳に輝きはない。死んだ魚のような目、とでも表現すればいいのか。少し前までは、素敵な出会いがあるかもと胸を躍らせていたのに。そんな浮ついた気分は、今やどこか遠くの彼方に行ってしまった。だからと言って、いつまでもここにいるわけにもいかない。用を済ませ、リップを色味の強いものに塗り直し、新たな心持ちで扉を開くがすぐに閉めたくなった。通路で待ち伏せするアイツと目が合ったからだ。
「ソレルさん、どうして他人のふりをするんです?」
「……」
「素敵なワンピースですね、よくお似合いです」
「……」
しーらない。あなたなんか知らないもん。女子トイレの前で待ち伏せする男なんて嫌だ嫌だ。いかにもな"お世辞"で気を許すと思ったら、大間違いなんだから。私を見下ろす長身の男を無視して、スタスタと早歩きでその場から立ち去ろうとしたのだが。
「ソレル」
鼓膜を震わせる甘い声、ちょっとだけ懐かしい声が頭上で響き、思わず足を止めた。私はこの声にめっぽう弱い。この声で囁かれたら、大抵のことは『ハイハイ』と頷いてしまう。そう、言わば媚薬みたいに危険な声なのだ。
「なにっ? 何か用!? 私はあんたに何の用もないけど、もし何か用があるなら手短に済ませて! 早く戻らないと変に思われるでしょ!」
「やっとこっち向いた。けど、そんなに警戒心剥き出しの猫みたいに威嚇しないでください。かわいい顔が台無しですよ?」
シャーーーー!! 私が猫なら、尻尾太くして、歯を剥き出しにして思いっきりシャーってする。だって会いたくないんだもん。もう二度と会いたくなかったんだもん。それなのに、どうしてそんなに平然とした顔で、私の前に現れるの?
「威嚇するよ……! だって、私たちは半年前に終わってるでしょ? それなのに、突然こんなところに現れて何かと思うもん、フツーは!」
「僕は終わったとは思っていませんよ。一方的に別れを切り出されて、電話も手紙も完全無視。寮に行けば居留守を使われる。職場に行くのはさすがにルール違反だと思って……。そうしたら、プライベートの場で捕まえるしかないじゃないですか」
「あんたあの時、『そう』って言ってたじゃない! 納得したってことでしょ? それにあんたほどの魔術師なら、直接部屋の中に入るくらい朝飯前じゃない!」
出来るのにしなかったということは、本気で会おうとはしてなかったってことなのよ。言ってること全部、パフォーマンスみたいなもんでしょ。
「突然あんなことを言われて、衝撃過ぎて他に何も言えなかったんですよ。だから、あのあと何度も話し合おうと思って、接触を試みたんじゃないですか。さすがの僕でも、女性の部屋に同意なく侵入するのは気が引けたんでね。だが……ふむ、なるほど。ソレルさんのその顔を見ると、本当はもっと強引にして欲しかったっていうことですね?」
一体、私はどんな顔をしていたというのだろうか。シュッとした顎に手を添え、コイツは思案するような素振りを見せている。優しく見えるのは表面だけ。コイツの事だから、絶対に碌なことを考えてないのは分かりきっている。よし、逃げよう。今すぐに。そろーり、そろーり、少しずつ後退し始めたところで、逃がさないと言わんばかりに腕をガシッと掴まれた。
「どこに行くんです?」
「やだぁ、どこにも行かないよぉ……! 行かないけど、とりあえずみんなのところに戻ろう、ね?」
「そうですね、そろそろ皆さん心配しますもんね」
珍しい……珍しいぞ、コイツが大人しく引き下がるなんて……。
……そんな考えは甘かった。席に戻った途端、コイツは気遣わし気な表情を浮かべ、耳を疑うようなことを言い出したのだ。
「ソレルさんの体調が悪そうなんで、家まで送って来ますね」
「ちょっ……」
反論する隙を与えられず、掴まれた腕さえ振り払えないまま、一瞬で別の場所に移動していた。覚えのある妙な浮遊感に、移動魔法を使ったのだと悟る。ここ知ってる。だって、何度も訪れた部屋だもの。生活に必要な最低限のものしか置いていない殺風景な部屋だけど、いつしかここが、私にとって一番居心地の良い場所になっていた。もう二度と来ることは無いと思っていたのに。
「やっと二人になれましたね」
「バカ! 何でこんなことするの!? 卑怯者! 誘拐犯! みんなのところへ戻して!」
「ソレル」
またその呼び方……。柔和な笑顔と魅惑的な甘い響きに一瞬怯みかけたけど、どうにか持ちこたえた。
「な、なによ!?」
「どうしても君と二人で話したかっただけなんだ。君が嫌なら、金輪際君の前に現れないと約束する。これで最後にするから」
情に訴えるような視線にたじろぐ。それだけじゃない、日頃丁寧な口調のコイツは、ここぞ、という時に甘い声でタメ口を使う。今もそうだけど、他にはアレする時とか……。そういうところ、本当ずるいんだよ、もうっ! そう思いながら、なんだかんだで絆されてしまう自分が一番嫌だ。
「わ、わかった。じゃあ、話が終わったら帰るから、何? さっそく始めて」
「その前に、君の好きそうな茶葉を手に入れたので、お茶を淹れてきますね。そこに掛けて待っていてください」
長い指先が示したのは、座り心地が良いことを知っている上質なソファ。あまりに何もない部屋だから、二人でくつろげるものが欲しいと私が言って、快諾したコイツが用意したものだ。躊躇いながらも黙って腰を下ろすと、嬉しそうに目を細めたコイツはキッチンへと踵を返した。先ほどからコイツコイツ連呼している人物の名前は、『クレム』という。忘れたくても忘れられないクレムとの出会いは、今から二年ほど前まで遡る。
第二話 出会いと別れ
一応、貴族のはしくれ……男爵家で育った私は、貴族の令嬢が通うお嬢様学校を卒業し、十八歳で宮廷の総務課に就職した。そこでは武器修繕係に配属されて、受付業務を担当することになった。
「今度第一宮廷魔術師団との飲み会があるんだけど、女の子が足りなくて。良かったら、ソレルちゃんも参加しない?」
業務にも人間関係にも慣れてきた頃、当時、同じく受付担当をしていた先輩から声をかけられて、人生で初めて『飲み会』というものに参加した。その時私は衝撃的な出会いを果たす。ドキドキの人生初飲み会の場にいたのは、長身痩躯の金髪おかっぱイケメン男子。そう、そのイケメン男子がクレムだ。こんな人宮廷内にいた? 今まで気がつかなかった! 男性とお付き合いしたことなんてなかったけど、あまりに見た目がどストライク過ぎて、彼のことは二度見したほど。クレムは容姿が整っているだけでなくて、育ちが良いのか物腰も柔らかく、初めての飲み会で緊張している私に、何度も優しく話しかけてくれたのを今でもよく覚えている。魔術師団に所属しているところもポイントが高かった。剣にしろ魔法にしろ、総務課の私には一切扱えないものだから、どことなく憧れがあって、見目の良さも相まってすごくカッコいいと思ってしまったのだ。それに加え、当時二十三歳のクレムはとにかく大人びて見えた。会話から所作まで全てがスマートで。飲み会の間、飽きることなくずっと彼だけを見ていた。今思えば、あまりにも見過ぎていて、『好き』がダダ漏れしていたんだと思う。帰り際に『連絡先を教えて欲しい』と耳打ちされて、心臓が皮膚を突き破るんじゃないかと思うくらい驚いた。あとの展開は早かったと思う。二度三度と二人で会ううちに、自然と恋人同士になっていた。キスも、それ以上のことも、あんなことやこんなことも、全部彼から教えてもらった。男性とお付き合いするのが初めてだった私は、瞬く間にイケメンで優しい彼の虜になった。誰に対しても丁寧な口調のクレムが、私といる時にだけ砕けた口調になるのも、彼の特別な存在になれた気がしてすごく嬉しかった。嫌われないように細心の注意を払い、少しでも彼に釣り合うよう身だしなみにも気を付けて、会うたびにもっと好きになって欲しくて……。夜のお誘いだって、彼の望むまま積極的に何でも応えた、と思う(経験値が圧倒的に低いから、勘違いなら謝るけど)。今でこそこんな口を利いているけど、純粋だった当時の私は、いわゆる借りてきた猫状態。ひたむきに彼を想い、とにもかくにも従順だった。だから、彼のお兄さんに『弟と別れて欲しい』って言われた時も、何も言い返せなかった。クレムのお兄さんは、若くして第一宮廷魔術師団の副団長を務めている。彼のお兄さんいわく、いずれは、クレムと二人で魔術師団のトップに上り詰めたいらしい。そんなわけで――家格の低い男爵家出身、そして宮廷でも大した業務に就いていない私は、彼に相応しくないんだって。私と付き合っていても、クレムにとって何のメリットもないんだって。そもそも私とは遊びなんだって、ハッキリ言われた。身を固める前の遊びで手を出したのに、君程度の女に本気になられて、弟は困ってるって。なーんだ、そうだったのか。確かに、普段のクレムは優しかったから、ずっと本当のことを言うタイミングを逃してきたのかもしれない。『君とは遊びだ』って、もっと早い段階で……ううん、初めに言ってくれたら良かったのに。そうしたら、こんなに本気にはならなかったのに。
「一年半近く付き合ったから、もしかしたらこのまま結婚するかと思ってた……。クレムは運命の人かなって。……私ってバカだなぁ」
静かな独身部屋に、涙声が虚しく響いた。