なんとしてもこのフィガロ魔法学校を卒業しなければならぬ、しかも首席で。
ゾーイはそう決意していた。
理由は二つある。
一つは、大変残念な婚約者とおさらばするためだ。
ゾーイの婚約者はフィガロ魔法学校の同級生でもあるのだが、ことあるごとにゾーイを見下してくる。成績優秀者で表彰されたゾーイに対し、賞賛の言葉などかけない。それどころか、裏で嘲笑する。優秀であろうが、どうせ卒業後は結婚するのだから無駄だと陰口を言う。
これはいけない。ハラスメントの気がある。結婚後、夫の言動により精神を破壊される未来が見える。絶対に避けたい。
出来る義姉などは「夫というものは調教すればいいのよ」と言うが、ゾーイにはあの婚約者をよしよしするのは無理だ。場合によっては、現婚約者は自分の健やかな未来を脅かす障害になる可能性がある。
それにゾーイは障害を乗り越えるのではなく、物理的に破壊して見晴らしを良くしたいタイプである。というか、調教が必要な兄でごめんなさい。
とにかく、大変残念な婚約者をリリースしたい。
もともとはゾーイを溺愛する両親がまとめてきた縁談。こちらは裕福な商家ではあるが平民で、婚約者は伯爵家の息子である。
家柄は良いのだし、いっそ他の女性といい感じになってくれたらいいと思うこともあった。そして巷で流行りの小説のように、浮気相手を侍らせて婚約破棄を宣言されるのだ。ゾーイだって傲慢な成金の娘っぽく演じることが出来るし、そのために婚約者の浮気相手に多少の嫌味を投げることくらいやぶさかではない。
だが、現実はそうはいかない。この魔法学校には貴族であろうと婚約者のいる男に粉をかけるような愚かな女生徒はいない。単純にゾーイの婚約者がモテないだけかもしれないが。
婚約者が大変残念であること以外は、結婚に向けて大きな問題はなかった。つまり、卒業後の結婚は既定路線。卒業後の就職も認められない可能性がある。
せっかく魔法学校で優秀な成績を収めている自分がその力を社会で発揮できないなんてもったいないではないか。これは教育の敗北ではないかという旨を、ゾーイは婚約者に問うた。もちろん、控えめに。
「わたしが魔法学校を卒業してすぐ結婚してしまうと、業界全体の損失になると思いません?」
「なんて生意気な女だ。卒業してすぐの魔法使いなんて役に立たないだろ。主席でもない限り」
お分かり頂けただろうか。
ゾーイは控えめに考えを伝えるということについては盛大に失敗したものの、婚約者の言質を取った。
つまり、首席を取り、社会に貢献出来ることを証明すれば卒業後すぐの結婚は反故に出来る可能性があるのだ。
もちろんゾーイは食い気味に「今の、つまり首席取ったら就職していいということでいいですよね!? 男に二言はないですよね!?」と確認した。婚約者はたじろぎながら頷いた。
首席を取り、就職して働くのだ。婚約者は卒業後どうするのか知らないが、家の仕事をするにせよ就職するにせよ、きっと貴族の社交界に出るのだろう。そしてその中で似合いの相手を見つけてくれたら万々歳である。意地の悪い女を演じて婚約破棄へ持ち込むイメージトレーニングは完璧だ。
首席で卒業したい理由の二つ目は、就職先に関係する。
フィガロ魔法学校は国内トップの魔法学校であり、成績上位の卒業生には魔法関連施設への就職が優遇される。ゾーイが狙っているのは国の公的機関である魔法省だ。
魔法使いなら皆が憧れ、目指す地位。濃紺で裏地が臙脂【えんじ】のマントはその象徴だ。かっこいい。素敵。
特に、魔法省は異国への移動が自由に出来るというのがゾーイにとって大きな魅力だ。
世界の魔法使いには国同士の国交とは別の、魔法使い独自の枠組みがあり、異国との交流が盛んだ。魔法使いが転移魔法で自由に行き来できてしまうので、移動の制限が実質無意味であるという面も大きい。
ゾーイの実家であるリューマン商会は魔法具も扱っているが、他国の製品、特に国交のない国相手では入手がしづらい。ゾーイが魔法省に入れれば、そのあたりの情報収集も容易となる。
今は実家で猫可愛がりされているゾーイだが、自分だってリューマン商会の役に立てることを示したい。いや、今後なくてはならない存在になりたい。そのためには魔法省に入らなければならない。公私混同甚だしいが、バレなきゃいいのだ。
さて、婚約者とのお別れと将来のキャリアのために首席で卒業したいゾーイは、順調に優秀な成績を収めて最終学年となり、卒業試験を迎えていた。
卒業試験は約半年をかけて行われる。筆記、戦闘実技、調薬の三試験が課され、筆記と戦闘実技は問題なくクリア出来るであろう。
最も時間のかかる調薬。
学生が難易度を選択出来るその試験で、ゾーイは当然最高難易度の試験を選んでいた。
そしてその調薬リストを渡されたゾーイは、教官を前に固まっていた。
「…………」
出来上がりが何の薬なのかは明示されてはいない。調薬のための魔法も自分で検討しなければならないが、その材料だけは記されている。
精霊の泉の華散草、月明りを吸光させた鷲の羽、青百合、朝露花の根──。
一見それらの材料に繋がりはないように見えるが、よく考えると植物や家畜の生育を促したり、付与した魔法の効果を定着させたりする類のものが多いように思える。
一体なにを生育させようとする薬なのか──。
沈黙したまま考えていると、教官が補足した。
「リューマン君、もちろんこれは最高難易度の調薬だ。校長自らが開発された魔法薬であるが、まだ完成には至っていない」
「校長が……」
四半世紀をフィガロ魔法学校の統率者として君臨している校長の実力は、当然ながら国一番である。その男が編み出した魔法薬。ゾーイは校長の姿を思い浮かべていた。
長い濃紺のマントには象徴として金の獅子が刺されている。見た目は好々爺然としていて小柄だが、秘めた魔力は絶大だ。表情の読めぬ口元にはひげを蓄えている一方、頭部はきれいに禿げ上がっており──。
「あ」
「なんだ」
気付いてしまった。
「もしかしてこの薬って校長の頭のいくも」
「みなまで言うな」
教官が咳払いする。
「わずかな材料だけで仮説を立てられるのはさすがだな、リューマン君」
「恐れ入ります」
「だが、全てを明らかにしないというのも賢い人間には必要なスキルだ」
「わかりました」
想像していた薬で正解らしい。教官のありがたい教えに頷いて、ゾーイは改めて材料リストに目を落とした。
数枚に渡る材料リスト。数は多いが、扱ったことのある材料もある。卒業試験においては、それらを購入することは認められていない。自ら採取することも試験の一部だ。
ゾーイは魔法学校の学生の中でも珍しく転移魔法を使えるので、大半の材料は問題なく入手出来るだろう。
だが、一つだけ分からないものがあった。
「吸血鬼の汗……」
教官が片方の眉を上げて意地悪く笑う。
「最高難易度だな、リューマン君」
吸血鬼という人種は、いる。
だが、数が少なく日常生活でお目にかかることはない。ゾーイも会ったことはない。
「先生、吸血鬼の汗が入手できないためにこの薬はこれまで完成していないのですか?」
「いや、単純に忙しいから」
思わずずっこけそうになった。
ただ、理解はできた。校長のいくも……いや、これ以上はいけない。この大変個人的な薬の作製に割く時間はないのだろう。魔法使いは多忙だ。
「吸血鬼の汗が一番難しいだろうな。どうする、リューマン君。難易度を下げてもいいぞ? ただ、校長は君に期待している」
「やります!」
ゾーイは力強く頷いた。
首席卒業のためなら、校長の大変個人的な薬だって全力で取り組む所存である。
鼻息荒くやる気を宣言して教官室を出たゾーイではあるが、さて、どうしようと足を止めた。
最も入手が難しい、『吸血鬼の汗』。
吸血鬼という人種は古くは数多くいたらしい。生命維持のために人の血液の摂取が必要不可欠であり、飢えた吸血鬼が人を襲うこともあったことから、忌避される存在として迫害されていた過去があった。
しかし人工血液が開発され、吸血鬼が存在を認知されることはずいぶんと減った。人工血液で飢えを凌ぐことが出来るようになった吸血鬼たちは、被差別を避けるため、自身の特性を隠して社会に溶け込んでいったものと思われる。
以上がゾーイが得ている知識である。
つまり、誰が吸血鬼であるか見た目ではわからない。
吸血鬼は血液を得ることを目的として人に近付くため、美しい見た目をしていると言われている。だが、見た目が美しいか否かは人の好みにもよるだろう。
ちなみに、ゾーイは体格がよくて溌剌とした異性がタイプだ。声が大きければなお良い。生命力あふれる人間というのは魅力的だ。
だが、あいにく自分の婚約者はそれに当てはまらない。ひょろいし、なまっ白い。声は無駄に大きいけれども。
話を戻そう。
見た目で吸血鬼を識別することは難しいが、別の方法があることをゾーイは思いついた。
自分の実家が商会であることを利用するのだ。
「パパ!」
「ちょうどよかった、ゾーイ。新支店お披露目会の洋服はどうしたい? ママが仕立て屋を呼ぶから一緒にどうかな」
「わたしは制服でいい……、って、それ」
勢いよく自宅の書斎に入ると、父が大きな図面を広げているところだった。リューマン商会の新しい支店が立ち上がるのは再来月のこと。そのお披露目会の席次を検討していたらしい。
自分の名前の隣に残念な婚約者の名を見つけたゾーイはぎょっとした。完全に、外堀を埋められつつあるではないか。
「パパ。まだ卒業前だし、彼は呼ばなくてもいいと思うんだけれど」
「すぐに卒業じゃないか」
首席卒業すれば婚約者からおさらば出来るのに、その前に公認になってしまうのは困る。これまでの社交の場はまだ学生ということもあり逃れてきた。二人で連れ立って夜会等に出たことはないのだ。
「彼とはこの先どうなるか分からないわよ!」
「えー、もう声かけちゃった」
「パパー!!」
「まあ、関係者に顔を覚えてもらえるいい機会だし」
有能な商人は仕事が速くて困る。
ゾーイが「まだ結婚する気ないのに」とぼやくと、父は「今はそうかもね、ゾーイ」と苦笑した。
これである。
兄二人と歳の離れた末娘のゾーイ、可愛がられているのはいいが、どうも十七という歳よりもずいぶん幼い少女のように思われているようなのだ。
まだなにも分かっていないのだから、可愛い末娘の明るい将来のために、確実なレールを敷いてあげようという押し付けがましい親心を感じる。また、ゾーイが両親に意見を述べたところで、「可愛いゾーイがいろいろ考えられるようになったね」という具合に、完全に軽んじられている。
両親はゾーイを普通の女学校に通わせたかったようだ。しかしそこでゾーイがわがままを通したのがフィガロ魔法学校への入学であり、対して両親が末娘のために用意した最高の未来が伯爵家との婚約であった。
なぜあの残念な婚約者との結婚が幸せに繋がるのか、彼本人を見て判断して欲しい。