23 友人の結婚
ヴェルフェランの長い冬も折り返し地点を過ぎた頃、アキとイゼルは婚約した。アキは、トリヤーナにそのことを伝えようと思った矢先、そういえば彼女にはあの見合い以降、何も話していなかったことを忘れていたのだ。流れたはずの見合いがいつの間にか婚約にまでいたっていたことに、トリヤーナは一瞬呆然としたのち、ぷりぷりと怒りだした。
「……なして黙ってた?」
「ごめん」
愛らしい顔を不満げにしかめているトリヤーナにアキは頭をたれた。
「わざとじゃないんだけど」
何も聞かれないのをいいことに黙っていたのは確かだが、例の爆破騒動で、余裕もなかったことも確かだ。
「おらはせっかくお姉様にはいい人をと思っとったでよ」
「うん、ごめん」
彼女には悪いと思ったが、アキとしては自分がイゼルと付き合っていることはなるべく知られたくないことではあった。恋愛話に花を咲かせる若さはとうになく、無駄に歳を重ねたせいで芽生えた余計な警戒心が彼女を慎重にさせた。
「それで、どんな経緯があったんだに?」
一方のトリヤーナはその顔に笑みを浮かべながらも、目が笑っていない。アキが話すまでは引き下がらないといった様子だ。
アキはテーブルに置かれたワイングラスを手に取ると一口飲んだ。いつもは自分が聞き手になることが多いので大変気まずい。どこから話せばいいのかわからない。
「何か私が誤解をしていたみたいで」
アキはもう随分と前に感じるあの見合いのことを思い出しながら彼女に説明をしていく。きっかけとなったあの二年前の日のことは恥ずかしすぎるので端折った。
「それで、誤解が解けてからは家で一緒にご飯を作って食べてました」
先を促すようにじっとこちらを見つめてくるトリヤーナに、アキは首をかしげる。付き合いをはじめてからは、もっぱらそれしかしていない。
「……それだけかや?」
「あ、収穫祭には一緒に行った。爆破が起きてお互いすぐ仕事に戻ることになったけど」
アキとイゼルの地味なやりとりは、若い乙女の好奇心を満たすような話ではなかったらしい。アキは内心、申し訳ないと思いつつも、ない袖はふれなかった。
「あ、あとこの間の出張も一緒に行った。あれは完全に仕事だったけど」
トリヤーナは呆れた表情で手にしたワインをグイッとあおった。
「そん男も仕事人間なんかや」
「そんなことないよ。畑で採れた野菜をいつも持ってきてくれるし、すごい繊細な木彫りのスプーンとか作ってくれるのよ」
トリヤーナはアキのことも指して言ったのだが、当の本人はまったく気づいていない。ちょっと待ってて、と言ってアキは自室に行くと、布に包まれたものを大事そうに持ってきた。トリヤーナはなんとも微妙な顔をしている。
「ほら、見て」
嬉しそうにイゼル手製のスプーンを見せてくるアキに、トリヤーナは内心、(畑ってなんのこと?)とか(手彫りのスプーンは確かにすごいけど、これを貰っても正直困らないか?)等と考えていたのだが、アキが幸せそうなので黙っていた。
「お姉様が幸せそうで少し安心したずら」
トリヤーナの言葉にアキは気恥ずかしくなった。ずいぶんと年下の友人に心配をかけてしまった。
アキが照れくさそうにしているのを見て、トリヤーナはふと視線を落とした。
「実はおら、里に帰ることになったんだに」
そう言うトリヤーナの頬が少し赤いのは酒のせいだけではない。アキはその先の言葉がなんとなく予想できたので、嬉しいような残念なような気持ちになった。まだあと数年はこうして一緒に騒いで話すことができると思っていたのだが、随分と早くなってしまった。
「結婚するの?」
「んだ」
彼女は言葉少なに肯定して微笑んだが、その顔には戸惑いのようなものも浮かんでいた。
アキは、すでに何度目だかわからなくなった祝いの言葉を述べた。大学を卒業してからというもの、こうして結婚していった学生時代の友人とは段々と疎遠になっていったことを思い出す。会社の同期や後輩も、結婚を期に会社を辞めていった。やがて彼女たちに子どもができると、ますます会う機会は減っていく。
いつかは、また昔のように会ってくだらない話に花を咲かせることもできたのかもしれないが、アキが彼女たちに会うことはもうないのだ。
「こっちの子は本当に早いね」
「いや、おらも予想外だで」
確か彼女は二十を少し過ぎたばかりだったはず。聞けば、トリヤーナにとっても急な話だったそう。本人は王都での生活をまだ満喫していたかったようだが、婚約者の都合で予定よりも早く切り上げることになったと言う。
「手紙を書くでよ」
「うん。結婚式には呼んでね」
アキは心の奥でかすかに感じる寂しさを押し隠してそう言った。数少ない、この世界でできた友人の門出を精一杯喜んであげたいと思った。
次の日、執務室の机でアキは少しばかりたそがれていた。
「おい」
呆れた調子のコンラスの声がして顔を向けると、彼は眉をひそめて書類をバシバシと手に打ちつけた。
「これ、丸々抜けてたぞ」
慌てて意識を戻して紙を受け取ると、それはつい先程処理したはずの調査記録だった。何枚か確認しそびれていたらしい。
「珍しいじゃねぇか」
「すみません」
いつになく気がない様子のアキに、コンラスは腕を組んで見やった。アキの弁解を聞こうという顔をしている。
「友人が、結婚するんですよ」
「……お前もするだろうが」
「……そうでしたね」
本気で忘れていた、という顔をするアキに、コンラスは半目になった。
「もう会うこともできなくなるんだなと思うと寂しくて」
コンラスはいまいちわかっていない様子で「会いに行きゃいいだろが」と言ってきた。それができていたら今こんな気持になっていない、とアキは心の中で一人ごちた。恐らく、人生のステージがあまり変わらない男性にはこの気持ちがわからないのだろう、と恨みがましくもなる。
「俺も結婚して子どもができると確かに会う機会は減ったが……」
コンラスは、アキの言わんとすることを理解していたようで、慌てて付け加えた。
「まったく会えない、というわけじゃなかったぞ。そんな今生の別れみたいな顔すんな」
アナもそうだ、とコンラスは言う。子どもが三人もいる彼女のどこにそんな時間が? とアキが問えば、「オレが家で子どもを見てた」と言った。
「……意外ですね」
「失礼なやつだな」
アキの失言もさほど気にとめず、コンラスは「俺は尽くす男なんだよ」と言ってニヤリと笑った。
「で、お前のほうはいつにするんだ」
突然自分にふられた話の意味がわからず首をかしげるアキに、コンラスはため息をついた。
「お前、本当に結婚するのか?」
それが自分の結婚のことを聞かれているのだとようやく気づいたアキは慌てて首を縦に振る。また妄想だとかなんだとか思われたらたまらない。
婚約はしたものの、結婚についてはまだ何も決まっていなかった。いつものようにアキの家でくつろぐイゼルとは、雪が溶けて春になったら、という話はした。ちなみにこの国の春は他国より一月は遅い。厳寒期は過ぎていたものの、まだ数ヶ月の余裕があることに加え、なんとなく実感が湧かなくて、具体的な話ができていないのである。
「なるべく早めに話は進めておけよ。後になって痛い目見るぞ」
やたら真剣な顔で説くコンラスは、どうやら経験者らしい。結婚式直前になって揉めた挙げ句、アナと大げんかをしたそうだ。「結婚式なんてもう二度とやりたくない」と嫌そうな顔をするコンラスに、そりゃそうだろう、とアキは心の中で突っ込みをいれた。
寒い日と暖かい日が交互に続き、ようやく日中は温かい日差しがさすようになった頃、トリヤーナは故郷のウェルドラへと帰っていった。
城を下がる日、彼女は涙をためた目で必ず手紙を出すと約束すると、アキに抱きついてきた。自分よりも小柄な身体は華奢なのかと思えば、意外とがっしりしていて、やけに力強かった。
(あれ、トリヤーナって結構筋肉質だった?)
しんみりとした雰囲気の中、アキは場違いにも頭の片隅でそんな感想を抱いていた。