1.
北部の冬は厳しい。
充分な蓄えが無いものから、死んでいく。そうして、そういった遺体は冬の間、処理をされることもなく、雪深くに埋められ、春が来るまで放置される。
当然だ。暖炉にくべる薪すら惜しいのに、どうして死んだもののために限られた資源を使わなければならないのか。
春が来て、雪が解けると同時に、冬の間に亡くなった人々の葬儀が執り行われる。
誰も助けてくれない。近隣に手を差し伸べていたら、一緒に奈落へ落ちて、死んでしまう。
私が生まれた場所は、そういう所だった。
*
「ねえ、一緒に王都行かない?」
甘えた声が耳朶をくすぐる。私はスープをすくった匙を手に持ったまま、目の前の相手をじっと見つめた。
美しい灰色の髪、そこへそっと彩りを添える緑色の瞳。眦は柔らかく、一見すると優しく、穏やかな印象を抱く。通った鼻筋に、すらりとした頬の輪郭。まるで美少女のようにも見える童顔は、生まれ持ってのもので、昔はよく性別を間違えられていたことを思い出す。獣人の証である白銀の立て耳が、ぴこぴこと揺れるのが見えた。
「そろそろここ、冬来るし。フェルシアの冬支度、あんまり上手くいってないって聞いたよ」
「どこから……」
「隣の家のお姉さん。俺が聞いたら直ぐに答えてくれた。行商が上手くいかなかったんだって? 大変だね」
……どこまで筒抜けなんだろう、とか、今度から隣の家のお姉さんに相談をするのはやめよう、とか、ぼんやりと考えながら私は首を振る。
「どうせたぶらかしたんでしょ」
「あっ。酷い言い方だな。違うよ。教えて貰っただけ。こうやって――ね」
言いながら、目の前の相手――リュカは、私の手首にそっと触れた。指先をくすぐるように動かして、そのまま手の甲に手の平を重ねてくる。指の隙間を縫うようにリュカの細い指先が動くのが見えた。
「それをたぶらかすって言うの。離して」
「ほんっと、フェルシアって、俺のこういうの、効かないよね」
「幼なじみにされても嫌なだけっていうか、普通に嫌」
あは、とリュカが小さく笑う。何がおかしかったのかわからないが、どうにも楽しそうに息を弾ませて、目を細める。美しい緑の瞳が細まる、それだけの行為なのに、リュカがするとなんとも言えない艶が滲む。
世の女性は、彼のこういうふとした時の仕草から香る色気に騙されているんだろうなあ、なんて思いながら私はリュカの手を払い、夕飯であるスープを口に含んだ。材料を少なめにして作っているのもあって、味は中々に薄い。
外は静かで、窓の向こうには夜が広がっている。陽が落ちてから外を出歩く人はほとんど居ない。辺境と呼べる場所にあるこの街には、街路を照らす灯りなんてものは存在しない。外へ出てしまったら、点在する家が放つ光だけを頼りにすることになる。そんな状態で、好きなように歩ける人はほとんど居ないだろう。――人より様々な感覚が優れているなら、ともかく。
リュカは楽しげに目を細めて、私を見る。美しい毛並みの尻尾を揺らしながら、言葉を続けた。
「ね。フェルシア、美味しいもの好きでしょ? 王都に行ったら美味しい料理も沢山あるよ」
「それはそうでしょうけど」
「それにほら、フェルシアは寒いの苦手でしょ。王都は周辺に暖気膜が張られているから、どこも暖かいよ。夜に出歩くのだって、全然問題無いくらいで」
「らしいね」
「他人事過ぎるでしょ」
リュカが小さく笑う。彼は私と話す時、簡単なことでよく笑った。今も、私にはよくわからないツボがあったみたいで、くすくすと喉を鳴らしている。
「どうして一緒に来てくれないの?」
「どうしてって……。むしろどうして、一緒に行かないといけないの?」
「俺がフェルシアに一緒に来て欲しいから」
リュカはあっけらかんと言葉を口にする。――この問答を繰り返すのも、一体何度目だろうか。
リュカが治癒術士としての才能を開花させ、ほとんどの時間を王都で暮らすようになってから、毎年のように繰り返している気がする。
「それにほら、フェルシアのこと抱きしめないと上手く眠れないんだよね、俺」
「私以外に抱きしめさせてくれる人が居るでしょ、リュカには」
呆れたように言葉を返すと、リュカは小さく微笑んだ。そうして、どうだろうね、なんて、囁くように口にする。どうだろうね、と言う時点で、もう答えているに等しいことをわかっているのだろうか。
「まあなんにせよ、また考えて教えてよ。俺も戻ってきたばっかりだし、まだこっちに居るから」
「何度言われても多分行かないよ」
「そう? それはわからないよ。もしかしたら気が変わる可能性だってある」
ふ、と息を零すように口にして、リュカは立ち上がった。
「じゃあ、帰るね」
「……気をつけてね」
声をかけると、リュカは瞬く。柔らかく微笑んで、「うん」と囁くと、勝手に入ってきた時同様、さっと場から逃げるように私の家を去って行く。静かに閉まる扉を見つめてから、私は小さく息を吐いた。
リュカは、私の幼なじみだ。エレモス王国の北部の、極寒しかない田舎町で生まれてからずっと、友人としての付き合いが続いていた。
幼い頃は年が近いこともあって、ほとんど家族や、きょうだいと言っても差し支えのない関係性だったと思う。仲が良かったのだ。
だがそれは、リュカに治癒術士としての才能が開花するまで、の話である。
エレモス王国では、一定の年齢を迎えると、王都で魔法検定を受ける必要がある。どういった魔法に適性があるのか、どういう特技――スキルと呼ばれる――を持っているかを、王様のお膝元で審査するのだ。
むろん、もれなく私とリュカも同時期に魔法検定を受けることになった。そうして、リュカの治癒術士としての才能が、そこであらわになったわけである。
エレモス王国は比較的貧しい国で、それもあって治癒術士は重宝される。薬などを買う余裕が無い場合においても、治癒術士の手によって病気や怪我を治すことが出来るからだ。
リュカは早速、とばかりにエレモス王国直属の治癒術士として指導を受けることになり、私とは離ればなれになることになった。
美少女もかくやというような子どもが、はらはらと涙を零しながら「フェルと離れたくない」と泣いていたのは記憶に新しい。私も同じように泣いて、リュカの手を取りながら、一緒に抱きしめ合ったものである。
それから数年。リュカは成長して、帰ってきた。
――クズ男と言って差し支えのないくらいの、性格を携えて。
リュカは獣人である。だから発情期というものがついて回るのだが、彼はそれをそこらへんで引っかけた女の子相手に発散している、らしい。というか実際、そういうことをした相手がここまでリュカを探しにやってくるのだから、らしい、というのは正しくないだろう。最低最悪の存在である。
昔はそんなことなかったのに、王都で何があったのか、リュカは女の人を甘い言葉で騙し、一夜を過ごすことも多くなった。たぶらかした女性なんて、数え切れないくらいだろう。
最初こそ、帰還を喜んでいたが、リュカが帰ってくる度に持ち込まれる色々ないざこざに巻き込まれ続けて、もう帰還を素直には喜べないようになった。
あんなに可愛かったのに、今では自身の美貌をあますことなく利用し、自身の欲を吐き出す先を常に探している、クズの中のクズである。
私は小さく息を吐く。そうして、リュカの家がある方向へ、ちら、とだけ視線を寄せた。
きっと明日も来るのだろう。リュカはこの街へ帰ってくると、私の家に入り浸るのだ。それこそ、朝から晩まで。昔のようにフェル、フェル、と甘く柔らかな声で呼びながら行く先々に付いてくる。
クズの中のクズ、ともの凄く強く思うのに、それでも邪険に出来ないのは、そのせいだろう。私は小さく息を吐いて、鍋や食器類を片付ける。
今日、急に帰ってきたリュカは、まるで当然のように私の家へやってきた。生家で過ごすことなんて、多分寝る時くらいなものだろう。起きてすぐ、自分が居る場所はここであるとばかりに私の家に直行してくるので、リュカが帰ってくるとリュカの対応に追われてしまいがちだ。
明日からの日々を思うと、何とも言えない気持ちになる。ただそれでも、多少なり顔を見ることが出来て良かった、と思ってしまうのも、嘘では無い。相反する気持ちが心の中でぐるぐると巡る。それを必死に飲み下しながら、私はベッドへ向かった。
布団を被って、そっと目を瞑る。両親におやすみを告げてから、私は眠りに落ちた。