第1話 ルビエラの子守唄
「なんか……、今日は元気なくないですか?」
「駄目ね、隠していたつもりなんだけど」
今回、二回目の王宮へのお呼ばれだった。初回はダニエルも一緒に来て、「身内だけの簡単な昼食会だから」と言われ、ゴージャスなお昼をいただいた。
今日はガーネットがアンネローゼに音楽を教える初回授業日だった。ピアノの音に合わせた発声練習をひたすらしただけなのだが、そこになぜ無関係なルビエラが参加していたかと言うと……。
★★★
「贅沢よね。ガーネットさんの歌声をこんなに何回も聞けるなんて」
ガーネットが優雅にお辞儀をし、興奮気味にアンネローゼがパチパチと拍手をした。
昼食会のお礼にと、ガーネットが歌を三曲披露したのだ。一曲は誰もが知っている子守唄、次曲は上演中のルマンチャの恋から一節、最後に次回公演予定の未発表曲。
「全くだわ。しかも、次回公演の曲を先に聞けるなんて。ウフフ、夜会の時に自慢しちゃおうかしら」
残念ながら王太子は視察の仕事が入っていてこられなかったが、王太子妃のサリナがホステスとしてこの昼食会を仕切っていた。
さすがアンドレの妻と言うべきか、アンネローゼの母と言うべきか、平民出身のガーネットやルビエラにも気軽に話しかけてくれ、ノリはどこにでもいそうな陽気なお姉さんだった。見た目は金髪碧眼の正統派美女なのだが。
「それはいいかも。王太子妃がガーネットと親しいアピールをしてくれれば、ガーネットに手を出そうなんて奴もいなくなるだろうしな」
「任せて! なんなら、夜会に招待して私から皆さんに紹介するわよ。前にゴールド侯爵夫人がガーネットさんのファンだって言っていたもの。うちの義妹達もガーネットさんに会いたいって言うわ」
この場所で唯一の男性であるダニエルは、食後の紅茶を飲み干すと、ちらりと時計を見て立ち上がった。
「その時はよろしくお願いします」
「あら、もう帰るの?」
「仕事が残っているので。ルーも一緒に帰……」
「ダニエルおじさまは一人で帰って! まだルビちゃんとお食事しかしてないもん。これからルビちゃんで着せ替え遊びするんだから。ねえ、ルビちゃん」
同意を求められても……。
ルビエラはひきつった笑顔で曖昧に微笑む。まさか王太子の第一王女様に「嫌です」なんて言えないじゃないか。
「あら、それ楽しそう。お母様も混ぜて。お母様のドレス貸してあげるわ」
「ルビちゃんなら、私のドレスでもいけると思うけど」
いくらチビでも、八歳児のドレスは無理だ。主に胸が。
「ルビちゃんにはアンネローゼ様のドレスは無理ですよ。ほら、細いようでいてお胸が」
ガーネットに制服のワンピースを後ろから引っ張られ、胸を強調させられる。ルビエラは、持っている洋服の中で一番の正装である騎士団の制服を着て来たのだ。私的な昼食会だからドレスも変だし、かと言って王宮に安い私服も着てこられない。騎士団の制服ならば、一流のララ・ベルトモンド衣装店がデザイン製作したものだから、失礼にはならないだろうと思ったのだ。
この制服、ダニエルのこだわりの逸品だ。前の制服は身体にフィットしたツーピース(スリットが深く入った膝丈のスカートに、細身で短い丈のノーカラージャケット。中のシャツは、シンプルだが胸元が開いたものからフリルがついたものまで多数あった)だったが、新しい制服はシックな焦げ茶のロングワンピースで、露出が少ないのはもちろん、身体のラインが目立たない作りになっていた。しかし、それでいて上半身の緻密な刺繍は高級感があり、スカートの後ろ側に贅沢にドレープがつけられており、歩くとひらひらと揺れて可愛らしかった。
「ガーネット!」
「別に女性しかいないんだからいいじゃない。というか、どさくさにまぎれて触らない」
ルビエラの形の良い胸が強調されて、ダニエルは慌ててルビエラの胸を手で隠していた。
「ダニエル、子供の前で破廉恥ですよ。ほら、早く仕事に戻りなさい」
「いや、でもルーを置いては……」
「ちゃんと帰りは王宮の馬車で送ります」
サリナにも追い立てるように言われ、ダニエルは渋々と一人部屋を出て行く。
ルビエラ的には、「ちょっと待って! 置いていかないで……」という心境だったが、さすがにここで「私もお暇いたします」とは言える雰囲気ではなかった。
その後、場所を移動して王太子妃の自室(!!)に連れて行かれると、あとはアンネローゼとサリナの独壇場だった。
何故かガーネットがノリノリでルビエラの化粧と髪型を整えている間に、二人がルビエラとガーネットに着せる衣装を山程持ってきて、リアルお人形さんごっこが始まった。
元から美しいガーネットはどんなドレスも似合うのは当たり前だが、ルビエラの振り幅が大き過ぎて、ついアレもコレもとなってしまったのだ。
「ルビちゃん、あなた歌劇団の花形にもなれる逸材じゃない?」
サリナまでついには「ルビちゃん」呼びになってしまった。
「そんな訳ないじゃないですか」
「あら、ルビちゃんの見た目なら全然アリじゃない? 私とキャラかぶらないし、違う層のお客さんもゲットできそうね。ね、事務官なんか辞めて、うちの劇団に入れば? 事務官より稼げるわよ」
「うわぁっ、ルビちゃん歌劇団に入るの? 私もルビちゃんのお歌聞きたい!」
いやいやいや、勝手に入団させないで欲しい。今は薄給でも、老後手厚い国家公務員は辞められません。なにより、ルビエラが歌劇団など……絶対に無理な話なのだ。
「アンネローゼ様、私は歌劇団には入れません。だって……音痴なんですから」
「音痴?」
アンネローゼはキョトンとした表情で首を傾げ、ルビエラはいらない恥をかいてしまったと頬を赤らめた。
「そうです! 私の音感は壊滅的な上、リズム感もないんです。歌も踊りも人様に見せたら害悪になるレベルなんですから」
「害悪って、あんた……。ちょっと歌ってみなさいな」
「いや、無理だって」
ガーネットがさっき歌った子守唄をもう一度歌ってみせた。
「ほら、これなら知ってるでしょ」
うん、歌詞は知っている。
だって、数少ない母親の記憶の中の一つに、この歌を口ずさむ母親がいるから。でも今思うに、ルビエラの母親は……やっぱりルビエラの母親だったようだ。覚えている音程と、さっき聞いたガーネットの歌った歌とは全く別物だったから。
ルビエラの母親の子守唄は、この世界では例えようもないのだが、しいて言うなら前世で唱えていたお経とか言う、微妙な音程でツラツラ唱えていたあれに似ていた。
「私の歌なんか聞いたら、頭痛くなりますよ。気持ち悪くなって、不愉快な気分になること間違いなしです」
「そこまで言われると逆に聞きたいわ」
「私も!」
サリナとアンネローゼにお願いされ、ルビエラは断りきれずに大きくため息をついた。
「わかりました。その代わり、気分が悪くなっても知りませんからね」
元の記憶がそれ(ルビエラの母親の子守唄)なのだから、さらにそれにルビエラ節がのることになるわけで……。
ルビエラは咳払いをしてから歌い出した。
「ルルル~、ルルル~、お休みなさい、可愛い私の天使さん、ルルル~、ルルル~、夢の中には、楽しい世界が待ってるわ、ルルル~……」
なるべくガーネットの歌に寄せようと頑張ってみたが……、お察しください。
「まぁ……味があるんじゃないかしら」
「うん、斬新だよね」
斬新なんて言葉を使いこなす八歳児、さすが王家のお姫様は英才教育ですね。
王妃様もアンネローゼ様も、頬がヒクヒクしてますよ。笑いたいのを我慢しているようですが、どうぞ笑ってもらってかまわないですからね。笑いは百薬の長って言いますし。
ガーネットさんは、その驚愕の表情は止めましょうか。どっちかというと笑われた方がマシですから。
ルビエラは、逆に開き直った。もう、一度聞かれたのなら怖いことはない。どうせなら、腹がよじれるまで笑うといい……とばかりに、今度は国歌を歌い出した。
「……ああ我が祖国キャンベル~キャンベル~」
三番まで歌ってやった。
まさか、音痴だからって国家侮蔑罪で処罰されたりしないよね。
「もう駄目……止めて、お腹痛い」
「お母様、笑い過ぎ」
そう言うアンネローゼの目にも涙が浮かび、お腹を押さえて笑っている。
「お楽しみいただけたみたいで何よりです」
ルビエラがシレッと言うと、王族の二人はそれまでヒーヒー言っていたが、なんとか体裁を整えて真顔を作ろうとする。
「お母様、私、ルビちゃんと一緒にお歌のレッスンしたい」
「は?」
思わず素が出て聞き直してしまったルビエラだったが、誰もそれを咎められる人はいなかった。
「ルビちゃんと一緒なら、絶対に楽しくレッスン出来ると思うの。ガーネットさんも、ルビちゃんと一緒なら王宮に来やすいでしょ?」
「まぁ、そうですね。彼女には教え甲斐がありそうだし、ルビちゃんがちゃんと歌えるようになったら、私の自信になりそう」
「自信って?」
劇団のトップ女優で、容姿端麗、歌も踊りも演技も最高水準のガーネットに、自信以外の何があるというのだろう。これで自分に自信がないとか言ったら、ただの嫌味でしかない。
「私の将来の夢はボイストレーナーなの。だから、今回アンネローゼ様の歌のレッスンも引き受けたのよ。劇団でも、新人のボイトレはやってるんだけど、彼等は歌劇団に入りたくて入ったくらいだから、元からそこそこ出来る子達なのよ」
「そりゃそうだ」
「だからね、ルビちゃんくらい音程取るのが苦手な子に教えられたら、ボイストレーナーとして無敵だと思わない?」
「思う! 思うわ」
アンネローゼがルビエラの手をガシッとつかんだ。
「ルビちゃん、ガーネットさんの為にも私と一緒にお稽古しましょ。ね、お母様、いいでしょ?」
「ええ、私は良いと思うわ。アンネにはいろんな人とお付き合いして、幅広い知識を得て欲しいもの。ルビちゃんは、学園でも成績優秀だったみたいだし、事務官としても優秀だって聞いているわ。アンネの良い刺激になってくれると思うの」
学園の成績まで知っているということは、やはり王宮に上がるには、事前に色々と調査されているのだろう。逆にそうでなくては、どんな平民でも自由に出入り出来てしまう王宮では、さすがに警備ユルユルで自分の国大丈夫か!? と心配になるところだ。
「そんな大層なもんじゃ……。はぁっ……、事務官の仕事に支障をきたさない程度にならお付き合いしますよ。でも、毎回は無理ですからね」
アンネローゼにウルウルと見上げられ、ルビエラは白旗を揚げた。
そんな訳で、ルビエラもガーネットに歌を習うことになったのだ。