「くっ……殺すにゃ!!」
「殺してほしいのか、ほしくないのか……どっちだ?」
グランスフィア皇国の第七皇子ルイは鋭利な輝きを放つ瞳で、地べたに這いつくばる「女騎士と名乗る何か」を見下ろした。
ここはグランスフィア皇国とエールリット王国の間に広がる通称「魔の森」。大陸を支配するヒト種──いわゆるヒューマンではない、亜人や獣人が小規模な集落を作り生活している地域だ。
ささやかな貿易摩擦から始まった二国間の戦争は、グランスフィアの一方的な蹂躙により幕を下ろそうとしていた。
この一帯で最大級の勢力を誇っていたハイ・オークの集落はエールリットの古の王と結んだ盟約を重んじ、グランスフィア皇国に対し徹底抗戦の構えを見せた。
ヒューマンより知能が劣るオーク種とはいえ、ハイ・オークはオークの最上位種だ。
戦闘能力、勇猛果敢さは他の魔族や通常のオークをはるかに凌駕する。その中でも歴代最高の勇士であると名高い族長ガブラスに手こずったグランスフィア皇国軍は、打開策としてすでに別地域を制圧し終えていたルイ皇子を派遣したのだった。
「ふ、ふええ……それはその、えーっと……」
オーク族長の娘──自称女騎士のフェリセットは鉄兜の中でもごもごと呟いた。
「やれやれ。最後まで投降しないと息巻いたわりには格好がつかないことだ。族長の娘とはいえ、父親とは大違いだね」
ルイは軍靴の踵でフェリセットの兜を踏みつけた。月夜の下、わずかに黒のロングコートの裾が靡く。
彼は金の髪に紫の瞳を持つ、美しいが残虐な男だとその名を大陸中に轟かせており、知らぬは人間界と隔絶されたこの地、「魔の森」に住まうものたちのみだった。
多種多様な魔術を操るルイに力のみのオークは為す術もなく、族長ガブラスは生き残るために種族の誇りと自分の首を差し出すこととした。──白旗を上げたのだ。
ルイ皇子は停戦を受け入れた。彼は好戦的ではあるが面倒くさがりでもあり、そのうえ「弱いオークいじめ」は彼の趣味嗜好にそぐわなかったからだ。
ハイ・オークは敗北を受け入れ、皇国の傘下に入る。それを良しとしなかったのが族長の一人娘フェリセットだった。
彼女は血気盛んな若者を焚き付け、夜半に皇国軍の野営地へ奇襲を仕掛けた。
催涙効果のある煙玉のほか、爆竹や火炎瓶を投げこみ、混乱の隙をついた。
いざ皇子の首を狩り獲らんとばかりに「オーク族長ガブラスが娘、フェリセットである! お命頂戴!」と高らかな名乗りをあげ、一番豪華なテントへ一目散に襲いかかったのだ。
しかし、勢いがよかったのはそこまでだった。
フェリセットはルイの髪の毛一本に触れることも叶わず、あっという間に──それこそ叫ぶ間もないほど、瞬きの後には地べたに這いつくばっていた。
罠か、そうでなければ石にでも蹴躓いたのか。
そう考えたフェリセットだったが、立ち上がることはできなかった。見えない力に縛られている──そこでやっと、フェリセットは「ルイ皇子は重力魔術を操る」と父から聞いていたのを思い出した。
こうして、なんの戦果も得られないままに部隊は無力化され、後にはただ完全なる敗者が残された。
「おーい、おい、おい……」
「一騎打ちだ!」と息巻いたのはいいものの、今ではこの有様だ。かっこよく「くっ! 殺せ!」と辞世の句、もとい決め台詞を口にしようと思ったのに、それも噛んで失敗してしまった。そのようなわけで、フェリセットはあまりの情けなさに泣いていた。
「やれやれ。勢いよく向かってくるのだからよほど勝算があるのかと。まさか無策とはね。父親の話すらろくに聞いていないんじゃ、戦争に勝っても負けてもお先真っ暗だ」
頭上にルイからの嘲りの言葉が降ってきて、フェリセットは鉄兜の中でぎりりと歯を食いしばった。確かにガブラスは「とても勝ち目がない」とは言っていた。そんな父に対し、フェリセットは「お父ちゃんのタマなし!」と罵って会議の場を後にしたのだが、やはり父は正しかった。
失敗を糧に成長するのだ、と平常時の教育者などは口にするだろう。しかし戦場ではただ一度の失敗ですべてを失う。数時間前のフェリセットはそれを理解していなかった。
「こいつ、どうします? しかし、オークにもこんなにちっこいのがいるんですね。メスはこんなもんなのか?」
「好きにしろ。交渉に使えるなら良し」
「はあ。じゃあ適当に処理しときますわ。俺の親戚に異種姦好きがいるもんで、そいつなら喜んで引き受けるかも」
気の抜けた声色ではあるがその内容は物騒極まりないもので、フェリセットの脳裏に間違った知識が顔をのぞかせた。
「あ……あたしを凌辱するつもりだなーー!?」
フェリセットは自称女騎士。女騎士とは戦場に咲き誇る一輪の花。当然、手折ろうと彼女に手を伸ばす輩も多く……。
「オークは好みじゃない」
苛立ちを感じたルイは兜を踏みつける足に体重をかけた。兜の先端がぐし、と地面にめり込み、土埃が鼻に侵入してきたフェリセットはうめいた。
「ぐえっ」
「はあ、くだらん。寝る」
獲物をなぶるのは自分の悪い癖だ。ルイはそう思いながらも、足を浮かせてフェリセットの兜を蹴り飛ばした。その行動に特に意味はなく、苛立ち故の気まぐれだった。
カラカラと音を立て、フェリセットの頭から外れた兜は転がっていく。オーク特有の緑がかった肌色と、焦げ茶の体毛ではなく、ふわりと亜麻色の髪の毛が月明かりに晒された。
「……おや」
全身甲冑の中から現れた女の姿にルイは目を見張った。オークではなかった。人間──自分と同じヒューマンとほぼ変わらないその姿。ただひとつ、違うのは──。
「ひーん。なんたる屈辱。お前の顔、決して忘れぬぞ。七代先まで祟ってやる。幽霊になって呪ってやるからな~」
呪いの言葉を吐くフェリセットの頭頂部には、クリーム色の毛で覆われた獣耳──いわゆる猫の耳があった。「それ」は力なくぺしゃりと折れ、彼女の言葉が本気ではなく、ただの強がりであることを示している。
「……おやぁ?」
ルイは首を傾げ、じっと足元に転がっている女を観察した。
フェリセットは俯いたまま泣いている。待つのは晒し首か、さもなくば凌辱だからだ。
「ひーん、ひん。ひんひん……」
めくれ上がったマントの下から、亜麻色の獣尾がだらりと伸びていた。
もちろんオークは「四つ耳」ではないし尻尾もない。
ルイはその様子をつぶさに眺めた。それこそ、細い毛が僅かな風に靡くところまで見逃すまいと凝視した。
「えっ……、何。何か用?」
フェリセットはただならぬ視線を感じ、こわごわと顔を上げた。皇子の顔は初めて見たが、村の男たちと違って随分とのっぺりしているし、その細身の体も、白い肌も、なんというか──そうだ、森に自生しているヤマユリみたいだ、とフェリセットは感じた。
「……ふむ」
「えーと、あのー……帰っても、いいですか?」
ルイはそれに返事をせず、ただひたすらにフェリセットを観察している。
その様子に、少なくとも殺されはしなさそうだ、とフェリセットは希望的観測を抱いた。
いや、ぬか喜びさせてから絶望に突き落としてくる性質の男かもしれない。いやいや、そうは言っても言うだけタダだし、とフェリセットはもう一度下手に出ることにした。
「あたしが悪うございました。反省してます。どうか命だけはお助けを」
自分は女騎士には向いていなかった。父ガブラスが生存のためにオークの誇りを捨てたと言うのならば、自分も捨てよう。そう考えたのだが、ルイはやはり返事をしなかった。
ただ一言「猫の獣人か……」と呟くのみ。
隣で様子を見ていたルイの副官のデュークは、嫌な予感を覚えた。ルイ皇子は明らかにこの妙ちきりんな『オークの女騎士を名乗る猫の獣人』に興味を持っているからだ。
「なるほどなるほど」
ルイは副官が制するのも聞かず、地面にしゃがみこんでフェリセットの顔を覗き込んだ。
「……」
フェリセットの体はルイの操る重力魔術により、地面にべったりと張り付いている。首から上は自由になるが、起き上がることは叶わない。
なんとも居心地が悪くなり、フェリセットはせめて顔を隠そうと下を向いた。しかし耳まで隠すことはできない。
ルイは黒の革手袋を外し、無遠慮に猫耳を引っ張った。
「ひんっ」
ぞわりとした感触が背中に走り、フェリセットは短く鳴いた。
「耳の中までふわふわだ。これはどっちが本体なのかな?」
ルイはフェリセットの耳のふちに生えているタンポポの綿毛のような毛を引っ張った。
「にゃ、にゃ、にゃめてええええええっ」
フェリセットの絶叫が森に響きわたる。しかし、この場の支配者はルイただ一人だ。止める者などいるはずもない。
「君、名前は?」
「……」
一騎打ちの時に名前は名乗った。こいつが聞いていないだけなのだ、とフェリセットは口をつぐむ。
「な・ま・え・は?」
「……」
ルイはフェリセットの顎をつかみ、口の中に手を入れて無理矢理こじ開けた。
「ふぎいいいいいい!」
ふたたび、森にフェリセットの絶叫が響く。
「歯は普通なのか。これなら食いちぎられることもなさそうだ」
「おいおい殿下。まさかとは思いますが、正気でいやがりますか?」
ふしゃーと力ない威嚇も、副官の慇懃無礼を超えた苦言も、ルイはまったく意に介さない。
「よしよし。最初から顔を見せてくれれば、砦を破壊する必要もなかったのに」
「んー!」
ルイに唇を指でなぞられたフェリセットはその指に噛みつこうとしたが、ルイは見た目のわりに力が強いようで、どうにもならなかった。
「お名前は?」
ルイは両手でフェリセットの頬を包み込み、まっすぐ自分の方に向かせた。ヘーゼルナッツ色の瞳がルイを捉える。月明かりの下、爛々と輝く瞳はまさに野生の獣だった。
怯えながらも、まだ反抗心は失っていない──ルイはフェリセットの瞳にそれを見いだし、喜びを感じた。
──この女は面白そうだ。それに何より、とびきり顔がかわいらしい。
ルイはにんまりと笑い、獲物の顎を撫でた。
「お名前は?」
ルイはもう一度尋ねた。その声色は先ほどと違い、明確な威圧感があった。
「ふぇ……ふぇ……フェリセット……」
「フェリセット。かわいい名前だ」
「殿下。まさかとは思いますけれど──この女を寵姫にしようってんじゃないでしょうね?」
ルイは数分前とは別人のように、上機嫌で副官に笑顔を向けた。
「そのまさかだ。戦利品を見つけた」