「ああ、フェリセット。まさかこんなところで会えるだなんて……」
「はぁ」
劇的な母子の再会から数分も経たずに、フェリセットは馬車に揺られていた。
大陸の覇者であるグランスフィアの皇子に喧嘩を売って、一蹴されて、顔のおかげで命が助かったが捕虜にされて、愛人のような豪勢な暮らしを満喫。そこからもいろいろあって脱走して、次には探してもいない生き別れの母と再会して、今はその人の家に向かうことになった。
人生というのは本当に予測不能ななものだと、齢十八のフェリセットは思うのだった。
屋敷はここからほど近くの貴族街にあるという。たまたま買い物の最中だったのよとジューンが話すのを聞きながら、フェリセットはルイが自分を探しているのではないかと、馬車の窓からちらちらと外を確認する。
──あんなにちんたらしてたのに、追いつかないってことは、やっぱりいてもいなくてもいいって意味なのかな。
フェリセットが窓枠に顎を乗せて物憂げに考えこんでいる間も、興奮したジューンの語りはとどまるところを知らない。
「本当に、信じられないわ……」
「ママはこの国の貴族だったの?」
フェリセットの問いにジューンは力なく首を振った。
「いいえ。私はあなたの行方を追って、はるか北の方から南下してきたの。グランスフィアで働きながら手がかりを探していたのだけれど、まったく何も掴めなくて……あんまり長い間ひとりぼっちでいたから、疲れてしまって」
そうしてジューンは「気持ちが落ち着くまでずっと待つ」と言ってくれた人と四年前に再婚したのだと説明した。
「ごめんね」
ジューンはフェリセットの頭を優しく撫でた。
「い、いえ」
感傷的な雰囲気にフェリセットはどぎまぎとする。
自分は自分で楽しくやっていたのだから気に病むことないのに──と思ってしまうけれど、素直に甘えておいた方が彼女の希望に添うのかもしれない、ともフェリセットは考えるのだった。
「ところで再婚、って……あたしのパパは?」
「あなたがお腹にいる時に、亡くなったわ」
「そうなんだ」
大変だなあ、とフェリセットはまるで人ごとのように思った。話からすると、ママの年齢はフェリセットの倍くらいだろう。その年齢で夫を失い、子どもが怪鳥に誘拐され、女ひとりで旅をする……おそらく、酷い目にも沢山あっただろう。
たかだか痴話喧嘩で家出し、人目をはばからず号泣していた自分とはえらい違いだ、とフェリセットは幸の薄そうなジューンの顔を見て少しばかり恥ずかしくなる。
「毛並みも艶々ね。元気だったのね」
穏やかな表情で頬を寄せてくるジューンに、フェリセットはなんともこそばゆい気持ちになった。
ハイ・オークの村でも不自由さを感じてはいなかったが、少なくとも髪の毛は今よりボサボサだったから。
──そりゃ、いい暮らしをしてたからなぁ。
とは、とても説明できないのだった。
貴族街はまるで不思議の世界に迷い込んだみたいだ──とフェリセットは馬車を降りて思った。
身長より高い塀のはるか向こうに金ぴかの風見鶏がついたお屋敷が見える。
「ここがグロッシー公爵邸。今の私の家よ」
「公爵?」
公爵ったら、皇族のすぐ下でねーか。
フェリセットは思わずオーク訛りが出そうになった。
「お、奥様。そちらのご令嬢は?」
仕立ての良い黒の燕尾服を身にまとい、モノクルを掛けた紳士──おそらく執事というものだろう──が慌てた様子で、白い敷石の上を跳びはねるように駆け寄ってきた。出かけたはずの夫人が速攻で戻ってきて、あげく見知らぬ女を引き連れてきたら誰でも訝しげな表情になってしまうのは仕方のないことだろう。
「ああ……ギグルさん、聞いてちょうだい。この子が私のフェリセットよ、旦那様にも伝えて」
「な、なんですとー!! このお嬢さんが奥様のフェリセットですと!?」
執事は後ろにひっくり返りそうな勢いで叫んだ。以前見かけたランスタッド家の召し使いたちとは違い、随分と表情が豊かだ。
つまりここは環境のよい職場なのだろうとフェリセットはひとり納得する。
「なんだ、どうした!? 何があったんだ」
二階の窓のうちのひとつが開き、そこから顔を出した堂々たる体格の中年男性が叫んだ。
「あなた、見て! この子! この子が私のフェリセットなのよ!!」
「な、なんだってーーーー!?」
ジューンの叫びに、中年男性も驚いた様子だった。
それではあの熊のようなオッサンがグロッシー公爵でママの再婚相手なのか、とフェリセットは公爵をしげしげと見上げた。
そこからはまるで、蜂の巣をつついたような騒ぎだった。
「ほら、これが小さい頃のあなたよ」
そう言って見せられたのは小さなロケットに収められた母子の肖像画だった。赤ん坊は赤ん坊でしかないのだが、子どもを抱いた若い母親の姿は確かに現在のフェリセットと似ていた。
「そ、そうですか……」
フェリセットはたじたじとしながらも頷いた。何を言えばいいのかわからないのが正直な気持ちで、ジューンの言葉に相槌を打つので精一杯だ。
──悪い気はしないけどぉ……。
フェリセットには幼少期の記憶なんてないのだから、同じくらい再会の喜びにひたることはできないのだった。
扉がノックされ、愛嬌のあるメイドがひょっこりと顔を出した。
「奥様。ぼっちゃまがお昼寝からお目覚めです」
メイドの腕の中にはブランケットにくるまり、眠そうな目をした幼児がいた。ジューンはとろけるような笑みを浮かべてその子をブランケットごと抱き寄せる。
「フェリセット、あなたの弟よ」
「お、おおおおお、おとうと??」
フェリセットはますますついていけなくなった。母親だけでもびっくりなのに、どうやら自分には腹違いの弟までいる。
──再婚したなら、当たり前と言えばそうかもしれないけどさぁ。
「えー……おめでとうございます。骨格がしっかりしている。よい戦士になりそうですね」
体は大きければ大きいほどいい。小さいとすばしっこいとか、そんなものは幻想であるとフェリセットは知っていた。
「む~?」
幼児には猫耳がない。あのオッサン──再婚相手は獣人ではなくヒューマンだ。どうやら血が半分だとヒューマンよりの見た目になるのだとフェリセットは知った。
「この子はフェリセット。あなたのお姉ちゃんよ」
「おねー?」
「はーい、お姉ちゃんですよ~」
適切な対応がわからなくて、フェリセットはひたすら愛想笑いを続けた。
「あ~、これからどうしたもんかね……」
ひとまず通された客室で、フェリセットはふかふかの寝台に転がりながらため息をついた。
数時間のうちにあまりにもいろいろな出来事が発生して、さすがのフェリセットも疲労困憊だ。
正直言って、捕虜にされた時の方が落ち着いて悪態をつけたくらいだった。
──来ないな。
フェリセットがルイから離れてから、何時間も経過している。
しかしグロッシー公爵邸に流れる空気は穏やかで、誰かが訪ねてくる気配はない。
日はもう、沈みかけている。
──ルイは本当に、これで終わってもいいんだ。
この数時間、フェリセットは何度も何度も同じことを考えていた。皇都から出てしまえば感情も落ち着くだろうと思っていたのに、ここにきてまさかの母親の登場だ。しばらくはグロッシー公爵家からは離れられないだろう。
そうしたら、追っ手が来ないのは自分がうまく逃げたからだ、という言い訳が使えなくなるのだと、フェリセットの中の冷静な部分がちくちくとした言葉を投げかけてくる。
「あーあ、何やってんだろ……」
フェリセットのため息は羽毛の枕に吸い込まれていった。
フェリセットは夕食の場に招かれていた。
柔らかな仔牛の肉を赤ワインで煮たものはグランスフィアでは定番の料理で、フェリセットの人生における新しいお気に入りのひとつだった。
この場の主人はグロッシー公爵だ。フェリセットはママのためにも、お行儀良く振る舞うように努力しつつ肉料理に舌鼓を打っている。
フェリセットは食事のさなか、これまでは魔の森にあるハイ・オークの集落に住んでいたが、戦争をきっかけに出稼ぎにやってきたのだと自分の身の上を偽装した。
あながち嘘でもないし、ジューンはむしろフェリセットの幼少期の話を聞きたがったので、ルイとの関係に勘づかれる気配はなさそうだった。
「……さて。我々の自己紹介はもういいだろう。君からの質問は何かあるかい?」
疑問点は、特になかった。
フェリセットが尋ねる前に、グロッシー公爵夫妻は散々自分たちの話をしてくるからだ。
「えーと……グロッシー公爵様は、公爵様なんですね」
フェリセットは自分でも呆れるくらいに、適当な質問しかひねり出せなかった。
「ああ。とは言っても、この国は皇族の方が数多くいらっしゃるから、そこまで大層な名家でもないよ」
ルイの振る舞いの通り、皇族の権力というものは絶大なようだった。
「ランスタッド公爵との仲はどうですか」
フェリセットが思い出して続けた質問に、グロッシー公爵は探るような視線を向けた。
「どちらかと言えば『悪い』と述べることができるだろう……君はそちらの関係者か?」
ほんの少しだけ、空気がぴりっとする。
「いいえ。いじめられた経験があるだけです」
フェリセットはぶんぶんと首を振り、全身で否定をした。
「そうか。なら良し。あちらの家とは永久に仲良くなることはないから安心したまえ。仲……そうだな──当家はルイ第七皇子とは親しくさせていただいているよ」
「へ、へぇ~」
フェリセットはぎこちなく笑う。
この人はルイの知り合いらしい。もしかすると、もうこっそり追っ手がやって来ていて、ただ自分を揶揄っているだけなのかもしれない──フェリセットは注意深くテーブルの向こう側を観察しながら、運ばれてきた魚料理にひょいひょいととりかかった。
一方、ジューンはぼうっと夢見心地のような表情で愛娘を見つめている。