零日目
王都の中心にある広場。馬を引く者、荷車を引く者、商いの声を発する者や談笑する人々が入り乱れている。
その中心、一段高くなった場所に厳かに立つのは、この国の大臣の一人だ。背後に立つ二人の騎士が鞘に収まった剣先を足元にガツリと当てると、大臣は両手を広げて演説を始める。
「この度、我が国の王子、大鷲の君が成人の儀を完了された。これは我々国民にとって大変喜ばしいことである!」
重たいローブをはためかせながら高らかに叫ぶその姿に、辺りの者は思わず足を止める。
「大鷲の君はこの儀を経て、花嫁選出の儀を執り行うことと相成った!」
ざわりと沸き立つ観衆。年配の者は感慨深げに声を漏らし、若い女性は黄色い悲鳴を上げた。
「此度の花嫁選出の儀、その題目は……」
固唾を飲んで待つ観衆。溜めに溜めたその間に、声を上げる者は誰もいない。
「美食の国、イートリア国の次期王妃に相応しい、料理の腕を持つものとする!」
背後に立つ騎士がばさりと掲げた垂れ幕にも、同じ文章が大きく書かれていた。
「参加資格は十六歳以上の女性。身分に制限はない! その他詳細は明朝、この場に掲示する! 開催は明日の午後より五日間、参加希望者は各々腕を奮うように。以上!」
その声を皮切りに、観衆は一斉に四方に走りだした。
「号外、号外だー! 王子、大鷲の君が花嫁探しを始めるぞー!」
窓の多い木目調の建物の中。開け放たれた扉から吹き込む涼しい風とともに、あちらこちらから発される賑やかな声も流れてきた。
ここは王都の端の一般民衆が住む地域。中心部ほどではないが、それなりに賑わっている商業地帯だ。その中にある小さな食堂で数人の客がのんびりと過ごしていた。
「なんだか今日は騒がしいな、なんだってんだ?」
「いやだわお父さん、そこら中で言ってるじゃない。王子の婚活よ、こ・ん・か・つ」
「ついこの間生まれたと思っておった王子ももうそんな時期か。年は取るもんじゃのう」
常連と見られる客たちはテーブルに置かれた茶を手に取り、特に動くこともなく話を続ける。
「ねえミーナちゃん、いい歳なんだから立候補してみなさいな」
客席から見える厨房で洗い物をする姿に向けて、中年女性が声をかけた。
「何言ってるの。宮廷料理に慣れてる王子様相手に、わたしの味が合うわけないじゃない」
自身と比べて大きすぎる鍋からひょこりと顔を出した少女は、呆れ顔で返した。
少女の名前はミリーナ。親しい者にはミーナと呼ばれている。簡素なワンピースに大きなエプロンをつけ、茶色の癖毛を後頭部でしっかりまとめ上げている。
数年前に両親を事故でなくしてから、家族で経営していた小さな食堂を一人で受け継ぎ、常連客のおかげで細々ながらも生活を続けている。
結婚が許される十六歳ではあるが、小柄な体形と幼さの残る顔立ちからそうと見られることは少ない。
「案外、豪勢な食事に飽きてるかもしれんじゃないか。試すはタダだ、行ってみりゃいい」
「ミーナちゃんの料理は、老いぼれにはありがたい味じゃがのう」
中年女性に乗っかる形で、老若問わずほかの客も賑わいだす。
「うちの味が万人受けしないのは分かってるでしょう? 薄味淡白健康志向、若い人には物足りないっていつも言われてるじゃない」
濃厚な味が普通と思われているこの国において、ミリーナの作る野菜を主にした薄味の料理が流行ることはない。それでも濃い味が苦手な者や淡白な味を好む者は多少なりとも存在し、流行りも廃れもせず今に至る。
鍋底をたわしで磨きながら興味なさげに返す姿に、客たちは苦笑を浮かべつつ納得しているようだった。
この国、イートリア国は近隣の国から「美食の国」と呼ばれている。安定した天候によりもたらされる豊かな農産物や盛んな畜産。それらは決して随一と言えるほどではないが、すべてが平均値を上回っていた。
その元々の土地柄に加え、様々な国から様々な食材や香辛料、調理法を仕入れ、同時にその環境を求めて料理人もやってくる。
国民的な料理といえば、脂質の多い肉料理や魚料理。宮廷料理といえばその最たるものだ。脂の乗った高級食材を多種多様な香辛料と合わせて調理し、それを何人前並べても食すのはただ一人。一つのテーブルに一人ずつ。それがイートリア国の宮廷料理の決まりだった。
この国で暮らす女性が一番魅力的だと思う男性は、たくさんの料理をいかに幸福そうに食べるか、とされている。美食の国であるがゆえの特殊な理由なのだろう。
そんな男性に愛されるには、美味しい料理を作る腕を持つしかない。そのため、花嫁修業として宮廷料理を学ぶ女性は数多く存在している。
ミリーナはそんな風習に影響を受けることもなく、両親から自然派の料理ばかりを教わっていた。
「それにわたし、太った人は好みじゃないかなぁ」
「まあねえ。あの国王の息子っていうと、さぞふくよかなことだろうねえ」
「小柄なミーナちゃんじゃ褥で潰されちまうなぁ!」
下品よあんたは! という中年女性の怒り声に苦笑しつつ、ミリーナは洗い物を再開した。
歴代の国王は無限の胃袋を持つと言われ、貴族を招いた食事会では他を圧倒する量を食べるという話が庶民の間でも有名だ。そのためか、王族や貴族はふくよかな者が多い。
王子は成人の儀が終わるまで姿を見せないという決まりがあるため、その容姿はまったく知られていなかった。
「ミーナ!」
片付けが終わり、そろそろ常連客と一緒にお茶休憩でもしようかというところで、ドタバタガタンと様々なものを薙ぎ倒しながら一人の少女が駆け込んできた。
「サリー、一体どうしたの? そんな勢いで来られたらいつかこの店壊れちゃう」
その少女の名はサリー。店主であるミリーナの親友だ。白いシャツに灰色のトラウザーズという女性にしては珍しい服装は、すらりとした体躯によく似合っている。しかしよほど急いできたのか、橙色の短髪はくしゃくしゃになっていた。
「あ、ごめーん……じゃなくて! 号外見た!?」
「見てはいないけど話は聞いたよ。王子様、花嫁探しするんだって?」
「そうそれ! ちょっとこの号外見てよ!」
ぎゅっと握りしめていたせいか皺のついた紙を、バンと客席に広げる。近くに座っていた客もどれどれとそれに群がり、中年女性が感心したように高い声を上げた。
「あらまあ、ずいぶんと見目麗しいこと!」
「ね、ね? 格好いいでしょ? ねぇミーナ、花嫁に立候補しなよ!」
「なんでみんなして……」
目の前に差し出されたので仕方なく見てみると、数名の男性が写った写真の中央に、はっきりとした目鼻立ちは分からないものの、確かに容姿の整っていそうな姿があった。
青い短髪に同じ色の瞳。赤い儀礼服を纏い、顔には満面の笑みを浮かべているようだ。
質の悪い紙のせいか、はたまたサリーの手汗のせいか。若干色がにじんでしまっているが、それでも損なわれないほどには見栄えのする男性らしい。
「まぁ……格好はいいとは思うけど」
「でしょでしょ! ねー、参加だけでもしてみなよ。応援しにいくから!」
「サリーが出ればいいじゃない。わたしと同い年なんだから」
「あたしは料理できないもーん」
いくら美食の国でも誰もが料理をするわけではない。実家の洋服店を手伝っているサリーはその典型で、厨房よりも店に出ていたいと言い切っていた。
「サリーが間近で王子様を見たいだけでしょ? そもそも、同じ考えの人がどれだけいると思ってるの」
「ばれたか」
てへりとおどけるサリーを横目に、ミリーナはのんびりとカップにお茶を注いだ。いつもの席に座ったサリーに差し出し、ポット片手にほかのテーブルを巡っていく。
「でもさ、お祭りとでも思えばいいじゃん。おばさんもそう思わない?」
サリーは不貞腐れた顔でお茶をすすりつつ、隣で号外を読む中年女性に話しかける。
「そうねえ、出るだけ出てもいいじゃない? これで見初められたとなれば一大事よ、玉の輿よ! ミーナちゃん可愛いしお肌もきれいなんだから、自信持っていきなさいな」
「ないない。そもそも料理の腕で決めるんでしょう? つまり行くだけ無駄」
サリーの向かいに座ったミリーナは、自分のカップに口を付けつつ片手を振った。
「ミーナってば、ちょっと手を加えるだけですっごく可愛くなるのに。なんでお化粧とかしないの?」
「料理してると汗で取れちゃうし、何より必要がないもの。てゆーか、可愛くなんてないから」
むすっとそっぽを向く姿に、盛り上がっていた二人は同時にため息をつく。もうこの話は進まないと判断したのか、いつものように最近発売された服や本の話に花を咲かせはじめた。
(みんなして、どうしてわたしなんかに言ってくるのかな)
お店を切り盛りすることで精一杯で、お洒落をする余裕もない。これほど今回の行事に向かない人もそうはいないと思いつつ、ミリーナは夜の仕込みに思考を傾けた。