イートリア国の王子様(下)

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先行配信日:2025/11/28
配信日:2025/12/12
定価:¥880(税込)
花嫁選出の儀の最終日。
ミリーナは偶然出会ったカインとアルフが王族であると知り、身分違いの恋に諦めを感じていた。
そんな彼女の元へ、カインが訪れる。「少しでもアルフのことを思っているなら広場に来て」と言われ、
彼の真意がわからぬまま、ミリーナはアルフへの想いを諦めきれず、父から受け継いだ「野菜スープ」だけを手に広場へと走り出す。

しかし、場違いな格好の彼女は受付で止められてしまう。 絶体絶命の窮地に現れたのは、親友サリーと、思いもよらない「あの人物」だった。仲間たちの助けを得て、ミリーナはついに「大鷲の君」の御前へ進み出る――。

じれったくて甘酸っぱいふたりの恋は、ついに感動のフィナーレへ。
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五日目



 昨日の雨が嘘のような、晴れ渡った空。道の水溜まりがそれを映し出し、街は青に染まっている。
 今日は花嫁選出の儀の最終日。王都の端であるこの地域の店は静まり返り、軒並み閉店しているようだ。その例には当てはまらず、ミリーナは今日もいつも通り井戸水を汲み上げていた。
 雨の影響を気にしていたが、屋根と蓋のおかげで問題ないことにほっとして作業を始め、井戸と厨房の往復を続ける。少し汗ばむ陽気に額を拭うが、その顔に不快の色はない。繰り返し運び続けようやく半分といったところで身体をぐっと伸ばすと、遠くから馬車の走る音が聞こえてきた。
(こんな日に?)
 その音はみるみる近づき、馬の一鳴きとともに裏門の前で止まった。
「少しだけだから、ここにいるように」
 聞きなれたその声とともに現れたのは、真っ青な髪をなびかせるカインの姿だった。
「おはよ、ミリーナ嬢。今日も仕事に精が出るねー」
 先ほどよりもっと砕けた、昨日までと同じ声色だった。
「え……カインさん、なんで」
「なんでって、なんとなく?」
 小首を傾げて不思議そうな表情を浮かべ、ここにいるのは当たり前だといわんばかりだ。
「だって……今日は大事な日じゃないですか! どうしてこんな所に来るんですか!」
 突然の訪問と理由に慌てながら近づくと、隠れていた服が見えるようになった。
 赤を基調とした儀礼服。どこかで見た気がすると考えると、号外に載っていた写真に思い当たった。
「王子様が……こんなとこ、来ちゃ駄目です」
 詰められた距離を一歩下がり、目を伏せながら言う。その時ふと、今までカインが一人で来たことがなかったことを思い出し、無意識に馬車へと目を向けた。
「アルフは置いてきたよ。オレがこんな朝早くに起きると思ってないからねー、抜け出すにはちょうどよかったよ」
 僅かな目線の動きで気づかれたことに驚き、同時に恥ずかしさを感じたミリーナは思わず顔を上げてカインの表情を窺った。
「今日が大事な日だからこそ、来たんだよ」
 穏やかな表情を浮かべたまま、入っていいかと聞かれこくりと頷く。門を挟んでいた時とは違い、鮮やかな赤が視界の多くを占めた。
「派手でごめんね。最終日の今日は朝からやることになっちゃってさ、このまま来たんだよ」
 赤い布地に金の刺繍、青い髪も合わせた色合いは確かに目に優しくない。
「そういや、昨日アルフもここ来たんだっけ?」
 カインは興味深そうに井戸を眺め、口元には笑みが広がっていく。
「いやー、あのアルフがねー。長年一緒にいるけどこんなこと初めてだよ。もしかしてずっとこのままなのかと思ってたくらい。だからこそ、おせっかいを焼きたくなるんだよね」
 最後は真面目な表情でミリーナを直視した。逃れがたいその視線に、ミリーナの身体はぴくりとも動かない。その様子に満足がいったのか、カインはゆっくりとした口調で問いはじめた。
「ミリーナ嬢は、アルフが嫌い?」
「そんな! 嫌いなんて!」
「じゃあ、好き?」
「え……」
 昨晩散々悩んだこと。この気持ちの意味。それに辿りつく前に立ちはだかる事柄により、結局答えが出なかった。
「……そんなこと、考えていい立場じゃ、ないです」
「なんで?」
「なんでって……カインさんが王子様で、アルフさんは従兄弟で……王族の方にそんなこと、思えません」
 言い聞かせるように搾り出した小さな声に、カインは整えてきたであろう髪をくしゃりと混ぜながらため息交じりに言った。
「別にさぁ、身分とかいいんじゃない? この国は王子の結婚の条件は料理だーとか言っちゃうんだよ? そもそもアルフがそんなこと気にすると思う?」
「でも……」
「ついでに言うと、アルフはミリーナ嬢の料理、大好きだと思うよ。オレも好きだけどさ。立場なんかより、そっちのほうが大事だと思うんだけど」
 カインは言い返すこともできず俯いたミリーナに歩み寄り腰をかがめると、耳元に顔を寄せ小さく呟いた。
「少しでもアルフのことを思ってくれてるなら、今日広場に来て。悪いようにはしないから」
「え?」
 ぱっと顔を上げるとカインはすぐに離れ、そのまま門の外へと出て行った。
「あとさー、呼び方、戻っちゃってるからね」
 振り返りながら面白げに放った言葉に、ミリーナははっと口を押さえる。昨日はちゃんとアルフリッドと呼んでいたはずなのに。カインにつられてか、はたまた別の理由か、本人に呼んでほしいと請われたものになっていた。
「じゃ、考えといてね」
 にこりと笑って軽やかに馬車に乗り込むと、その姿はあっという間に見えなくなってしまった。
「……なんだったの?」
 耳に残る言葉は、儀式が決まってからずっと言われ続けたものだった。
(王子様に……カインさんに、料理を出せと……?)
 選出の儀に出るのは王子であるカインのみ。そこにミリーナが参加したところで何になるのだろう?
 中断していた水汲みを再開しようにも手に力が入らない。そもそも頭が混乱して何かできるようにも思えない。きっと夜まで誰も来ないだろうからいつもの半分の水で賄えると計算し、それでも誰か来た時のためにと厨房に椅子を持ち込み、膝を抱えて過ごした。
 昼過ぎ、僅かに道が賑わうころ。外から聞こえる喧騒に耳を傾けると、誰もが広場に向かっているようだ。最終日の今日、おそらく花嫁が発表されると考えてのことだろう。何をするでもなくぼんやりと時間を過ごしていたミリーナは、太陽の位置を確認した。
「……夜の準備、しよう」
 のろのろと動きだし、保存庫から材料を取り出すとようやく気持ちも落ち着き、腕をまくって調理台に向かった。
 いつものように、いつものものを。そう、自分に言い聞かせる。リズミカルに響く包丁の音に励まされ、手はどんどん進んでいく。週に何度も作る、大きめの野菜と小さめの肉を煮込んだスープは、父親が一番初めに教えてくれたものだった。
「あとは煮込んで終わりか……」
 パンの仕込みも終え、再び太陽に目をやると夕方までもう少しといったところだ。
「もう少し……」
 その後に続く言葉は、口から漏れることなくミリーナの頭で渦巻く。
 もう少しで料理が終わる。もう少しで儀式が終わる。もう少し……。
「もう少し……話したかったな」
 ぽろりと零れた言葉が耳に届きはっとする。
 今自分は何を言った? 誰と話したかった?
 弱火にかけたスープがコトコトと音を立て、もうじき出来上がると言っているようだった。
(わたしは今まで……ちゃんと言ったことがあったかな)
 何か言う間もなく状況に流され、アルフリッドの言葉を最後まで聞くこともできなかった。
 昨日、きっと何か言いかけていた。それを遮ってまで言った自分の言葉は、本心だったのだろうか。
 アルフリッドは自分にたくさんの言葉をかけてくれた。嬉しいことや意外なことや恥ずかしいことも。それに対して、自分は何を返せたのだろう。
「わたし……何も言ってない」
 カインが授けてくれたであろう機会を無駄にすることはできない。話せる距離に行くためには、儀式への参加が必要になるのだろう。小さな鍋に出来立てのスープを移し、布を幾重にも巻き保温を図る。
 自分が作った大事な料理を、アルフリッドは美味しいと言ってくれた。それをまともに受け止めず、謙遜という名の否定をし続けた。
「このままじゃ、終われない!」
 店の札を乱暴に閉店中に合わせ、大通りを全力で駆けた。

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