1 恋に落ちたのは
その少年、ディアミド王子に初めて会った時、シーナはこんなに綺麗な子は見たことがないと思った。共に10歳だった。
白い肌に光を纏うような金の髪は宝石みたいな青い眼をふちどる長いまつ毛とおそろいだ。
まるで姉が大事にしてる陶器人形(ビスクドール)のようだとまじまじと見てしまう。
不意にその綺麗な顔が侮蔑で歪んで、人形は人間になった。
「気持ち悪い。人の顔をじろじろ見るなと教わらなかったのか? 礼儀を弁えていない者がこの俺の前に立つなど、随分と侮られたものだな」
「あ、すみません」
見過ぎていた自覚はあったので謝ったが、それだけでは収まらないようで、ディアミド王子は尚も文句を言ってくる。
「お前が俺の婚約者候補? 正気か? 聞けば男爵家の娘だというじゃないか。せいぜい地方の貧相な領地を治めているようなしみったれた貴族の末端にようやく名を連ねるような家の娘が、よくものうのうとこの話を受けようとしているな。財産目当てだか俺の美貌が目的なのかは知らないが、褒めるところがあるとすればその図太い神経ぐらいなものだ。紹介者のマクグラスの手前会ってやってはみたが、その庶民顔も気品の無い立ち居振る舞いも、何ひとつ俺と釣り合ってないのをわかっているか? それでもどうしても結婚したいと言うのなら──」
「いえ、やっぱりいいです」
「は?」
長くなりそうだったので途中で口を挟んでやめさせた。聞きしに勝る傲慢さにこれ以上は関わらない方が良いと、シーナは彼女らしい利発さで、さっと判断する。
「私もおじさんに言われて来てみただけなんで。話をすすめてもどう考えてもお互い不幸になる未来しか見えないので、この話は無かったことにしましょう」
「なっ」
呆気に取られているディアミドに一礼すると、シーナはあっさりと踵を返した。
なるほど。美しさは聞いていたとおりだった。もちろんそれは悪いことではない。ただ、あの傲慢さ、他者への敬意の無さ、狂犬のような口の悪さと容姿以外のすべてがマイナスポイントだ。人生を共にする相手としては論外だろう。
予想通り無駄足だったが、とりあえずおじさんの顔は立てたはずだ。
おじさんというのは王宮で宰相補佐をしているマクグラス伯爵のことで、シーナの遠縁に当たる。シーナはマクグラスの頼みを思い出していた。
「──なんかさあ、めちゃくちゃ綺麗な子なんだけど、それを踏まえても口が悪いっていうか。良家のお嬢様大体泣かせちゃうから、王都近郊にはもう良い感じの婚約者候補残っていなくて。当然あの性格だと他国のお姫様との結婚とかも無理っぽいし」
困り果てた顔のマクグラスが、わざわざ話を持ちかけるために地方にあるシーナの領地まで訪ねて来たのは先日のことだ。もちろん、シーナの生家である男爵家にとっても寝耳に水だった。父である男爵が慌てて言い募る。
「し、しかし、我がキャンベル男爵家は、この辺一帯を広く治めているとはいえ、所詮は田舎貴族。到底王家と縁を結べるほどの家格はありません。娘のシーナも確かに親の私から見ても聡明な子ではありますが、特に優れた容姿というわけではなく──」
当の娘の前でそう言い募る父の言葉にデリカシーと呼べるものは存在していなかったが、その気質を受け継ぐシーナはまあそうだ、と納得する。
財力も伝統もそこそこの田舎貴族の娘が王族の婚約者の名乗りを上げるなら、領地一帯にとどろくレベルの美しさぐらいは持ち合わせていたいところだったが、シーナはあいにくそこまでの美貌ではない自覚はあった。領民の年寄りたちは可愛いと言ってちやほやしてくれるが、まあ普通の範囲内だろう。
マクグラスが肩をすくめる。
「この際、容姿はそこまで関係ないんですよ。どうせあの王子の前では大体の令嬢はかすみます。問題は、あの王子の暴言に耐える胆力があるかどうか。それに、シーナは可愛らしいと思いますけどね」
それこそ親戚の欲目というやつだろう。マクグラスはシーナに視線を移した。
「男爵家とはいえ、キャンベル家はもともとは名門グレインフォードの分家だし、シーナがその気なら一旦養女になれば血筋的に問題はないんだよね。何よりディアミド王子だって、母方は別に高貴な血筋というわけじゃないし」
ディアミド王子の母は美しいが庶民出身の側室だというのは知られた話だ。庶民出身でありながら王の子を産んで王宮に入った彼女に関して、市井ではどちらかと言うと羨望の眼差しで語る人が多かったが、貴族社会で特に位が高くなるにつれて侮蔑の方が多くなってくる。
ディアミドの王位継承は、序列としては第二位だが、ほとんどその芽はないに等しいと思われていた。
「王宮ではまあまあ厄介な立場だよ。だから、ディアミド王子の妃には、シーナみたいな神経の図太い……いや、立ち回りの上手い賢い子が合ってると思って、こうして話をしに来たんだよね」
隠しきれない本音が漏れて、この人はよくこんなんで宰相補佐なんて重責を担っているなと呆れた。
「すぐに婚約しろとは言わないから、とりあえず会うだけ会ってみてくれないかな? 実はもう国王夫妻には話しちゃってて。結構乗り気でいらっしゃるんだ。駄目でもともと、気が合えばラッキーみたいな感じで。何せもうすでに王都中の年の釣り合う令嬢からは全員断られてるからね。ははは」
本音を言えばその聞くからに性格の悪い王子と会うのは憂鬱だったが、王都のお城には行ってみたい。それにマクグラスのことは好きなので、乾いた笑いしか出てこない彼が不憫といえば不憫だった。会うぐらいはいいだろうと、とりあえず承諾したのである。
「でも、会うだけだからね。嫌だと思ったらすぐに帰るから」
「もちろん。そこは無理強いはしないって」
「あと、もちろんただでとは言わないよね?」
やっぱりしっかりしてるなあ、とマクグラスは笑う。
「何が良い? ドレス? アクセサリー? それとも、王宮のパーティーに出てみたい? これでも結構城では偉いんだ。何でも言ってくれて良いよ」
シーナは少し笑った。なんだかんだ言って、生まれた時から知っている親戚の娘にこの人は甘い。
服飾品に一切興味のない可愛げのない妹だと姉たちには散々揶揄されているのに、マクグラスの眼にはそうは映らないらしい。ディアミド王子とやらにもこんな感じなのだろうか、と思い至る。
「実はね、行ってみたいところがあって──」
シーナの望みは、マクグラスには少々意外なものだったらしい。
少し驚いた顔はされたが、そんなことでいいのなら、と快諾してくれた。
三年後、国中から貴族の子女が集まる学園に入学する予定のシーナにとって、今回の王都訪問はその予行も兼ねていたため、興味深いものではあった。持ち前の好奇心の強さも相まって、馬車と鉄道で十日ほどかかる旅程もまったく苦にならなかったくらいだ。
シーナの次姉のエリンも二年前から王立学園に在籍しているので、久しぶりの再会は嬉しかった。ただ、思っていたほど素晴らしい場所というわけでもないな、というのが王都に着いたときの正直な第一印象だった。
まず王都に立ち入った時点で何もかもがシーナの知っている世界とは違っていた。森も川も見えない、レンガ造りの建物がどこまでも建ち並ぶ街の景色を見ていると不思議な気持ちになってくる。
都会の人間特有の取り澄ましたような話し方もきらびやかな衣服も、領地の純朴な人たちとは違っている。
王都の中心部である王宮はなおのこと顕著だった。上級官僚から使用人に至るまでよく言えば洗練されていて、悪く言えば気取っている。
第二王子と会うことになる少し前、庭園で、義理の母に当たる王妃という方にも一瞬だけ会った。
シーナが教えられた礼儀作法の記憶を総動員して挨拶をすると、表情はにこやかだったが、どこか上の空のようにも感じる。そのまま目も合わさずに行ってしまう。
義理とはいえ息子とこれから対面することになる、もしかすると婚約者になって将来結婚することになるかもしれない娘だというのに、まったく興味がないように見えた。
王妃に付き従っていた侍女には格を見極めるように一瞥され、瞬時に取るに足らない人間として判断されたのがわかる。会釈ひとつせずに王妃の後を追うように通り過ぎてしまった。
(へんな場所……)
シーナは困惑して、ここにいる自分がひどく場違いな気がした。ここでは、子供は皆このような扱いを受けるのだろうか。自分の知る領地の人々とは何もかもが違っている。
万が一、第二王子と意気投合して首尾よく婚約することになった場合、シーナはこの王宮に住むことになるのだろうか。それは少し嫌だな、と思う。
幸い、というべきか。ほとんど予想通りディアミド王子との邂逅(かいこう)は一瞬で終わった。
シーナは散々な結果だったとマクグラスに対して少し申し訳ない気持ちになったが、マクグラスが言うには、王子の毒舌を浴びて泣かなかった令嬢は珍しいらしい。それだけでも上々だったと感謝されてしまった。
正直常日頃から村の領地の子供たちとやり合っているので、口の悪さには耐性があるだけだと思う。
「わざわざ王都まで来てもらったのに、悪かったな。お礼に帰るまでの間は何処へでも付き合うよ」
わざわざ王都の流行を発信している雑誌まで用意してくれていたので、律儀な人だとシーナは笑った。
「約束、憶えているよね? 図書館に行ってみたいって言ったでしょう。おじさんは忙しいんだから、案内だけしてくれたら大丈夫」
シーナがディアミド第二王子と会う見返りとしてマクグラスに願ったのは、王立図書館への立ち入り権だった。
王都の中心地から少し外れたところに王立学園がある。シーナが三年後に通うことになる場所だ。その敷地内に建てられている図書館はレンガ造りの三階建ての円形建築物(ロタンダ)で立派な建物だった。建物の中心にある閲覧スペースはとても広く吹き抜けになっていて、そこから見上げると図書館中を一望できる。三階までの壁面をびっしりと覆う本棚は圧巻だった。
国の内外の書物が集まっているというこの図書館は、生家の屋敷の書斎か領地にある学校の図書室ぐらいでしか本を読むことができなかったシーナにとっては、憧れの場所だった。
本館は一般にも開放されており、王都の者なら誰でも利用することができる。少し離れたところにあるアカデミーからの利用者も多いということだった。
「こんなに……本がたくさん……」
シーナは目を輝かせて館内を見渡している。読書家である彼女は、すでに領地にある目ぼしい書物はあらかた読み尽くしてしまっているが、今まで読んだ本などほんの少しにすぎないと思い知らされる。
王都に来てほとんど初めてと言っていい子供らしい表情のシーナに、マクグラスは笑いを噛み殺した。
「気に入った?」
シーナは何度も頷いて、満面の笑みでマクグラスを見上げる。
「もちろん。連れて来てくれてありがとう」
「それは良かった」
それから、シーナは王都にいる間、図書館に通い続けた。
多忙なマクグラスの代わりに侍女と従僕が付き添うことが多かったが、特に不満を感じることもなく、楽しく過ごしている。
学園の寄宿舎に住んでいる次姉のエリンともよく待ち合わせをして、屋台で売っているじゃがいものパンケーキを食べながら話をした。
「ほんとはね、シーナには王都は合わないんじゃないかと思っていたの。格式や身分が何より優先される場所だし。でも意外と気に入ってるみたいで安心したわ」
「うーん。私も最初はそう思ってたんだけど。田舎ものだって見下してくる人も多いしね。合わない人とはほんとに合わないと思う。でもおじさんの屋敷の人や図書館の人とか、仲良くなったら楽しい人が多いってわかってきた。今は早く入学したいと思ってるよ」
合わない人、の筆頭にあのディアミド第二王子を思い浮かべながら正直な気持ちを打ち明ける。そういえば、あの王子とは同い年だから、王立学園では同級生になる可能性が高いのか。それは少し嫌かもしれない。
そうとは知らないエリンが嬉しそうに笑う。
「入学するのが楽しみね。残念ながら、その頃には私は入れ違いで卒業しているけれど。来週領地に帰ってしまう前に家族へのお土産を買うなら、私も買い物に付き合うわ」
買い物にはマクグラスも付き合った。マクグラスは百貨店であれでもないこれでもないと家族の好みを話し合う姉妹を、娘を持つというのはこんな感じなのだろうか、と感慨深く見ていた。
「ちょ、ちょっと、買いすぎじゃない? もらったお小遣いじゃ、ぜんぜん足りないかも」
あれこれとマクグラスが買い込むので、あっという間に従僕が抱える荷物が見上げるほどになって、シーナが慌てる。
「もちろんここは私が払うよ。たまにはこうやってたくさん買い物をしないと、オーナーに顔を忘れられてしまうからね。どうも私ひとりだと買い惜しみしてしまっていけない。その点、君たちへのプレゼントは買うのに罪悪感も無いから、ありがたいんだよ」
片目をつぶるマクグラスに、エリンが昔を思い出して目を細める。
「そうそう。私たちが領地にいる時は、いつもおじさまがたくさんお土産を持って来てくれて、それがとても楽しみだったものだわ。懐かしいわね」
そうやって、短い間ではあったが、シーナの王都滞在は終わった。最初のネガティブな印象が嘘のように、後半は楽しいことばかりだったので振り返るとあっという間だった。
「学園に入るためにまた王都に来る日を楽しみにしているよ」と言ってくれるマクグラスと、「みんなによろしくね」と言うエリンに手を振って、シーナは付き添いの侍女とともに、意気揚々と鉄道に乗り込んだ。
やがて、それから三年が経ち、13歳になったシーナは当初の予定通り王立学園に入学した。ここは完全寄宿制で、入学した者は、五年かけて高等教育と国際感覚、紳士淑女としての振る舞いを身に付け、人脈を強固にする。
ざっくり言えば、貴族の子女が交流を深めるためのプレ社交場のようなものだ。
そしてもちろん、同い年のディアミド王子もそこにいたのである。二度目の邂逅だった。
ディアミドはシーナの顔を見るなり嫌そうな顔をした。
「何だ、いつかの庶民顔じゃないか。まさか俺を追いかけて来たわけじゃないだろうな、男爵令嬢風情のくせに厚かましい。執念深い女とは交流する気はない。気安く話しかけるなよ」
変わらない物言いは微笑ましくすらあった。
王立学園は、入学資格を貴族の子女に限定しているので、学園の在籍者は多くない。そもそも社交が目的の場所なのに「話しかけるな」なんて何を言っているんだ、と呆れる一方で、すっかり忘れられていると思っていたのに、三年前に一度顔を合わせたきりの自分を覚えているなんて意外と頭は悪くないなとこっそり感心もする。
どうせもうあまり関わることがないであろう人間から発せられる暴言は大して気にならない。ダメージで言えば散歩中に知らない犬に吠えられたのと同じくらいだ。
ディアミドの暴言は見境なく発せられるらしく、入学当時から彼は同級生たちから遠巻きにされていた。取り巻きのような男子は数名いるものの、それは有力貴族の令息ばかりで、友人というよりは主従の関係性に近いものに見えた。
令嬢や気の弱い者やシーナと同じような地方出身の者たちからは、あからさまに怖がられている。もしかすると、全員横暴な振る舞いをされたことがあるのかもしれない。
庶子とはいえ、王子という身分をもつ以上はもう少しもてはやされてもいいはずなのに、彼の毒舌が周りを寄せ付けないのだろう。
彼の立場を鑑みても、在学中に少しでも多く味方を作っておかなければ将来的に困るのはディアミド本人である。賢く立ち回れないなら潰されるだけだというのに。
ディアミドは破滅への道を自ら進んでいるように見えるが、まあシーナには関係無いことである。
五年経って卒業してしまえば、おそらくほとんど会うこともなくなる人物だ。学園生活さえ平和に送れればいい。それがシーナの望みだった。
そう思っていたのだ。その日、人知れず涙を流すディアミドを目撃するまでは。
学園に併設されている王立図書館の片隅に、隠れるようにして小さなドアがあり、鍵を使ってそこを開けると、一般には開放されていない閉架の書庫へと続く狭い廊下がある。
シーナはそのドアの鍵を持っていた。
三年前、ここの司書と親しくなっていたシーナは、入学した際に真っ先に挨拶に訪れた。
「待っていたわ」その女性司書はシーナの顔を覚えていて、嬉しそうに迎えてくれた。そして、「これ、なんだかわかる?」と鈍く光る鍵を取り出したのだ。シーナはそれを覚えていて、嬉しそうな顔をする。
「もちろん。書庫の鍵でしょう?」
三年前、マクグラスは、一般人は立ち入ることができない閉架図書をふくめた図書館のあらゆる場所へ入っていい権利をくれたのだ。
高価な本、写本のあまりない貴重な本、ぼろぼろになって修復が必要になった本などがそこにはあった。
残念ながら、期待していたような、決して人がおこなってはいけない魔術や、隠された王家の裏の歴史を書いた禁書の類いは無かったが……。
──最近は、ここの関係者も高齢化がすすんでしまって。かすむ目では修復も大変だし、虫干しや掃除も大仕事でね。
書庫を案内してくれながらそうこぼしたこの司書に、「学園に入ったら、私が手伝いに来ます!」とシーナは宣言したのだ。人のよさそうな司書の目が、眼鏡の奥でにこりと微笑む。
「あの時の約束、覚えているわよね?」
そんなやり取りがあって、シーナは放課後手が空いている時に来て、仕事を手伝うことになった。
軽い気持ちで引き受けたシーナだったが、確かに想像よりも図書館の仕事はハードだった。虫干しや掃除だけではなく、膨大な蔵書の管理のために常に分厚いリストを更新しなくてはいけなかったし、本の捜索のために梯子を持って館内を走り回ることもある。
優しげな職員たちは意外と容赦無く重労働を申し付けてくる。さすがのシーナも慣れるまでは学業との両立は大変だった。だが、それを加味しても本に関する作業は楽しい。だからまあ別にいいかと手伝いを続けている。
その日の夕方、シーナはそこに人影を見つけて少し驚いた。入学して以来、ここに図書館関係者以外の人間がいるのを見たのは初めてだったからだ。
シーナはいつものように、職員と許可を得た者以外は立ち入り禁止の書庫で作業をしようと入室したところだった。
この閉架書庫の本は原則室外へ持ち出し禁止なので、閲覧用の机と椅子が設置してある。そこに座っている者がいたのだ。
窓から差し込む西陽が逆光になっていて、誰かもわからないまま不用意に近づいてしまったのがいけなかった。お互いの相貌がはっきりわかる距離までシーナが近づくと、足音に気がついたのか、机に座って書物を読んでいた人物が顔を上げた。
ディアミドだった。
驚いたように見開いてこちらを見た瞳から、ひと筋の涙が流れていた。
窓から入る光がディアミドの輪郭を照らし、まるで有名な画家の描く一枚の絵画のようだと思った。
美しい、と真っ先に感心したシーナだったが、その直後に後悔する。気づかれる前にそっと出て行くべきだった。
「なっ」
泣いているところを見られたディアミドは、慌てたように音を立てて立ち上がった。みるみる顔が赤くなっていく。元々肌の色が白いので、その変化は顕著だった。
「なんだお前……何でこんなところにいるんだ! ここは誰彼構わず入って良いところじゃないはずだぞ」
それはそちらも同じだ、と思ったが、ディアミドがここに入れるのは王族特権だろう。
口では威勢のいいことを言いながらも、顔を逸らして目許を拭っている。舌鋒にもいつものような鋭さがない。やっぱりあまり見られたくないような姿だったんだろうな、と気まずさがシーナを支配した。
「失礼しました。まさか人がいるとは思わなくて。私は訳あって、こちらを自由に出入りして良い権限が与えられているのです。すぐに出ていきますので、どうぞ気にせずお続けください」
一礼して身をひるがえす前に、ディアミドが読んでいた本の表題がちらりと見えた。
それはこの国では割と有名な『七つ星の家族』という物語だった。
血筋も種族も違う七人が家族になり、世界を支配しようとする邪悪な魔法使いを滅ぼす話だ。
少し賢ければ子供でも読める本だった。現にシーナは領地で家庭教師に教わっていた頃に読んでいる。
こういう本を読んで涙を流すのか、と少し意外に思いながら立ち去ろうとするシーナを、ディアミドの声が追いかけてくる。
「誰にも言うなよ……っ」
シーナが立ち止まって振り返ると、ディアミドは見たこともないくらい必死の形相をしていた。この王子は、人に弱みを見せることを極度に恐れているのかもしれない。
「言いませんよ」
シーナにはその発想すらなかったが、ディアミドはいまいち疑念が晴れていないような不安げな顔をしている。あまり他人を信じることに慣れていないのだろうか。
涙を見てしまったことは完全に不可抗力だったが、こちらだけが弱みを知っているのもなんだか居心地が悪い。仕方がないのでシーナも秘密をひとつ開示することにした。
「ディアミド様。実は私も、小説を書いているんですよ。趣味で」
「え……」
予想外の内容だったのだろう。ディアミドは虚をつかれたような顔をした。
「何なら少しだけ濡れ場もあります。婚約者や恋人どころか、人を好きになったことすらない私がそんなものを書くなんて無謀なんですけどね。……昔から、ロマンス小説が、好きで」
さすがに恥ずかしくなってきたので、声が小さくなる。
「親どころか友人にだって到底見せられない内容なので、誰かに打ち明けたのは初めてです。もし私がディアミド様のことを言いふらしたら、人に言ってもいいですよ」