一年生編
一
「斎藤花ってあなた? ああそう、ちょっと話があるんだけど」
体育祭が終わって少しした頃。
花は廊下に呼び出された。目の前にいるのは、女子三人。そのタイの色は──二年生のものだった。
「ええと、何の御用でしょうか?」
昼休みになってすぐ。これから弁当というタイミングだったため、花は一度教室の中を振り返った。一緒にお昼を食べる友人たちが、心配そうにこちらを見ている。クラスの中ではおとなしいグループに属する彼女らは、相手が上級生であるためか、うっかりでも近づいてきてくれないようだ。
上級生はポニーテールの長身の女子を筆頭に、ショートとストレートロング。体育祭でちらっと見たかもしれない程度の、薄すぎる記憶。だから、無条件でほいほいついていく気分にはなれない。
「……倉内くんのこと、と言えば分かる?」
だが、言葉にされた人物の名を聞いて、花は考えを改めた。怪訝な気持ちがすぱっと消え、「分かりました」とほいほいついていく気になったのだ。
「ちょっと言ってくるね」と振り返り、友人たちに手を振る。うわあ、と言う顔をした彼女らの表情が印象的だった。
「どこに行きましょうか?」
歩き出す前に、花は代表だろうポニーテール先輩に問いかける。まだ外は暑い。日当たりのいいところは、できれば避けたいと思った。
「どこって……体育館裏でいい?」
ポニテ先輩は、ちらちらと後方の二人に確認をする。
「それより、普通に校舎裏とかどうでしょう。近いですし」
体育館裏まで行くのは、遠くて時間も余計に使う。つい花がそう提案すると、彼女らは戸惑った表情になった後、そこでいいわと了承した。
花はほっとしながら、先輩たちについて歩き出す。階段を下りきってしまえば、すぐ側の出口から校舎裏には出られる。校舎沿いの地面はコンクリートになっているので、そこであればわざわざ外履きに履き替えなくてもいいだろう。
さて、と。
階段を下りながら、花は考えを巡らせた。倉内の件で上級生に呼び出されるのは初めてだが、考えていなかったわけではない。彼はとても女性に好かれる容姿をしているので、いつかこういう日が来ることは、薄々予見していた。だから気が重いわけでもない。
気が重くなくなった理由は──花の中で、大事な形が定まっていたから。
「単刀直入に言うけど、倉内くんから離れてくんない?」
「すみません、無理です」
校舎裏。昼休みが始まったばかりのこの時間は、まだ誰も裏庭にいない。昼休みが進んだところで、ほとんど人は来ないだろうが。
太陽は高い位置にあるが、校舎のすぐ側くらいまでは日陰をつくってくれていて、そこで三人の上級生と花は向かい合った。
花の返答に淀みがなかったせいか、しばし向こうに沈黙が生まれる。
「あなた、倉内くんのこと……好きなの?」
ジロジロと眺め回された後、ポニテ先輩は目障りという表情を消さないまま、花に向かって問いかける。
「大切な友達です」
上級生に向かって、花はその伝家の宝刀を抜いた。夏休みの間に形になった、自分と倉内の関係を表す言葉。他の人にはどう見えるかは分からないが、それは花にとって、かけがえのないキラキラしたものだ。
「はぁ?」
その刀を前に、上級生たちは奇妙な顔をした。
「楓先輩は、私の大切な友達です」
関係を表す言葉があるというのは、花の足場を安定させてくれる。いままでは、他人に聞かれた時に答えられなかった。言葉がなければならないというわけではないが、周囲が納得してくれないだろうということくらいは、花も分かっていた。
「かえ……ねぇ、それってただ単に倉内くんのことを独占したい口実じゃないの? 『大切な友達』とか綺麗事、言っちゃって」
「そうよそうよ」
「私たちの方が、倉内くんと友達の期間、長いんだから」
ポニテ先輩に続き、ショート先輩、ストレートロング──ストロン先輩が初めて声をあげる。活発そうなショート先輩の声がやや甲高かったのが、花にとっては印象的だった。
「楓先輩の友達……なんですか?」
最後の言葉を言ったストロン先輩に、花は視線を向ける。他のどんな言葉よりも、それが気になった。
「そ、そうよ……それが何か?」
花からの個人攻撃に一歩引く動きを見せたストロン先輩は、しかし踏みとどまって言い返す。
「そうですか、それは良かったです。でも、友達なら……ええと、その……こういうことは……」
「花さん!」
花は、必死で言葉を考えている最中だった。上級生たちの神経に障らないように、花の気持ちを伝える言葉を探していたのである。だから自分の言葉にかぶさった別の声に、すぐには反応できなかった。
「……?」
一拍遅れて自分が呼ばれた気がして、花はきょろきょろした。しかし、声は前からでも後ろからでもなく──
「花さん、だ、大丈夫?」
──上から、だった。
ぐうんっと首を真上に上げると、二階から身を乗り出す人が見えた。薄茶の髪は、上下の差があってもよく分かる。
そんな倉内の横の窓から、心配そうな顔の友人が二人、遠慮がちに見下ろしているのが見えた。
不思議な組み合わせを見て、花は理解する。彼女のことを心配した友人が、会話の内容から倉内楓に助けを求めたのだろうということを。
「は、花さん、すぐ、すぐ行くから!」
そんなに身を乗り出すと危ないと言いたくなるほど、彼は一度大きく身体を窓の外に出した直後、視界から消え失せた。階段に回って下りてくるのだろう。
突然の出来事に花も驚いたが、視線を戻した先にいる三人の上級生も度肝を抜かれた顔をしていた。
一番慌てていたのはショート先輩だった。「行こ、ねえもう行こう」と、倉内と鉢合わせするのを恐れているように見える。ストロン先輩もまた、そんなショート先輩に腕を引っ張られて、反対側から逃げるべきかと算段する視線の動かし方をする。
ポニテ先輩だけが、ぶすったれた顔で花を見ていた。
「楓先輩って……いい人ですよね」
そんなポニテ先輩に、花はさっきまで考えていた言葉のひとつを掴み出した。
「そうよ、倉内くんは優しくて絶対怒鳴ったりしないし、女子をからかったり馬鹿にしたりしないわ」
倉内にバレてしまったことで、逆に何か吹っ切れたのか、ポニテ先輩がひとつ大きなため息をついた後、ついに本音を吐き出してくれた。
おおおおお、と花の中でテンションが上がっていく。
「ですよねですよね。楓先輩は、何かこう紳士っぽいというか、女性に特に優しいというか」
強く感じていることを、花もうんうんと頷きながら同意する。
「そう、だから倉内くんの女子の中でのあだ名は『王子』よ。最近、もっと優しくなったから、倉内くんのファンは増えてるわ」
「おお、王子! そうなんですか……王子……うーん、紳士の方がしっくりくるような」
「あなたの意見は、別に聞いてないんだけど」
「あっ、そうですね。すみません」
「花さん!」
悠長に倉内を褒める会を開催していた花は、倉内の声が同じ高さから聞こえてきたことに気づき、後方を振り返った。
はぁはぁと、息も荒く足早に近づいてくる彼の姿。
「は、花さん……大丈夫?」
「はい、大丈夫です、楓先輩」
こくこくと大きく花は頷いて見せた。何の心配もいらないと。
「先輩たちといま、楓先輩の長所を確認してました」
「……は?」
その瞬間の倉内の表情と言ったら。本当に顎を外さんばかりにぱっかりと口を開け、意味が分からないという顔になった。
そんな顔を、花は初めて見た。
「楓先輩のあだ名が『王子』と聞いて、正直、ちょっと異議ありとは思いましたけど」
「……はぁ、そ、そうなんだ」
開けっ放しだった口を閉じるも、腑に落ちない表情で倉内が相槌を打つ。
「だから、大丈夫ですよ?」
元々、いつか来ることは分かっていたし、花の中の足場は固まっていたので、本人としてもあまり心配はしていなかった。逆に、倉内が現れることこそが予定外だった。心配してくれた友人たちには、感謝をしていたが。
「べ、別にその子をいじめてたわけじゃないわよ。倉内くんがよく構ってるようだったから、何でかなって」
ポニテ先輩は、完全に開き直った顔で倉内に言葉を向ける。
「友達、だから……」
そんな相手に、ぼそっと倉内が音をこぼす。視線は、その人には向けられていない。それでも彼は、足を踏ん張って続けてこう言ったのだ。
「花さんは、大切な友達だから……」
それは、花を幸せにさせる音。
大切な友達という両思いの関係になれる相手は、実はどこにでも転がっているものではない。普遍的で、とても心地いい言葉だった。
「この子にもそう聞いたところよ……そんなの『変』って言いたいけど、言わないでおく。倉内くんが、あの時私に『変』って言わなかったことは、忘れてないから……行こ」
倉内の何倍もの言葉を並べながら、ポニテ先輩は切ない表情を振り切るように歩き出した。彼女にも何か倉内との大事な思い出があるのだろう。二人の女子もまた、彼女について小さくなりながら脇を駆け抜けて校舎へと戻って行く。
「花さん……」
「楓先輩、今日一緒に帰りましょうか」
二人きりで取り残された校舎裏。倉内もこのことで、言いたいことはいろいろあるだろう。
しかし、ここで話をするには問題があった。だから改めて時間を取りたいと花は提案をする。前に、花から誘うという話もしていたことだし。
「え? あ、うん、一緒に帰ろう……えっと」
先手を取られた倉内が、一瞬言葉を見失った目をした。
「話はその時にゆっくり……おなかすきました」
問題。
それは──花がまだお弁当を食べていない、ということだった。