1 結婚式
「……行ってくる……」
「はい、お気をつけて」
その会話が、夫婦となった私たちが交わした最初の言葉。
転移魔法で消えた彼の跡には、まだ青い光がうっすらと残っている。
結婚式が終わるとすぐに、夫となったアルフォンス・ソールは仕事場である城へと向かった。
気の毒そうに一人残された花嫁を見る参列者たち。
最後の一人が会場を後にするまで微笑んで見送った私に、両家の両親が申し訳ないと頭を下げた。
「すまない、オデット。王女様がどうしてもアルフォンスに来てほしいと言うのだ」
私の父、ディオン・シャノン伯爵がため息混じりに話すと、アルフォンス様の父、イアサント・ソール伯爵も「断りきれず本当にすまない」と言われる。
「私は大丈夫です。王女様にお仕えすることが、彼の仕事なのですから」
こうなることは分かっていた。
なぜなら式の後、普通は行われるはずの披露宴は、初めから話にすら上がらなかった。
今日、私オデット・シャノン改めオデット・ソールは、ソール伯爵家の三男で近衛騎士であるアルフォンス・ソールと結婚をした。
夫となったアルフォンス様は、王女様付きの近衛騎士である。
そして、密かに王女様と恋人同士であると噂されている人物。
彼が王女様に仕えるようになったのは今から五年前、彼が十七歳、王女様が十一歳になられた時だ。
王族に仕える騎士ともなれば、剣と魔法の腕も必要だがそれと同じく容姿も重要視されている。
その中でも、アルフォンス様はとりわけ秀麗な容姿をされていた。
騎士ならではの、服の上からでも分かる鍛え上げられた体躯、由緒正しいソール伯爵家で育てられた所以の身のこなし。
サラリと風に靡く髪は、煌めきを放つ金色。
右側が長めに伸ばされた前髪、後ろは襟足につかないよう短く切られている。
瞳の色は、夏の雲一つない真昼の空のような青。
その目で見つめられた者は、誰もが彼に夢中になるのだとまで言われているほどだ。
そんな彼は、近衛騎士となり王族に仕えることが決まるとすぐに王女様に気に入られ、専属に選ばれている。
◇◇
すべてが終わると、父ディオンがこれから暮らす屋敷の近くへと、私を送ってくれた。
「ありがとうございます。お父様」
「……ああ、これくらいしかしてやれず……すまない」
なんとも申し訳なさそうに話す父。
あまりそんな態度を取られてしまえば、この結婚が間違いだったのではないかと思ってしまう。
「お父様、私は大丈夫ですわ」
そう言って笑顔を見せると、お父様はようやく愁眉を開く。
それまで明るかった辺りが、だんだんと暗くなり始めた気がして、ふと空を見上げると、黒く厚い雲が広がっていた。
今にも雨が降り出しそうだ。
同じように空を見上げていた父が眉を寄せる。
「……オデット、雨の日は王女様があの日を思い出して不安になられる。今宵、アルフォンスは戻れないだろう」
「はい」
そう話していた時に、ポツリと雫が頬を濡らした。
「……あ、雨が……」
雨が降ってきてしまった。
本当なら夫と二人で過ごすはずの今宵、私は一人で過ごさなければならないようだ。
転移魔法で帰った父の跡に残る緑色の光が消えるのを見届けて、私は彼から預かっていた青い石を扉に当て屋敷へと入った。
私が入ると扉は独りでに閉まり、ガチャリと鍵がかけられる。
この屋敷は、アルフォンス様の魔法である青い色で包まれていて、中に入ることができるのは彼だけだ。
魔法には、その人特有の色がある。
簡単に言えば、個人の印のようなものだ。
アルフォンス様の妻となった私には、その彼の魔力がこもる魔石が渡されている。
今の私は、渡された魔石がなければ、これから住む家に入ることはできない。
「それにしても、立派な屋敷ね」
今日から暮らすこの屋敷は、彼が三年前に王様から与えられたものである。
二人で暮らすには少々大きすぎる気がするが、彼はこれまでここに一人で住んでいたのだ。
アルフォンス様が王女様付きの近衛騎士となり二年目、城に盗賊が入り込む事件が起きた。
それを捕らえたのは近衛騎士たち。
アルフォンス様も仲間たちと共に、盗賊を捕らえられている。
後日、盗賊を捕らえた近衛騎士たちに褒賞が与えられた。
金銭や爵位など、それぞれに違うものが用意され与えられた。その中で彼に与えられたのは、城にほど近い土地と屋敷だった。
いつでもすぐに城へ駆けつけることのできるこの屋敷を、王女様が彼に与えてほしいと王様に頼まれたのだと聞いている。
アルフォンス様と住む広い屋敷には、使用人と呼べる者は一人もいない。
剣の腕と、高度な魔法が使えるアルフォンス様は、一人ですべてできてしまうため、使用人など不要なのだ。
魔法ならば私も使える。
しかし残念なことに、あまり上手くはないし、強くもない。
手を使った方が早いので、家にいる頃は手作業でばかり行い、よく母から注意されていた。
シャノン伯爵家にいたメイドたちは、よく手作業をしていた。彼女たちは『私たちは、魔力がそれほど強くなく、手を使った方が早くできるのです』とよく言っていた。
私も魔力はそれほど強くない。
それでつい、彼女たちのように手を動かしてしまっていた。
貴族の令嬢ならば、魔法を上手く使いこなせなければならない、それは分かっていたのだけれど。
「魔法を使わないと、この家では暮らせないみたいね……」
手を伸ばし、居間の高い天井に下がるシャンデリアに明かりを灯す。
「はぁ、すごい数だわ」
明かりを灯すだけで腕が疲れてしまった。
どうせ、彼は帰らないのに。
すべて点ける必要はなかったと思いながら、一旦居間の長椅子に腰掛けた。
「……することがないわ……」
食事は軽く済ませてきている。
……お茶でも飲もうと立ち上がり、キッチンへと向かった。
広いキッチンの中央にある作業台の上には、ティーセットが用意されていた。
「アルフォンス様が準備していたのかしら?」
上品な可愛いピンクのティーカップが二客と、茶色の缶に入った茶葉。美味しそうなクッキーまで添えられている。
「これは、彼が帰ってから使うべきよね」
辺りを見回し、食器棚からシンプルな白いカップを取り出してお湯を注いだ。
お湯はどの家でも、蛇口を捻れば簡単に出る。
茶葉を探して出すのもなんだか面倒になり、そのままそれを持って居間に戻り、また長椅子に腰掛けた。
居間にある掃き出し窓の向こうは、激しい雨が降っている。
時折ゴロゴロと雷鳴まで聞こえる。
「こんな日に一人でいると怖いでしょうね……」
アルフォンス様は今、王女様の側にいらっしゃるのだろう。
三年前、城に盗賊が入った日は、今夜のように激しい雨が降っていた。
それは、王女様たちがそれぞれ持つ宝石を狙った犯行だった。
王女様たちがその盗賊に直接出会った訳ではないが、夜の闇の中で聞こえる剣戟の音や怒声が、それまで平穏な日々を送られていた彼女たちの心を痛めてしまった。
それ以来、雨の夜を恐れられているのだと聞いている。
けれども、いつだって城にはたくさんの警護兵や近衛騎士が待機している。
王女様が望めば、侍女も一晩中側にいるだろう。
(それでも、彼じゃないとダメだったのね……)
……と、考えつつ、お湯を飲み窓の外を眺めた。
私が彼の姿を初めて見た日も、こんな風に激しい雨が降る夜だった。
そう、城に盗賊が入った三年前のあの夜、私たちは出会っている。
……彼は覚えていないだろうけど……。
そもそも、私とアルフォンス様の此度の結婚は、王命により言われたものだ。
来月、彼がお護りする王女様は十六歳となり『成人』となられる。
その王女様の側に、恋人と噂される未婚の近衛騎士がいてはならないと王様から言われたそうだ。
王女様と騎士では(伯爵家の三男だけど)身分差があり、一緒になることは許されないのだろう。
たとえ一緒になることが許されなくとも、王女様はアルフォンス様に側にいてほしかったらしく、急遽王女様自ら相手を探された。
誰かいい相手はいないかと探しておられたそこに、城で大臣として働いている私の父親が、手を挙げたのだと聞いた。
十九歳にもなるのに相手もおらず、家にばかりいる私をちょうどいいだろうと勧めたようだ。
どういう訳かその話は王命へと変わり、アルフォンス様と私の結婚は決定された。
アルフォンス様にとっては、不本意な結婚だろう。
それに王命となれば断ることはできないのだから。
いや……もしかすると、彼にとって私はちょうどよかったのかも知れない。
だって、堂々と口に出せるのだ。
彼の恋しい人の名前を……。
私の名前は『オデット』
奇しくも王女様のお名前も『オデット』様なのだから……。