気がついたら異世界だった。
比喩でもなんでもない。物理的な異世界。
私はこの国、フラツィオーネの危機を救う聖女として召喚されたらしい。
聖女。
私が、聖女。
なんの冗談なんだか。まったく笑えない。
聖女は異なる世界から魔法によって召喚されるもので、よく分からないけどとても特別な存在なのだとか。
「このたびは我々の勝手でこのフラツィオーネにお呼び立てしましたこと、まずはお詫び申し上げます」
そう言って丁寧に頭を下げたのは白髪のおじいちゃん。
見るからに高級そうな法衣っぽいものを着ているこのおじいちゃんはこの国の大神官なのだと言った。名前はエドガール・ドネさん。
私を召喚した中心人物。
エドガールさんは低姿勢ではあるけれど、要するに私は拉致されてきたわけだ。
「つまり、拉致してきた私を『聖女』と呼んで祭り上げ、この国を救わせようとしているんですね?」
私がそう言うと、エドガールさんはふっと静かな笑みを浮かべた。
「……いかなる弁明も通用いたしませんね。左様でございます。聖女召喚は非常に困難で、三百年成功しませんでした。聖女様には必ずこの国をお救いいただきたくお願い申し上げます。見返りに、贅沢な暮らしをお約束しましょう」
「…………」
贅沢な暮らし、ねえ。
正直、元の世界にそれほど未練はない。
ブラック企業とまではいかないけれど、残業前提の仕事に追われる毎日には辟易していた。休みもろくに取れないし、その割に給料は大したことなかったし。
忙しいときに限って雑談で時間を奪う上司にも、自分の仕事を平気で押しつけてくる同僚にも、要領がいいだけの後輩にも嫌気が差していた。
今、職場に私の代わりはいない。突然出社しなくなったらきっと混乱するだろう。とは言え、どうにでもなるだろうけれど、でも最初は大変なはず。
ざまあみろだ。
家族に会えなくなるのは寂しいし、理不尽だとも思う。思うけど……。
家に帰せと泣き叫んだところで、そもそもそれが可能とも思えない。
なにしろ、「召喚」は三百年成功しなかったのだから。
要するに、「召喚」はそれだけ不確かな方法なのだ。おそらく。
どうしたらいい?
考えたところで、どうやら私に選択権はなさそうだ。
聖女、ね。
それってつまり職業よね。それとも役職?
私自身はそれほど善人じゃないし、「聖女」という言葉の響きに相応しいとは思わないけれど。そうね……。
この国のひとたちは私を押さえつけて無理やり従わせることもできるはずなのに、一応私を尊重しようという態度を見せているし。
贅沢な暮らし。まあ、悪くないんじゃない?
元の世界に戻ったところで、あくせく働いても贅沢な暮らしなんてできないしね。
「分かりました。私の人権を尊重し、丁重な待遇が実現されている限りは協力します」
「ありがとうございます。恐れ入りますが聖女様、お名前をお教え願えませんでしょうか」
名前、か。本名を名乗っても大丈夫なのかな。呪われたり、魔法で縛られたり、弱みになったりしそうな気がする。
うーん。
「……コハル、と呼んでください」
「コハル様。ありがとうございます。それでは、コハル様にお使いいただく宮にご案内いたしますので、湯浴みをなさってください。皇帝陛下が晩餐にコハル様をご招待されたいとのことです」
皇帝陛下?!
贅沢な暮らし、というのは嘘ではないようだ。
私に与えられた宮は王宮と呼ばれる巨大なお城の離宮のひとつだった。
その名もフォルモント宮。
部屋ひとつじゃないのよ。離宮まるっとひとつくれちゃって、しかもちゃんとメイドさんもたくさんいるの。
言葉は通じるけれど、全体的に外国風だ。ひとの見た目もそうだし、建物や身につけているものもそう。
中世とか近世とかのヨーロッパ風?
だって、やたら広いお風呂に入らされた後、用意されたのはドレスだったのよ。
ドレスと言っても白地に銀糸で細かい刺繍の入った聖職者風のドレスだけど。ただ、聖職者風なのに露出が多いんだよね。スリットざっくりで歩くと太ももまで見えるし、背中も大きく開いているし、おっぱいなんて半分見えてる。
なんなん? このエロいドレスは。
「そなたが聖女コハルか」
皇帝陛下というひとは、豪胆な雰囲気を纏った、思ったよりも若そうなひとだった。四十代半ばくらい?
威風堂々としたイケメンで悠然と微笑んでいる。
いかにも権力者らしい、強者の笑みだ。
「はい」
こちらの礼儀作法なんて知らない。
ちょっと周りからハラハラした雰囲気を感じたけど無視。
ここは強気にいこう。臆しちゃいけない。私はこの国を救う聖女なんだから。
皇帝陛下はにやりと笑った。
「太々しいいい面構えだな。期待できそうだ」
ふーんだ。
「遠慮しないで食べてくれ。そなたのために用意させた料理だ」
確かに美味しそうなお料理が並んでる。
聖女を異世界から召喚しなければいけないほどの危機に瀕している割に、裕福な国っぽいけど何に困っているんだろう。
食文化は元の世界と大差なさそうなことにほっとする。
私は遠慮なくナイフとフォークを手に取って大きなステーキを食べ始めた。
「それで、具体的に私は何をすればいいのですか?」
「うむ。言い繕っても仕方あるまいな。端的に言おう。してもらうのは性交だ」
ん?
「コウ?」
「そうだ。聖女は性交によって体内に受けた精をエネルギーに聖力を作り出す。その聖力を神殿の御神体に捧げれば我が国の守護神クピドが龍神を呼び恵みの雨を降らせるのだ」
セイコウによって体内に、なんだって?
それで、えーと?
「雨?」
「そうだ。先代の聖女が身罷〈みまか〉られてすでに三百年。その間貯蔵していた水を用いてここまできたがその水も底が見え始めた。我が国の水不足は深刻だ。なにしろ、雨がまったく降らないのでな」
「…………」
水不足。それは確かに危機だわ。それもとんでもない危機。
まさか、雨がまったく降らない国があるなんて。
そりゃあね。聖女が雨を降らせるならば拉致もするわな。
それにしてもさ。セイコウって性交なの??
どんなエロ神だよ。そんなことを聖女に強要するなんて。
ヤバいな。拒否したら、絶対無理やりヤられるよね。そうとも知らずに防御力ゼロのドレスを言われるまま着てしまった。
これは戦闘意欲を削ぐ作戦に違いない。むう。
「そんな顔をせずとも、相手は選ばせてやる。ただし条件があってな、我が国の騎士の中から選んでもらわねばならない。聖力の源となった騎士は聖騎士として聖剣を扱う力を得、我が国を疫病から守る結界を作ることができるようになるのだ」
へえ、そーですか。
「…………」
幸い、私は恋愛感情に疎い方だ。
クリスマスもバレンタインデーも友人たちのようには盛り上がれなかったし、付き合いたいと言われて付き合って、別れたいと言われて別れてきた。
そのせいか、セックスを愛の営みとは思っていない。愛なんて小指の先ほども感じない恋人たちと何度もしてきたし、あれは言ってみれば義務のひとつだ。
だから別に、この世界で生きるためにどうしても必要ならしても構わないのだけれど。
……敢えてしたくもないんだよね。疲れるし汚れるし言うほど気持ちよくもないし。
「国中の見目がいい騎士を集めている。食事を済ませたらさっそく選んでもらおう」
え、もう?
国中の見目がいい騎士って、一体何人いるんだろう。
召喚の儀式に合わせて集めたんだろうね。成功しないかもしれないのに、ご苦労様なこと。
見た目か……。まあ、いいに越したことはないけれど。
「あの、集められた騎士って全員独身ですか?」
「いや、既婚者もおる」
うわ。まさかと思ったけどやっぱりか。
こんな得体の知れないところで、余計な恨みは買いたくない。
「既婚者はあらかじめ省いてください。恋人がいるひとも。それから、私に選ばれることを望まないひとも外してください」
仕方なくこの状況を受け入れているのに、選んだ相手が嫌々私を抱くとかそんな屈辱あり得ないでしょ。
奥さんや恋人さんたちだって嫌だろうし。
「聖女に選ばれることを望まない騎士などおらん」
そんなわけないでしょ。
上司の思い込みって、本当に当てにならないよね。
私、スタイルは自信あるしそこそこ可愛いと自負しているけど絶世の美女ってわけじゃないし。
聖女ならどんな女でもいいって男ばかりでもないはずよ。
「お願いします」
「うむ」
皇帝陛下は面白いものを見るような目でしばらく私を眺めたあと、近くにいたひとに「コハルの希望通りに」と指示を出してくれた。
「陛下、仰せの通りに対応したところ、残った聖騎士候補は三百人余りとなりました」
「そうか」
三百人?!
多い……。そんな中からどうやって選ぶの。顔? 顔で選べばいいの? でも、性格とかいろいろ合わなかったらやだよね。
性交って一回やってお終いじゃないんでしょ?
「あの……」
「なんだ? 疑問があるなら申してみよ」
……さすがは皇帝陛下。いちいち偉そうだな。
「相手ってひとりしか選んじゃダメなんですか? あと、一度選んだら変更は不可?」
「せ、聖女様。もう少し丁寧な言葉遣いを……」
「よい。コハルには特別に許そう。非道を働いているのは我々の方だ」
「は、はい」
ふーん。私を奴隷扱いしないのは皇帝陛下の方針なのかな。
少しは信用できそうかも? いや、油断は禁物か。
皇帝陛下はゆったりした笑みを浮かべて私を見た。
「聖騎士の交代は可能だ。過去の記録では毎晩違う騎士を寝室に呼んだ聖女もいたとある。いつでも申し出てくれ。だが、複数の騎士を一度に選ぶのはやめてくれ。聖剣の持ち主が誰か、分からなくなるからな」
ふーん、なるほど。
じゃあ、取り敢えずは適当に選ぼう。イマイチだったらチェンジってことで。
やるべきことが決まったら、先延ばしにすることに意味はない。
この国のひとたちとは長い付き合いになるのだし、それならお互い気持ちよく仕事をしたいものね。
私はさっさと食事を済ませ、用意された控え室で待機することにした。