彼女の恋
アストリッド・スヴェレ、二十二歳。
十二歳で最後の家族である父を亡くし、家業を継いで、王宮の奥の隅っちょにある図書館の管理人兼写本職人をしている。
国王陛下から一般市民まで全国民総魔術師という国で、古参の貴族のくせに魔法ひとつしか使えない落ちこぼれっぷりだけど、元気に生きてます。
が、長い片想いの末にとうとう失恋したんで、このたび、潔く見合い結婚することにしました。つらーい。
広い世界のとあるところにある魔術師の国、ブークモール。
国土は小さめながら、国王から一般国民までの大多数が魔術師というお国柄で、隣の大国ともなんだかんだと平和にやっている。
その王宮の最奥に、ひっそりと建つ書庫がある。
国家創設時代からコツコツと蒐集されてきた、古い魔術関連書籍を管理する図書館だ。
古すぎて、今どき流行りの魔術とも完全に別物別世界な内容の本ばかりで、だーれも気にしない、そんな図書館。
我がスヴェレ家は、代々この図書館の管理人をしてきた家だった。
ブークモールは、強大な力を持っていた大魔女と、その七人の弟子たちが作った国だと言われている。
七人の弟子たちが弟子を取り、その弟子たちも弟子を取り……とねずみ算式に魔術師が増えていった時代があったのだそうだ。
魔術師は、自由気まま自由奔放な気質の者が多く、群れるのに向いていないと言われるが、増えすぎて、少々面倒なことが増えてきたために、国という形を作った、と正史に記されている。大丈夫か、この国。
ともかく、我がスヴェレの初代さんは、大魔女の七人の弟子のひとりだったそうな。
七人の中でも一番最後に弟子になった魔術師で、いまいちパッとしなかったというが、それもそうだろうなーと子孫は思う。
なにしろ、魔術がひとつも使えない。
普通の魔術師は、大抵のことを魔術でパパッと片付けてしまえるのに、スヴェレ家の魔術師は、悲しいかな、魔術オンチなのだ。
おかげで、人間づき合い……魔術師つき合いにも代々苦労する家だ。
魔術師の恋愛と言えば、魔術技巧を凝らした恋文や伝書鳥を模した使い魔を飛ばし、愛を囁くってやつが定番なのに、魔術感応が悪すぎて、送ってこられた封書を触っても仕掛けが発動せず、読むことすら碌【ろく】にできない。
スヴェレと書いて、魔術不感症と読む、ってくらいの音痴っぷりなのだ。
他の理由も相まって、あまりにも魔術師の規格からズレているために、魔術師の輪に入りにくい。
そんな家でも、原初の七大魔術師の家系、なんてご大層なものにカウントされてきたおかげで、血を絶やさずにいるんだから、コネって凄い。
代々、他の六家のどっかか、王家が見かねて、適当な結婚相手を探してくれる。ありがたいことです。
そんな我が家の魔術師が、魔術音痴な体質と同時に引き継いできた、たったひとつの魔法。
それが、「インクの魔法」。
誤字脱字をしても、インク壺ひっくり返しても、あーら不思議! 手を振るだけで、誤字は正され、脱字は訂正され、ビッタビタのインクはインク壺に! まあ便利!
……てのが、我が家の魔術師が使える、たったひとつの魔法。使いどころがない。
他の家は、戦闘術や暗殺術に長【た】けていたり、使い魔をはじめとする魔法生物の錬成が得意だったり、薬学や外科術と組み合わせる魔術医学の研究に携わっていたりと、人様や社会のお役に立つ魔術がお家芸なのに、スヴェレはインク。
それしかできないのに、どうして偉大なる原始の魔女様の弟子になれたのか。
ひとりくらい、間抜けな弟子がいたほうが、気が休まるとかそんな理由だったんだと思う。間違いない。
実際、他の家は王宮の警護とか、国のインフラ整備とか、他国との外交とか要職についているのに、我が家は代々誰も使わない図書館の管理人を仰せつかっている。
いや、他の仕事振られても、お互い困るのわかりきってるから、ありがたいんだけども。
それに、写本に関しては、我が家の能力も使いどころがしっかりバッチリあるのだ。
魔術書は本自体が魔力を持っているために、「本」の形を保つことがひとつの封印でもあるが、羊皮紙や紙を使っている以上、どうしても経年劣化は避けられない。短時間であれば、時の流れに干渉する魔術もあるが、永遠に時を止めることは誰にもできないからだ。
だから、劣化が見られる本は、「移し替える」必要がある。
新しい紙に、新しいインクで一文字ずつ写していくことで、魔術を複写し、新たな封印を施していく。写し間違いなんてしようものなら、一気に術式が崩壊し、封じられていたナニカやアレコレが世に解き放たれてしまうが、スヴェレの魔術師がインクの魔法を発動させれば、一切全く何も問題ないのだ。
他の魔術師なら、古い魔術や未知の術式に触れることでどんな影響を受けるかわかったものではないが、魔術オンチなスヴェレの魔術師なら、その辺りのことも心配はない。
魔術不感症も、使いようだ。
そんなわけで、十二で父を亡くして以来、毎日平和に本の管理をしたり、写本したりしながら、生きてます。
私の職場である図書館は、大抵静まり返っている。
古い石造りの円柱の塔が三つ並び、その間を回廊が繋ぐ造りで、内部は塔の上から下までと、回廊の壁一面が書架になり、魔術書がぎっしりと詰まっている。
塔の内部には一本ずつ頑丈な梯子があり、書架の前に渡された廊下を行き来できるようになっている。
上から見ると、塔を頂点にした正三角形で、三角形の内部は中庭だ。
図書館の中に入るには、北側の塔の入り口から入るしかないが、ここには古い結界があるらしく、スルーできるのは王家の人間か、原初の七家の直系のみ、だそうだ。
当然、スヴェレの魔術師もフリーパスです。魔術不感症ですし。
ともかく、王宮の最奥の外れの、古い本しかない図書館なので、利用者自体、かなり少ない。
余程の勉強家か、何かの研究をしているか、はたまた別の目的があるか。
そんな変わり者たちも、図書館の管理人に用があることは滅多になく、勝手に入ってきて、用を済ませ、いつの間にか出て行ってしまうのだ。
でも、この一年、常連と言っていい人物がふたりいる。
ひとりは、第二王女のラウラ殿下。
大魔女と同じ色だと伝わる輝く黒髪と宝石のような紺碧の瞳を持つ美少女で、使い魔の育成がお得意だと聞く。
直接言葉を交わしたことは殆どないが、いつも朗らかで、楽しい方だと評判だ。
今日も、入り口そばのカウンターで目録の確認をしているときに、静かにやってきて、私に微笑み、奥へ入っていった。淡い空色のドレスがとてもお似合いだ。
そして、もうひとり。
七大魔術師の筆頭であるユングヴィ家の長男、エイリーク様。
現役の軍人でありながら、現宰相の補佐もお務めで、次期宰相とも言われている。
こちらも夜のように艶やかな黒髪と翡翠色の目の美丈夫だ。
お仕事柄か、表情に感情らしきものは一切見せず、常に冷静沈着泰然自若、当然魔術の腕は超一流で、対軍魔術と召喚魔術を同時に行い、蟻一匹通さない鉄壁の結界まで張るという。完全無欠冷酷無比とすら称されることもある、我が国を代表すると言っても過言ではない大魔術師。
当然、社交界でも注目の的で、狙う女も縁談も数知れず、なのに浮いた噂ひとつないという御方だ。
数年前から、秘密の恋人がいるらしいとか、想う相手がいて縁談の調整中だとか、世事に疎い私の耳にも届くくらい噂が絶えなかったが、それが強【あなが】ち絵空事ではないのでは、と近ごろ思うようになった。
なぜならば。
カッカッと響く足音が聞こえて目を上げると、エイリーク様が図書館の入り口から入ってくるところだった。
ここの扉は、私がいるときはいつも開け放しているから、結界に引っかからない人間なら、誰でも通ることができる。
詰め襟の軍服を纏った長身は、上体を揺らさず、真っ直ぐこちらに歩いてくる。
あからさまに見るのは気が引けるので、軽く目礼しながら、こっそりと盗み見る。
でも、いつもと同じように、こちらに視線を向けることなくカウンターの脇を抜け、ラウラ様が向かったのと同じ方向へと姿を消した。
魔術師の常で、長く伸ばした黒髪が揺れる背中を見送り、息をつく。
この一年、ラウラ様が来た後に、必ずエイリーク様がやってくる。
最初は、珍しい偶然もあるものだと思っていたけれど、さすがに一【ひと】月【つき】二【ふた】月【つき】と続けば、馬鹿でも気づく。
年頃の男女が、こんな人気のない場所でそうそうすれ違うわけもないのだ。
どう考えても、合い挽き……違った、逢引きだよねえ。
目録の束をめくり、視線を落とす。
お似合いすぎて、落ち込む気にもならない。
いや……別に、本気でエイリーク様を好きだったとか、そんなんじゃないんだけど。
昔々、本当に昔、ちょっとだけ助けていただいて、それ以来、憧れっていうか、素敵だなーって思ってただけなんだけど。
だから、初めて、あの入り口をくぐって来られたときは、ほんの少しだけ、期待してしまった。私のこと、覚えて……せめて、知っててくださってるかな、と。
当然そんなわけはなく、廊下に置かれた石像でももうちょっと気に留めてもらえるんじゃないかってくらいのスルーっぷりでした。ええ。
それから、週に何度もここにいらっしゃるようになったが、会話は愚か、挨拶すらしたことがない。
いつもここに座っているのに、視線ひとつ掠めたことがないんだから、あちらの眼中どころか意識にすら引っかかっていないことは明白だ。
まあ……インクの魔法しか使えない落ちこぼれ魔術師な上に、私自身、ラウラ様と比べるのも烏【お】滸【こ】がましいくらい平々凡々顔だし。
俯いた拍子に、肩から落ちた白い髪が目に入り、つい本気のため息がこぼれた。
スヴェレが他の魔術師とは違う、もうひとつの大きな理由がこの髪だ。
黒い髪は、強い魔力を持つ証【あかし】。
青と緑の瞳は、優れた魔術師の素養がある証。
それが常識のこの国で、私は……スヴェレの魔術師は、これまた代々銀なのか白なのかわからない色の髪に、真っ黒な目を受け継ぐのだ。
本気で底辺魔術師だからって、一発でわかる見た目でなくてもいいのにねえ。
鬱陶しい髪を背中に振り払い、また出そうになったため息をぐっと飲み込んで、古めかしい書名が並ぶ紙を睨みつけた。
ラウラ様の婚約が発表されたのは、その一週間後のことだった。
お相手は、ユングヴィ家の跡継ぎで、ラウラ様は降嫁されるという。
涙なんて、出なかった。
ただ、もうあの方の姿を近くで見ることはないんだな、と胸に空いた穴を抱えて、思っただけだった。