01_魔性の悪女は依頼される
久しぶりに出た夜会に少し疲れ、バルコニーで一人、風に当たっている時だった。
私の目の前にはとんでもない色気を放つ、社交界で評判の麗しの騎士様──レイノール・スカイルズ侯爵令息が立っている。
サラサラの金髪に、ミステリアスな紫色の瞳。スラリと背が高く少し細身に見えるが、「あれは着やせしているだけで脱いだらとってもイイ体なのよ」と自慢げに話していたのはどこのご令嬢だっただろうか。
同じ夜会に参加した際に遠くから尊いその姿に心の中で合掌しながら眺めるか、かるーく挨拶をしたことくらいしかなかったけれど、こうして改めて見るとやっぱりまるで王子様のように輝く美貌である。というか本当に色気がすごい。娘を大事にする当主などは「見るな、孕む!」と令嬢の目に彼が映らないように必死になると聞いた時にはなんだそれと笑ったものだけれど、その気持ちも少し分かってしまう。
もうっ、いつ見ても存在が卑猥だわ……! なにこれ? 本当に同じ人間? 人間ってただそこにいるだけでこんなに色気を垂れ流せるものなの?
なーんて、超絶駄々洩れな色気にあてられながら失礼なことを考えていると、騎士様はどこか切なげな表情を浮かべて私に一歩近づく。
淫靡な雰囲気を纏った彼は、しかしその艶めかしい唇から信じられない言葉を吐いた。
「どうか……俺に閨の手ほどきをしていただけませんか」
……今なんて?
驚きすぎた私の頭の中からは、その表情一段とエロい! なんて呑気な思考は一瞬で吹き飛んだのだった。
一体全体、何がどうしてこうなったのか――。
☆☆☆
夜会に出れば、色々な囁き声が聞こえてくる。
「ああ、アメリア様……今日もなんて麗しい。一度でいいから俺のことも弄んでくれないかな」
「馬鹿、愛の女神アメリア様がお前みたいな子爵家の冴えない次男坊なんか相手にするかよ」
「いやしかし、この間の夜会では男爵家の令息と姿を消したと耳にして──」
それは、男たちの欲と期待に満ちたものだったり。
「まあ、相変わらず華やかにしてらっしゃるわね。今日はどの家のご令息をつまみぐいなさるのかしら?」
「嫌だわ、わたくしの婚約者も彼女が同じ夜会に来ると聞いて警戒なさってますのよ。自分が靡かずともわたくしに嫌な思いをさせたくはないと」
「こちらが自衛していても、声をかけられるだけでも勘ぐられてしまいますものね。だってあまりにも節操がなさすぎて──」
高貴なご令嬢たちの軽蔑と嫌悪に満ちたものだったり。
それらは突き刺すように鋭くいやらしく、遠慮もなく私に向けられているものだ。
私の色香にやられ、あわよくばと私と寝たがる男は私を「愛の女神」なんて呼んでもてはやすけれど、私の存在を忌避し、嫌悪している令嬢や令息も多い。昨今では婚前交渉も増え、花嫁が純潔であるかどうかがそこまで重要視されなくなったとは言え、男を食い漁る女なんてこの貴族社会では軽蔑されるものだから、まあ仕方ないとも思う。
私──アメリア・チェスター侯爵令嬢はこの魑魅魍魎跋扈する社交界の中で、「魔性の悪女」と呼ばれている。
緩やかなウェーブのピンクがかった豊かな赤髪に、宝石のような金色の瞳。派手な美貌と駄々洩れな色気、豊満な胸に真っ白な肌はいかにも煽情的で、少し垂れた甘い目元は見るからにエロい。清楚な装いすらもなぜか色気ムンムンな仕上がりになってしまう、男を狂わせる美貌の悪女。それが私の評判だ。自分で言うなって? こんなことを恥ずかしげもなくすらすら並べ立てることができるほど、あまりにもよく耳に入るからもう恥ずかしさも何もとうの昔になくしてしまった。
そんな私はその美貌と魔性の色気をもってして、気に入った男を食いまくり、狙った獲物は決して逃さず骨抜きにするくせに同じ男と二度は寝ない、傲慢で、ふしだらで奔放、無責任に男を惑わす下品な女――“らしい”。
ねえ、待って?
「魔性の悪女」? なんだそれ。あちこちで私と寝た、悪女の名は伊達じゃなく最高のひと時だった、なーんて自慢している男がいるらしいけれど、それ全部大嘘だから。絶対。断言できる。
私との関係を騙る男は全員大嘘つきのクズだから、ご令嬢たちは覚えておくといいし、令息たちは感心していないで呆れるべきよ!
だって私、経験ゼロの正真正銘処女なんだもの!
もう! 本当にどうしてこうなった? 閨事どころか、キスもまだなんですけど? なんなら抱きしめられたことも、エスコート以外で殿方と手を繋いだこともないんですけど!?
さっき囁かれていた男爵家の令息は、先日参加した夜会で少し早めに帰ろうとしたら勝手についてきただけだし(ばっちり撒いた)、これだけ誤解されるようになってからは用もなく男性に話しかけたりもしないようにしている。
なのに、それなのに!
……ああ、ヤレると思って近づいてきた下種男から無理やり腕の中に囲われそうになったこととか、腕を無遠慮に掴まれたことはあるっけ。私は遠い目をした。
だけどそういう男たちは全部きっちり撃退した。悲しいかな、きっとお父様は分かっていたのだ。私がこうなると。だからこそ小さな頃から魔法の、特に防御魔法の訓練を欠かさずやらされた。おかげで自分の身にかける防御魔法についてはかなりの高レベルになっている。
普通は自衛の方法をここまで過度に身に着けずとも、片時も離れず護衛を連れていればいいのである。もちろん私も最初はそうしていた。
しかし、ある時護衛が私を組み敷こうとする事件が起こった。いわく「こんなに愛想と色気を振りまいて誘ってきたのはお嬢様の方だ!」らしい。信じられるだろうか、なんとこの時私は十歳にも満たない子供だった。小さな頃から妙な色気があると評判で、誘拐未遂も数度経験済みだ。
その後、愛妻家と有名な中年の騎士が私の護衛になった。数年は務め信頼関係もできたと思っていたけれど、あろうことか私のパンツを盗むという驚きの不祥事を引き起こしてクビになった。彼の妻には、夫が狂わされた、何か怪しい魔法を使ったに違いないと恨まれた。今思い出しても胃が痛い。ちなみにそんな魔法などもちろん使っちゃいない。
今では本当に信頼できる女騎士が私の護衛になってくれているけれど、それまでは本当に大変だった。
そんなこんなで頭を抱えたお父様は私に過度な自己防衛術を仕込むことにした。まあ無理もない経緯である。あるが、私としてはやっぱり切ない。そして悪評はこの頃からすでに立ち始めていたわけで。
社交界デビューして人前に出るようになると、私とベッドを共にしたという男性が現れ始めた。なんのためにそんな大嘘をつくのかまったく分からない。ちなみに真実は先ほど述べた通りである。
最初はあらゆる噂を否定しようとしていたけれど、逆効果だったのでだんだん面倒くさくなっちゃってそのうち諦めた。
今は開き直り、社交の場では見た目にピッタリなお色気悪女の仮面を被っている。ビクビクするよりずっと楽だもの。ただ、男に耐性がなさすぎて噂のように男性とナカヨクするのはとてもじゃないけどやっぱり無理!
きっと私はもう、まともな結婚はできないだろう。求婚してくれる人もいるけれどワケアリの方ばかりだ。けれど結婚するならば愛し愛される結婚がいいと思うくらいには私も乙女で。不幸になるならしないほうがマシ。
適齢期を過ぎたら修道院に行って慎ましく暮らすのも悪くないかもと最近は思い始めている。