1 婚約決定
「お前の婚約者は、ジュリアス=ベッキンセイルと決まった」
「えっ!? ジュリアス、ですか……?」
両親に話があると応接間に呼び出されたミア=プレスコットは絶句した。
内心困惑していると、ミアの様子に気づいていない父が続けた。
「ああ。これはベッキンセイル家とプレスコット家での取り決めだ。お互いに絆が深まることは悪くないからな」
確かにベッキンセイル家とプレスコット家はどちらも伯爵家であり爵位も対等で、また運送関係という家業も同じで、婚約話としては悪くない。
問題は。
「……でも、ジュリアスは私が婚約者では、お嫌ではないかしら」
絞り出すように言葉にすると、父は驚いたように首を傾げた。
「そうなのか? お前たち、子供の頃から仲がよかったじゃないか」
「子供の頃は、です……、今はもうジュリアスは社交界のプリンスですから……」
輝かんばかりの美貌を持った幼馴染の姿を思い浮かべて、ミアはうつむいた。
(私は子供の頃からずっとジュリアスが好きだけど……、彼はそうではないもの)
自分の婚約者に初めて会った日のことを、ミアはよく覚えている。
十二歳になったばかりの頃、親に連れられてある侯爵家を訪れた。和やかな雰囲気のお茶会に参加するためで、庭園では同じくらいの年の頃の子息や令嬢が遊んでいた。
ミアもその中に交ざろうと、庭園に足を向けた。友達か顔見知りの誰かがいないか探していると、子息たちの小競り合いに出くわした。
「お前なんだよ、そんな女みたいな顔をして」
「本当に女なんじゃないのか?」
「違うよ、僕は男だ!」
小競り合いの中心にいる少年を見て、ミアは驚いた。金髪碧眼で、まるで絵本からそのまま出てきた天使のような顔立ちをしていたからだ。それに体つきは小柄で、中性的な雰囲気が漂っている。
(確かに女の子より可愛いかも。でもだからって、大勢であんな風にすることないじゃない)
ミアの身体は勝手に動いた。
「ねえ、嫌がってるじゃない。やめなさいよ」
気づけば、少年の横に立ってそう言っていた。少年がびっくりして、彼女の方を見たのがわかった。
「うわ、やっぱりこいつ女なんじゃねえの。友達がやってきたぞ」
「女は黙ってろよ」
「女のくせに」
「人が嫌がることを言う貴方たちって終わってる」
ミアがため息をつくと、少年たちの温度がぐっと上がった。
「生意気だな」
「おい、あんまりそういうこと言うと――」
「どうするつもりだ?」
そこへ低い声が割り込んだ。ミアが振り向くとそこに知り合いの少年が立っていた。
「クレイグ!」
「ミア、何があったんだ?」
クレイグはミアの兄であるエリスの友人だ。この辺りでは有力なゼルナー侯爵家の子息である。同世代の中ではとりわけしっかりした体躯のクレイグが登場すると少年たちが一斉にひるんだのがわかった。
「なんだよ、女に守られてだせぇな!」
「しかもその女、真っ黒の髪で怖い怖い」
自分でも気にしていることを言われて、ミアは手に力を入れた。
「呪われてるんじゃねえの、向こう行こうぜ」
憎まれ口を叩きながら少年たちが散り散りに去っていく。
「ほんっと嫌な感じだったわね。クレイグ、ありがとう」
「顔は覚えた。スミス家とジョールデン家、それからマック家の子息だな」
「あんな人たちを覚えてどうするの」
ミアが尋ねるとクレイグは軽く肩をすくめた。彼女はそれからぽかんとして自分たちを見ている少年に視線を移した。
(――――!)
近くに寄れば、より彼の美しさが際立ち、思わず息を呑んだ。それから、彼があまりにも呆然としているように見えて、心配になった。
「大丈夫?」
ミアが尋ねると、少年はびくっと震えた。
(あ、もしかして……)
「私、悪魔じゃないわよ」
自分の濃紺の髪を指さして、首を傾げた。この国では髪が黒、もしくは濃紺に近い者は悪魔だという言い伝えがある。もちろん大人はそんなことは信じていないが子供は正直だ。先ほどの令息たちだけではなく、今まで散々からかわれてきたからそうやって言い添えた。
「ミアが悪魔? そんなわけないだろ」
隣でクレイグがぶつぶつ言っている。
「エリスだっていつも言ってるだろ、髪色なんて気にするなって」
家族の内、誰も黒い髪色の人間はいない。だが父も母もダークブラウンの髪色で、兄も茶褐色の髪ではある。もともと色素はあまり薄くない家系なのだ。
そこでようやく少年が口を開いた。
「そ、そんなことは思ってない。不躾に見ちゃって、ごめん」
「いいの。慣れてるから」
「嘘じゃない。その色、本当に綺麗だと思う」
ミアは目をぱちくりとさせて、一生懸命にそう言い募る少年を見た。
「ありがとう」
微笑みながらそう答えると、少年がぽっと頬を赤らめた。
(かわいい)
そう思いながら、ミアは挨拶をした。
「じゃあ、またどこかのお茶会で会ったらよろしくね」
隣で待っていてくれたクレイグと共に、少年に背を向けた。
「――ねえ!」
「ん?」
振り返ると、それこそ顔を真っ赤にした少年が両手の拳を握りしめていた。
「君の名前を教えて――僕はジュリアス=ベッキンセイル」
「私は、ミア=プレスコットよ」
ジュリアスは目をキラキラさせた。
「これで僕たちは友人同士だよね。ミア、よろしくね」
後からわかったことだが、ベッキンセイル家とプレスコット家は家業の関係もあり、当主も知人同士だった。そのためそれから何度もお茶会でジュリアスとは会うこととなる。普段は兄のエリスやクレイグと過ごすことが多かったミアだったが、ジュリアスと過ごす時間もとても楽しかった。
活発な性格のミアと、引っ込み思案なジュリアスの相性はとてもよかった。
「僕、こんな性格だから兄様に直せって言われるんだ」
今日もお茶会の合間に、花の冠を作ると張りきっているミアに付き合ってくれたジュリアスが悲しげな顔をした。
昨日侍女に聞いたばかりの冠の作り方を思い出しながら、ミアは首を傾げた。
「そんな必要はないと思うわ。だってジュリアスってとっても優しいもの」
思ったことを素直に話すとジュリアスの頬がぽぽっと赤らんだ。
「ミアにそう思ってもらえるのは嬉しいけど……、でも兄様はもっと男らしくしろって。それこそミアの友達のクレイグみたいに」
ジュリアスの兄であるロビンは、エリスやクレイグとも親しい。三人とも大柄で、無骨な性格だ。
「うーん、そうかなぁ。ジュリアスは優しいし、勇気あると思うよ。だって、私みたいな“魔女”にもちゃんとみんなの前で話しかけてくれるし。私はそれがとってもかっこいいと思う!」
「か、か、か、かっこいい!?」
どうしてかわたわたし始めたジュリアスに気づかず、ミアは笑顔になった。
「ね、完成したわ!」
白い花で冠を作り終えると、ミアはそれをジュリアスにかぶせた。中性的な顔立ちのジュリアスにそれはとてもしっくりくるように思えた。思わず両手を叩いて喜んでしまう。
「すごい似合う!」
「……なんだろう、複雑な気分だな」
ジュリアスは苦笑した。
「でも本当に似合うもの。私の髪色じゃ、逆に目立っちゃって……」
ミアの声が少しずつ小さくなっていくと、ジュリアスが首を横に振った。
「ミアの髪色はとっても綺麗だって、何度言ったらわかってくれるの? ほら、ミアにこそとっても似合うよ」
ジュリアスが花の冠をミアにかぶせた。
「目立つんじゃない、映えるんだ」
「…………」
「可愛い」
そう言ってジュリアスがにっこりと笑う。どきん、とミアの鼓動が高鳴った。
(あれ。どうしたんだろ?)
「ね、ミア。いつか僕に本物のティアラを君に贈らせてね?」
この国では、恋人にティアラを贈って永遠の愛を誓うと、二人の魂は来世までもずっと一緒にいられるという言い伝えがある。
「え、本物を?」
ぽかんとして聞き返すと、ぼぼぼぼ! とジュリアスの顔が真っ赤なりんごのようになった。
「もうジュリアスったら冗談やめてよ!」
ばしんと彼の背中を叩いてしまう。
「……冗談じゃないよ……」
そうやって小さく呟くジュリアスに、心がときめく。
その瞬間、ミアは恋に落ちた。
(私、ジュリアスが好き)
ミアは自分のコンプレックスである髪の色をこうして肯定してくれるジュリアスの優しさに惹かれた。ミアはジュリアスが大好きで、ジュリアスもミアが好き。二人は仲良しで、周囲の大人たちもそんな二人を微笑ましく見守っていた。