「どどどどどどういうことですか!?」
受け取った手紙を握りしめながら、私は混乱に打ち震えていた。
「どういうも何も」
私に手紙を渡してきたお城から来たという、ちょっと偉そうな人が、なんてことないように言う。
「お前が第二王子殿下の閨教育係に選ばれたということだ」
私の脳が閨教育という単語を一生懸命検索する。
しかし、その二つの単語からどんなに否定したくても、一つの答えしか導き出せなかった。
「王子様と、せ、性行為をしろということですか!?」
信じられず思わず大きな声を上げてしまうが、偉そうな人は動じないで頷いた。
「そうだ。未亡人だからなんの問題もないだろう」
偉そうな人はそう言うが、大いに問題がある。
だって、未亡人は未亡人でも、私は……。
「あの、私っ」
「一週間後、迎えに来る予定だ。城に住み込みになるから準備をするように」
偉そうな人は偉そうなまま、私の話は聞かずに言うだけ言って去っていってしまった。
残されたのは手紙を握りしめて途方に暮れる私だけ。
「どうしよう……」
私は受け取った手紙をクシャリと曲げる。
「私、処女なのに!」
◇ ◇ ◇
私の名前はキャロル。ベレンティ男爵家の二番目の子として生まれた。
私が生まれたときにはベレンティ男爵家の家計はすでに火の車で、親は生まれた私をどこに嫁に出して利益を得るかばかり考えているような人たちだった。
お金がないから使用人がするような仕事はほぼ私にさせて、着る服も粗末な服、食事も粗末な物を食べさせられ、とても貴族令嬢とは言えないような日々を過ごした。
ちなみに両親と兄は普通にドレスや高価な装飾品を身に着け、いい肉を食べていた。どうせお金のためによそに嫁に出す予定の娘に贅沢など必要ないという考えだったのだろう。むしろ嫁に行く前にこき使わないと損ぐらいの感覚だったと思う。
私が嫁に行く前に両親は亡くなったが、その両親そっくりな兄によって縁談が組まれ、私は適齢期が来ると、ある人物に嫁ぐことになった。
当時私は十七歳。相手は七十八歳。
なんと約六十一歳差の結婚だった。
誰がどう見てもお金のためだとわかる結婚だった。
事前情報はその相手の年齢と、ローディエン伯爵家という家名だけの状態で家から追い出された私は、結婚式も挙げずに婚家に向かった。
七十八歳なのに、若い嫁を求めるということは相当な好き者なのだろうと、向かう馬車の中で私は泣いた。
まだ十七歳。夢も希望も捨てるには早すぎるお年頃の私には、とてもつらいことだった。
しかし嘆いていても現実はしっかりとやってくる。
馬車は目的地に到着し、私は絶望しながら大きな屋敷の扉を叩いた。さすが兄が妹を売るのに選んだだけあって、外から見ても立派な屋敷だった。いったい私にはいくら払ったのだろう。
重い扉が開くと、初老の男性が中から出てきた。もしかしてこの人が相手だろうか、と思ったが、服装が執事服だったので違うと判断できた。
「お待ちしておりました。キャロル様ですね」
「は、はい」
「お疲れでしょう。どうぞ中へ」
緊張して声が裏返ったが、執事は気にする様子もなく、私に中に入るように促した。
「わああ!」
屋敷はとても大きく、私の家が十個は入ってしまうのではないかと思う広さだった。さすが若い娘を買えるだけのことはあると妙に感心してしまった。
「気に入っていただけたようでよかったです」
執事の淡々とした声に、はしゃいだ自分が恥ずかしくなる。私は身体を小さくしながら案内されるがままに歩いた。
煌びやかな廊下を通って案内されたのは、他の部屋より立派な扉の前だった。おそらくここがこの館の主の部屋なのだろう。
「旦那様はキャロル様が来るのを、今か今かと待ち構えておりました」
怖いことを言わないでほしい。
私の顔が引き攣ったことに気付かない様子で、執事は私にノックをするように促した。
「二人での対面をご希望とのことですので、私はこれで失礼させていただきます」
執事は私に頭を下げると、本当にそのままこちらを振り返らずに去っていってしまった。
この扉を開けたら年の離れた夫がいる。気分は売られてきた子牛だ。実際売られたし。
私はゴクリ、と唾を飲み込み覚悟を決め、ノックをした。
「どうぞ」
しわがれた、年を取っているのがよくわかる声だった。
「し、失礼します」
私は声を震わせながら、扉を開けた。
そこにいたのは想像通りに、おじいさんだった。
一抹の思いのもしかしたら若々しいおじいさんかもしれないという希望は潰えた。
ベッドから身体を起こした夫であろう人物に手招きされ、私は恐る恐る近寄った。ベッドのそばにあった椅子に座るように促され、腰を下ろす。
「よく来たね。馬車で疲れただろう」
「い、いえ……近かったので……」
この人が私の夫。見たところ、人のよさそうなおじいさんではあるが、これが本性かどうかはわからない。
私は緊張して手に汗が滲むのがわかった。
私より長生きしているおじいさんは、私がどういった心境なのかすぐに見抜いた様子で、ニコニコと笑いながら言った。
「君に妻の役割を求めることはないよ」
「え……」
想定外のことを言われて私は面喰らってしまう。
「あの、それって……」
「君に手を出す気はないんだ。そもそも勃たないよ。年なのでね」
直接的な言葉を言われて私は赤面した。まだ花も恥じらうお年頃、そういった言葉はほとんど免疫がなかった。
私の様子に気付いたおじいさんは、私に謝罪した。
「すまないすまない。この年になると無神経でいけないな。でもそういうわけで、君と夫婦の契りをするつもりはない」
どうやら自分の想像していた好き者じいさんではないとわかりホッとする。
「えっと……では、結婚したのは介護をさせるためですか……?」
おじいさんは見た感じ、身体が不自由そうだ。そうでなければ新たな自分の花嫁をこうして自室のベッドの上で出迎えたりせず、きちんとした部屋で迎え入れているだろう。
実家でも散々両親や兄にこき使われた。幸い意思疎通もできるし、おじいさんの面倒ぐらいなら見られるだろう。
「いや、わたしの面倒も、使用人が見てくれるから必要ない」
「え? じゃあなんで……」
わざわざ私と結婚したんだろうか。
私と結婚するために、ベレンティ家にかなりの額を積んだはずだ。それだけのお金を払っておきながら、意味がなく結婚などするとは到底思えない。
「結婚の理由が気になるかい?」
「ええ……」
私が絶世の美女とかならまだわかるが、残念ながら私は十人並みの容姿だということは自分が一番よくわかっている。
祖母譲りの茶色い髪と、紫の瞳。この色だって珍しいものじゃない。家が貧乏だから手入れもろくにできていないし、正直どこを見て私と結婚しようと思ったのかわからない。
しかしおじいさんはそんな私を見ながら、どこか懐かしむ表情をする。
「君はわたしの初恋の相手に似ているんだ」
「初恋の相手……」
「その髪と瞳は彼女の生き写しだね」
髪と瞳……。
「もしかして……」
おじいさんの年齢と、私に似ているという情報から、自ずと答えが出た。
「初恋の相手というのは、私の祖母ですか?」
「そうだよ」
おじいさんは頷いた。
「告白する前に彼女は家の決めた相手と結婚してしまって……わたしは彼女を引きずって結婚する気が起きなくてね……この年まで独身だったんだ」
「え、私が初めての結婚相手なんですか!?」
おじいさんの年齢的に、一度や二度は結婚していると思っていた。
「そうだよ。妻になったのは君だけだ」
まあ、さっき言ったように、妻の役割は求めないけれどね、とおじいさんは笑った。
「あの、お子さんは……」
「結婚もしていないし、君のおばあさんへの思いがあったから誰とも作っていない。だから安心するといい」
つまり、おじいさんには正統な子供がいないことになる。若い嫁をおじいさんの子供が認めるとは思っていなかったからどうなるかと思っていたが、そういった家族間のトラブルもなさそうだ。遺産相続やら何やらで揉めそうになくて安心した。
「もうわたしは余命いくばくもない。そう思ったら、彼女のことを思い出してね。少し調べたら、彼女のお孫さんが彼女にそっくりじゃないか。それでせめて残りの余生、君にそばにいてほしくなってね」
おじいさんが私に手を伸ばす。私はその手を握った。
「彼女と結婚していたら、君のような孫がいたんだろうか、と思ってね。だからわたしと家族ごっこをしてくれないか?」
「家族ごっこ?」
「ああ。わたしが死ぬまで、孫とおじいちゃんごっこしてくれればいい。最期に満たされた気持ちで死にたいんだ」
私は瘦せ細ったおじいさんの手を振り解くことができなかった。
元々ベレンティ家にお金を渡しているのだから、もっと命令してくれてもいいぐらいなのに、丁寧にお願いしてくるおじいさんに好感を抱いた。
「わかりました。おじいさんのことを本当の祖父と思って接しさせていただきます」
「ああ。ありがとう」
おじいさんが嬉しそうに微笑んだ。
それからおじいさんとの穏やかな生活が始まった。
ご飯は必ず一緒に食べ、眠るおじいさんの横でお話したり、おじいさんの調子のいいときは一緒にお散歩したり……。
おじいさんは博識で、話を聞くのも楽しかった。どうなることかと思っていた結婚生活は、思いのほか満ち足りていた。
「わざわざ結婚したのは、君に遺産を残すためだ。そうじゃないと周りが奪い取ろうとしてくるからね。君の経歴に傷をつけるのは申し訳なかったけれど、他の誰かに君が売り飛ばされるよりは、わたしの妻として遺産を受け取って安心した生活を送るほうがいいかと思ったんだ」
おじいさんは私の実家についてもよく知っていた。おじいさんの言う通り、あのままだったらきっと私は不幸な暮らしをしていたことだと思う。
そして二年過ごしたある日、おじいさんはぽっくり逝ってしまった。
悲しくて悲しくて泣き暮らしたし、いつ兄が私を実家に連れ戻すかとハラハラしていたが、おじいさんはそこまで対策してくれていた。
おじいさんが死んでも私が実家に戻ることがないように、私をこの家の世帯主にし、結婚の際に、私が実家とは縁を切ったという公正証書までしっかり作っていたのだ。
おかげで私はおじいさんの遺産とこの家を継承して、一生不自由なく暮らせる身になったのだ。
処女のまま。