「アデライン、お前との婚約を破棄する!」
私は今、婚約者である第一王子に真正面から婚約破棄を告げられている。
「そして国外追放とする!」
しかもそれに飽き足らず、国外追放まで宣言された。
「何か言いたいことはあるか?」
ないだろうと言いたげな元婚約者に対して、私は彼の隣にいる小娘を見やりながら言った。
「言いたいことしかないわよ」
◇ ◇ ◇
私、アデラインは侯爵令嬢である。
濡れ烏と評するにふさわしい、ストレートの黒髪は父譲りで、我が侯爵家で代々引き継がれている色である。当然一族全員黒髪で、黒の一族とも言われている。
赤い瞳は母譲りで私は気に入っているけれど、婚約者には「魔女のようだ」と言われ怖がられた。腹が立ったから「呪いましょうか?」と返したらそのまま逃げ帰ったから放っておいたけど、今思うともう少しやり返してもよかった。
少し気の強さが表面に出てしまっているけれど、なかなかの美人顔であると思う。実際陰で「美人だけど……」と言われているのを聞いたことがあるから美人なのは間違いないだろう。
ちなみに、そのあとに続いた言葉については聞かなかったことにしている。
さて、そんな自由奔放にあるがままに生きてきた私であるが、今ある問題に直面している。
「あの女誰?」
私は私以外の女にデレデレしている婚約者を遠くから見た。
別にそばで堂々と本人に聞いてもいいのだが、とりあえず婚約者がどういうつもりなのか、距離を取って観察することにしたのである。
「ベサニー……君はなんて心優しいんだ……」
「チェスター様……」
もうお互いを下の名前で呼び合う仲のようだ。
私の婚約者であり、私の知らない少女に甘い顔を見せつけている男の名は、チェスター。彼はこの国の第一王子である。
キラキラと輝く金髪金目の、見た目が大変華やかな男だ。そりゃそんなに金色ばかり持って生まれたら目立つに決まっている。日に当たるとちょっと眩しい。顔は美貌の王妃様の遺伝をそのまま引き継ぎ、大変見目よく育った。
しかし私からすると、見た目だけで中身は少々頼りなく感じる。第一王子であり、順調にいけば次期国王となるのだから、もう少ししっかりしてほしいところである。
幼い頃に婚約が決まり、それからなんだかんだ長い付き合いであるが、その彼があんなふうに人を見つめるのを初めて見た。
なるほど、あれが恋する人間の顔か。
私は観察開始してから早々に婚約者の浮気心に気付いたが、ひとまずそれは置いておくことにした。
彼が彼女に本気か、それとも一時の気の迷いか。そういうのを判断するためにもしっかり観察しなければ。
相手の少女は切ない表情でチェスターを見つめている。誰だろう。見覚えがないから、少なくとも高位貴族ではないはずだ。
フワフワしたピンクの髪と緑色の瞳を持つ彼女は、まるで花の妖精のような印象を受ける。愛らしくて思わず守ってあげたくなる少女。私とは正反対の容姿の彼女は、チェスターを見つめ、瞳を潤ませている。
「チェスター様……望まない婚約をされて可哀想に……」
「わかってくれるか、ベサニー。俺はあの女と結婚したくないんだ。可愛げはないし、態度はでかいし、こちらを労ったりせずに努力が足りないと罵ってくる女だ。安らげない……」
「黒い一族は執念深いと言いますし、チェスター様が心配です……」
ただただ悪口を言われている。ぶちのめしてやろうかしら。
確かに私は可愛げないし、相手を立てないし、言いたいことははっきり言う性分である。
チェスターがそんな私を嫌っているのにも気付いていたが、だからと言って別に自分が変わる気もなかった。よく、チェスターを支えろだの、チェスターの望むように演じろだの言われたが、なぜチェスターに合わせなければいけないのかわからない。私にそこまでしてあげる義務は一切ないし、それを要求するのは図々しいではないか。
というわけで私は一切態度を改めなかった。
その結果が婚約者の浮気らしいが、それは私のせいではない。相手が悪い。
「というか、あの女、なんなの。黒い一族が執念深いだなんだの……。執念深い人間が多いことは確かだけどなんで話したこともないあなたに言われなきゃいけないのよ」
会ったことはないはずである。話した記憶もない。……ないはずである。
「でもどこかで見た気はするのよ……」
どこだったかしら……。
私があと少しで思い出せそうなのに思い出せないことに苦しんでいると――。
「危ない!」
「え?」
突然の声に驚いて振り返ると、横っ面にボールを受け止めた。
痛いし、あまりの衝撃にそのまま倒れ込むと、みんながワタワタしながら集まってくるのがわかった。みんなが私に向かって大丈夫かと訊ねてくる。
が、私はそれどころではない。痛いし痛いし痛いしちょっと意識失いそうだし、そして何より莫大な記憶が私になだれ込んできた。
これ、私の前世の記憶だ。
そう認識したあと、私の意識は沈みかけたが、その前にと思い、これだけは言った。
「球技は人がいないところでやりなさい……!」
おそらく私にボールをぶつけた人間の「はいぃっ!」と言う声を聞いて、私の意識はブラックアウトした。
◇ ◇ ◇
前世で私は花も恥じらう女子高生だった。
そんな私が当時夢中になっていたもの。
それは乙女ゲーム『花の香りのそのさきへ』。
それぞれ花の香りをテーマにした異性と結ばれるストーリーで、年齢制限ギリギリの描写のあるそのゲームは、お年頃の私に新しい刺激を与えてくれ、毎日のようにプレイした。
そしてそのゲームの主人公が、先ほど見た桃色の髪の少女、ベサニーだ。
見覚えがあるはずだ。毎日画面越しに見ていた少女なのだから。
ちなみにチェスターの花の香りは金木犀だ。確かに言われてみればいつも金木犀の香りがしてなぜだろうと思っていた。香水をつけているつけていないで喧嘩をしたこともある。
この記憶の通りなら、チェスターが嘘をついていなかったことになる。でも普通金木犀の香りが人間の体臭だなんて思わないから、私は悪くない。
そして私、アデラインももちろんゲームで登場する。
そう、悪役で。
わがまま放題、好き放題。チェスターの婚約者として立ちふさがるアデラインは、悉く主人公の邪魔をし、いじめるのだ。
しかし、チェスターと結ばれると、アデラインはすべての罪を白日の下に晒され、国外追放される。
そうして悪役を断罪し、二人はみんなに祝福されて、結ばれるのだ。
二人からしたらハッピーエンド。アデラインからしたらバッドエンドである。
「なるほど」
意識を取り戻した私は、いろいろと納得した。
婚約者が私に対して敵意しかないのも、きっとゲームの仕様なのだろう。そうに違いない。だから婚約者とうまくいかなかったからといって私は悪くない。そもそも向こうが私を気に入らないように、私だって気に入らないのだ、あの金ぴか王子。
「さてどうするか」
このままゲームの通りに進めば、私はバッドエンドを迎えるだろう。
普通なら回避のために動くだろうが……。
「あの女ムカつくのよね……」
そう、あの女、ベサニー。
まさに男に依存して、すべて頼りきり、自分の足で歩こうとしない、ひ弱な女性。
何かあったらすぐに泣き、男に縋り、守ってもらう。
「うん、ムカつくわ」
ぶりっ子は大嫌いである。
「別に国外追放ぐらいどうってことないわよね。私、外国語いくつかできるし。国外追放されても職には困らないわ。となるとやることは一つ」
私は医務室のベッドから起き上がり、決めた。
「いじめよう、ベサニーを」
我ながら、悪役らしいセリフだった。