1 最愛のあなたに刺されて
冷たい大理石の床に倒れた私は、自分の体から血が溢れ出てくる感覚に、死ぬのだなということを悟っていた。
「どうしてだ……俺は、王座など望んでいなかった!」
目はもう見えない。
聞こえてくる貴方の声に、私はただ笑みを浮かべたまま呼吸を繰り返す。
そんな笑みを見せる私に対して、貴方は声を荒げた。
「笑うな……笑うな……君は、シェリル君は死ぬんだぞ!?」
その言葉に、私はなぜ私を殺すために体を剣で貫いた貴方がそんなに声を荒げるのだろうかと不思議に思う。
けれど、怒っているのか。
私は貴方に怒ってほしかったわけではないのに。
笑ってほしかったのに。
王座など、いらなかったのか。
なら、私は本当に不要なことばかりをしたのだろうなと自嘲してしまう。
第二王子である貴方とは政略結婚。
貴方は私に笑いかけてくれたことなどなく、だけど私は、貴方に笑ってほしかった。
お父様からは、貴方は王座に就きたいのだと言われていたから、王座に就かせてあげられたらきっと笑ってくれると思った。
貴方に私はただ、笑ってほしかった。
「……ごめ……ん、なさい」
愛していたの。
私は、貴方を、愛していた。
いえ、違うわ。
愛しているの。
貴方に剣で貫かれ、死ぬと分かっている今ですら、貴方が愛おしくて、貴方に愛されたくて、そして、貴方に、笑ってほしい。
私がこれまで選んできたことは、きっとすべて間違っていたのだ。
愛していたから、貴方の願いを叶えたくて、平和な国にヒビを入れてしまった。
貴方を王座に就けるために、悪の道へと足を踏み入れてしまった。
お金を使い、貴方の味方を増やそうと画策し、秘密裏に貴方のお兄様であるジョージ王太子殿下をその座から引きずり降ろそうとした。
すべてがきっといけなかった。
貴方は望んでいなかったのね。
「王座など……欲しくなかった?」
ひゅーひゅーという息が漏れる。
そう尋ねると、私の手を貴方が握るのが分かった。
「そんなもの……欲したことなど、一度たりともない……俺が、俺が欲しかったのは……」
なんだ。そうだったの。
貴方が望んでいると思っていたなんて私たちはどれだけ会話をしてこなかったのかしら。
そうね。
会話してこなかった。
貴方に嫌われるのが怖くって、私は何もあなたには言えなくなった。
私の愛が重すぎるのを自覚していたから、貴方に愛をぶつけて、嫌われるのが怖かったのよ。
本当に、バカよね。
息をするのが苦しい。
血が抜けて、体を動かすことはもうできない。
不意に、顔に何かがぽたりと落ちてくるのを感じて、私は何かしらと朦朧としながら考える。
あぁ、もうすぐ終わりだ。
自分の死が間近に感じられて、私はどうにか口を開いた。
「……笑って……ほしかっただけなの」
これだけは伝えたかった。
私は、貴方に笑っていてほしかった。
だから。
私が死んだ後、どうか貴方が笑って暮らせますように。
本当に私はバカなのよ。
殺されたとしても、貴方を愛しているんだから。
2 二度目の生は溺愛ルート?
不意に、世界が明るくなるのを感じた。
天国?
いいえ。私が行くのは地獄のはずよ。
『本当に僕の愛し子は、おばかさんだね。君はこの世界の黒幕ポジションじゃないんだよ?』
可愛らしい少年のような少女のような声が響いて聞こえた。
『一度だけチャンスをあげる。だから、今度は黒幕になんてならず、ちゃんと、まっすぐに気持ちを伝えなよ。はぁ本当に人間って難しい。役割を配分しているのに、思うようになんて全然動かないんだから』
チャンス?
私はゆっくりと瞼を開いた。
『僕の愛し子は本当に、世話が焼けるよ。じゃあ、今度こそ溺愛ルート、頑張ってね』
溺愛ルート?
私はぱちくりと、目の前に見える天井を見つめた。
「溺愛、ルート?」
そう呟きながら、体を起こした私は、見慣れた部屋に自分がいること、そして先ほどまで血だらけで体にも穴が空いていたはずなのに、それがなくなっていることに気がついた。
「あら? あら?」
私は起き上がり、部屋の中を一周してから、鏡の前で足を止めた。
「あら? まぁ。まぁまぁまぁ!」
髪の毛が長い。
確か三年前に切ったはずだけれどと思うが、髪の毛を触ってみればやはり長い。
私は静かに自分の机へと移動すると、毎日欠かさずつけていた日記を手に取りそのページをめくって、そして、椅子に座ると小さく息をついた。
「あら。まぁ……神様。もしかして、これは慈悲、なのでしょうか」
私の日記のページは、三年前にさかのぼっており、今日はまさに、私シェリル・ロングバードと愛しのエバンス・ロイ・ヒューズ第二王子殿下との婚約式当日であった。
「まぁまぁまぁ……」
一人でそう呟きながら、私は、最後に聞こえた声を思い出す。
「……神様?」
私は静かに立ち上がると、部屋の中に設置してある小さな祭壇の前へと移動し、その前で手を組み合わせた。
悩むたびに私はこの世界の全知全能なる神様へと祈りを捧げてきた。
そして、私は確実に一度死んだ。
愛しいエバンス様の手によって。
「私にチャンスをお与えくださったのですか……」
最後に聞こえた声を私は静かに呟いた。
「溺愛、ルート……」
それが何かはよくわからないけれど、今度はまっすぐに気持ちを伝えるのだと言われた言葉を思い出す。
自分の気持ちを、まっすぐに。
裏工作などせずに、黒幕はお前だったのかとエバンス様に呟かれないような、そんな人生を今度は歩めということだろうか。
私は、祈りを捧げる。
分かりました。
黒幕になんてならず、まっすぐに自分の気持ちを伝えてみます。
自分の愛がかなり重たいことは自覚しているので、今度もかなり嫌われるかもしれません。
それでも、殺される運命よりはましかもしれません。
私は立ち上がると、祭壇を見つめながら決意を呟いた。
「今度こそ、まっすぐに、向かい合ってみます。二度目のチャンスをくださり、ありがとうございます」
そう自分を奮い立たせるように呟いた私は、ベッドの横にあるベルを鳴らした。
まずは、今日を堪能しよう。
もう、我慢はしない。
もしかしたらまた殺される運命が来るかもしれない。けれど、今度は我慢せずに、エバンス様とまっすぐに向き合い、そして、エバンス様を陰ながらではなく、真正面から堪能しよう。
「もう、裏工作はしないわ。だってエバンス様は王座など望んでいないといったもの。なら、私はただただ、エバンス様を満喫するわ。いつ死ぬか分からないし……それなら、エバンス様を眺めながら死にたい。あぁぁ。それって素敵ね!」
そう呟き終わった時、侍女たちが部屋をノックしてから飾りなどを部屋へと運び入れる。そして楽しそうに私の支度を始めた。
「シェリルお嬢様。婚約式楽しみでございますね」
「世界で一番美しいと皆に言われること間違いなしですね」
「あぁ、シェリルお嬢様がご婚約、はぁ、嬉しくてたまりません」
にぎやかに準備をしてくれる侍女たちの幸せそうな姿に、私は笑顔になってしまう。
裏工作を始めてからは、侍女たちに被害が出ないようにとできる限り接触を断ち、人数も減らしたのだ。
だからこんなに賑やかで、楽しい雰囲気なのは久しぶりであった。
「ふふふ。ありがとう。私も楽しみだわ」
そう伝えると、侍女たちはさらに楽しそうに私の支度を進めていく。
私は三年前の婚約式の時には、エバンス様は笑ってくれないし、自分は気に入ってもらえなかったのだと婚約式の後部屋にこもったのだ。
なんてもったいないことをしたのだろうか。
今日は婚約式の正装姿のエバンス様を唯一眺められる日だというのに。きっと世界で一番素敵に違いない。
どのような髪型にしているのだろうか。それも気になり、私は早くエバンス様に会いたくて仕方がない。
あぁ、胸が高鳴る。
今度はエバンス様に笑ってもらえなくても、気にしない。笑ってほしいという思いは今も変わらないけれど、せっかく回帰したのだから、今度はしっかりとエバンス様を堪能しよう。
私はこのチャンスを逃したりしない。
我慢せずに、エバンス様を満喫してみせる。
私は婚約式の衣装に着替え化粧を施され、そしてアクセサリーをつけ終わると鏡の前に立つ自分を見つめた。
エバンス様に気に入ってもらえなくてもいい。
私は全身全霊をかけて、エバンス様を堪能する。
「はぁ。お嬢様ほどの美貌の持ち主を妻とできる第二王子殿下は、世界で一番の幸せ者でございます」
「お嬢様は天使でございます」
「第二王子殿下もきっとお嬢様に見惚れること間違いなしです」
侍女たちに称賛され、私はそうかしらと鏡の前でくるりと回った。
美しく波打つ金髪に、菫色の瞳。自分自身でも容姿にはある程度自信があるけれど、エバンス様は私の容姿を気に入ってくれていたのかは分からない。
結局、好きな相手に気に入られなければ意味がないのよねと、小さく息を吐いてしまう。
「気に入ってくださったら、私は世界で一番幸せになれるのに」
そう呟くと、侍女たちからは大丈夫だということを言われ、それからは称賛の嵐であった。
たくさん褒めてくれるものだから、私も笑ってしまった。
久しぶりに笑って、私はそれがまたおかしくて、涙が出てしまいそうになる。
笑ったのは、いつぶりだろうか。
エバンス様に笑ってほしくて努力して、努力して、努力をして。
そして、結局、笑えなくなった。
だけれど、もう、笑ってもいいのだ。
だって、私はもう我慢しないのだから。
エバンス様に相応しくないと他の令嬢に陰口を叩かれたり、貴族の夫人方に洗礼を受けたりしたこともあった。
けれど、そんなことなどもう気にしない。
「さぁ、エバンス様に会えるのが楽しみだわ!」
私は侍女たちと共に自室から出て、家族と婚約式会場を目指すのであった。