プロローグ 学園入学
「ふあっ……」
胸の小さな蕾をキュッと摘ままれて思わず声を洩らした。誰が聞いても感じているとわかるほど淫らな甘い声。こんな声が自分から出たなんて信じたくない。
でも、この生徒会室には私と彼、二人だけしかいなかった。
「いい声で啼く」
ゾクッ。
鼓膜を揺らす低い囁き声に、体の芯から甘い痺れが広がっていく。同時に膣の中がキュッと締まり、中を満たしているものを強く絞り上げる。スカートに隠れて見えないが、私は今、後ろから彼のものに貫かれていた。
彼が小さく呻き声を上げる。
「くっ……そんなに締めつけるな。出てしまうだろう」
「だ、だって気持ちよくて……」
「っ……! そなたは人を煽るのが上手いな」
余裕のない声。
彼は今、何を考えてこんなことをしているのだろう。
靄がかかった頭でぼんやりとそんなことを思っていると、唐突に後ろから顔を覗き込まれる。
「あっ……」
ルビーのように赤く輝く瞳の中に映る私は、彼の膝の上に乗って制服のブレザーをはだけさせ、だらしなく口を開けて頬を紅潮させている。
思わず俯く。隠せるものではないけれど、こんなだらしない顔は見られたくない。
だが。
「誰が目を逸らしていいと言った?」
「っ……!」
顎を掴まれてくいっと顔を彼の方に向けさせられる。彼の瞳はほの暗い危険な色を孕んでいた。
その瞳を見ると、私はいつも目が離せなくなる。
彼の瞳に吸い込まれて閉じ込められて、離れないように縛りつけられる――そんな錯覚を起こすのだ。
コツン、彼が目を合わせたまま額をくっつけてくる。その口は緩やかなカーブを描いていて、こんな淫らな行為をしているにもかかわらず、まるで天使のよう。
「アンジェリカ、そなたは私だけのものだ」
優しい声が耳朶を打つ。
「……はい、クレイシュ様」
どうして、こんなことになったのだろう。
彼と出会ったのは青空が広がる学園(アカデミー)の入学式の日のことだった――
第一話 乙女ゲームの世界
「とうとう学園の入学式ね。絶対に平和な学園生活を満喫してやるんだから」
私――アンジェリカ・ユリ・メルビスは大きなレンガ色の建物を前に、拳をぎゅっと握りしめて決意を新たにしていた。
現在、私がいるのはレイブン王国にあるティリウス王立(ロイヤル)学園(アカデミー)。貴族の子弟や優秀かつ裕福な平民の子供が集まる学園で、ここを卒業した者は引く手あまただろうと言われているほど名実ともに最高レベルの教育機関だ。
私は今日ここに入学する。
本来であれば今頃、未知な学園生活への期待やドキドキに胸を躍らせているはずだった。実際、周りには頬を染めて校舎を見上げる学園生たちがたくさんいる。
だが、今の私は別の緊張感で息が詰まりそうだった。
「ここで、私の運命が決まるのね」
体の芯から震えてくる心地がする。ここで何か間違えようものならバッドエンドまっしぐら――最悪死亡エンドもありえる身としては正直学園にすら入りたくなかったのだ。
だが、貴族の子弟はここに入ることが義務付けられている。公爵令嬢である私がその義務を放棄するわけにはいかない。
学園から逃れられない以上、私ができることはただ一つ。
「できる限り、攻略対象者とは関わらないように過ごすしかないわね」
――そう、ここは乙女ゲームの世界で私は悪役令嬢なのだから。
突然何言っているのかと思うかもしれない。だが、これは本当の話。
私には前世の記憶がある。こことは違う世界で二十歳まで生きた記憶が。
平凡な人生だったと言える。ごく普通の、裕福でも貧乏でもない家庭に生まれて学校に通い、人並みに恋をした、と思う。……実ったことはなかったけど。
そしてそんな彼氏いない歴イコール年齢の私がハマったのが乙女ゲームという女性向け恋愛シミュレーションゲームだった。色々なシチュエーションのものがあったが、その中でも私が一番ハマったのが魔法が存在する異世界で低い身分に生まれたヒロインが、様々なイケメンたちとの出会いを経て恋仲になっていくというもの。
私は居眠り運転のトラックに轢かれて死ぬというごくありきたりな最期を迎えたが、その直前にハマっていたのがその中でもかなりハードな十八禁の乙女ゲーム『学びの園で華やかに咲き乱れて』というものだ。
これは平民に生まれたヒロインが聖女としての能力を開花させてティリウス王立学園に入学するが、身分が低いがゆえに悪役令嬢アンジェリカ・ユリ・メルビス――つまり私のことなんだが――をはじめとする貴族の女子生徒たちにいじめられてしまう。しかし、そんなヒロインを助けようと王子様をはじめとする様々なイケメン攻略キャラたちが現れ、一緒に苦難を乗り越えて最後には一人と結ばれる、そんなありきたりなストーリーだ。
だが、このゲームがハードと言われる所以は攻略キャラ一人一人に凄まじい性癖があるところである。
「私はメイン攻略者の王子様よりフェルナン様の方が好きだったけれど……」
私の推しは王子の側近で騎士団長の息子フェルナン・テラ・ベルカ。色白で柔らかな茶色の髪を持つ可愛い系の男の子だが、主人公をぐずぐずに甘やかして快楽漬けにするという性癖を持っていた。
「前世の私は甘やかされたいタイプだったから、すごく刺さったのよね」
ちなみに可愛い系と言ってもさすが騎士団長の息子、剣術の腕は十六歳ながら一流らしい。実際に会ったことはないから本当かどうかわからないけれど。ゲームでは、甘いマスクでヒロインのピンチに剣を華麗に振る様は、尊いの一言に尽きた。
そしてベッドでは甘々な快楽漬け……ギャップが半端ない。最高すぎる。
「確かフェルナン様とは同じクラスだったはず。早く会いたいわ」
考え事をしている最中に入学式が終わり自分の教室に着く。後ろの方の席に座って早速お目当ての人物を探していると、少し離れたところに女子生徒たちに囲まれている茶髪の男の子を見つけた。
「間違いないわ! あの方こそフェルナン・テラ・ベルカ様、私の推し!」
さらっさらの茶髪にとろけるような笑み、全身から滲み出るキラキラオーラに私は思わず見惚れてしまう。
「はぁ……格好いい……フェルナン様……」
周りに人がいないことをいいことに、私は吐息を洩らした。あまりに格好よすぎるのである。この世界に転生してよかったことなど今まで一つもなかったが、フェルナン様をこの目で見れただけで転生してよかったと思える。神様ありがとう……!
「でも、私は彼に近づくわけにはいかないのよね……」
先ほどまでの高揚していた気持ちが一気に消え、自然と眉間に皺が寄った。
フェルナン様は立派な攻略対象者の一人。ヒロインが彼を選べば、私の振る舞いがどうであろうと、乙女ゲームの強制力で悪役令嬢にされてしまう可能性がある。強制力なんてものがあるのかはわからないが、近づかないのが一番だろう。火がないところに煙は立たないのである、多分。
「推しがそばにいるのに近づけない悔しさを噛みしめながら三年間過ごすことになるのね……」
悪役令嬢である私の役目はヒロインと攻略対象者が結ばれるための試練を作ることであり、その役目さえ終わればよくて国外追放、最悪死刑というこの上なく残酷なものである。
ちなみに一番ひどい最期は、この学園の学長室に保管されている初代王妃のティアラを盗んだことがバレて王子様の手によって斬首刑にされることだろう。
そのティアラには「持っているだけで想い人と結ばれる」という特別な力があると噂されていて、アンジェリカはその力に縋って王太子と結ばれようとしたのである。結局はヒロインにそのことを暴かれて死罪にされてしまうし、そのティアラにそんな力はなかったのだが。
「これではまるで使い捨てのプラスチックごみだわ。しかもリサイクルすら許されないタイプ」
この世界にプラスチックはないけれど。
はぁ、と私は前世の記憶を思い出してから何回目かわからないため息をついた。