黒猫の秘密~魔法が解けて溺愛生活も終わりかと思ったら、ぜんぜん終わりじゃなかったです~

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先行配信日:2023/01/27
配信日:2023/02/10
定価:¥770(税込)
王国最強と名高い騎士団長マクシミリアンの膝の上。幸せそうに撫でられる黒猫のエマ。
その子猫の正体は――魔法の暴走で人の姿に戻れなくなった落ちこぼれ魔女のエマ。
魔力が最も強くなるハロウィンの日まで大好きなひとを満喫しよう!
【期間限定:幸せ猫生活】は、運命の夜を越えてますます溺愛化!?
人気作家・宮田紗音、話題のWEB短編、大幅加筆の完成版。

成分表

♡喘ぎ、二穴、NTR、非童貞、などの特定の成分が本文中に含まれているか確認することが出来ます。

立ち読み
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 コポコポと泡が立ち上る大釜を、エマは片時も視線も逸らさず睨みつけていた。
 束ねられたハーブが所狭しと吊され、戸棚には色硝子の小瓶と、年季の入った本が並ぶ典型的な魔女の工房。
 彼女はこの工房の主人だが、三つ編みにした黒髪とくりくりと大きな若草色の瞳のせいで、十八歳という年齢よりも幼く見える。しかし可愛らしい顔立ちに似合わず、表情は真剣そのもので、まるで親の敵でもあるかのように大釜をじっと見つめていた。
 釜の中に煮立つのは新緑色の液体だった。
 いかにも苦そうな色合いで、煮詰めれば煮詰めるほど強烈な臭いが立ちこめる。
 その色がある濃さにまで達したとき、エマは持っていた精油の小瓶を、大釜に向かって振りかけた。
「……さん、しー、ご!」
 きっちり五滴分数えてから、小瓶の蓋を固く閉める。
 春に摘んだローズマリーから抽出したエキスと、エマ自身の魔力を混ぜ合わせた特製の精油は、大釜の液体に触れると金色の光をぱちぱちと放った。そしてすぐに、釜の中の色そのものが魔法のように変わっていく。
 濃い深緑から、赤みがかった紫色へと。
「やった!」
 それまでの険しさが嘘のように、エマの表情が明るく輝いた。
 見慣れた反応に、成功したと思ったのだ。
 数種類の薬草を煮詰めた大釜の中身は、特製の精油と混ざり合うことでより効果の高い薬となる。
 エマは高名な一族から見放された落ちこぼれ魔女だったが、この薬の調合だけには自信があった。
(これできっと、あのひとももっと喜んでくれる……)
 鋭いまなざしをかすかにやわらげて微笑む青年を思い出し、不思議なくらい胸が弾んだ。
 落ちこぼれ魔女のエマに、人生最大の賛辞をくれたひと。敬意と尊敬を込めて『魔女殿』と呼んでくれる彼の声は、どうしてあれほど甘やかに聞こえるのだろう。
 甘酸っぱい記憶が巡り、そばかすひとつないふっくらとした頬が、初々しい桜色に染まる。
 気が抜けて釜から注意が逸れた、そのときだった。
「あっ……!」
 釜の中身がさらに煮立ち、砂糖を焦がしたような匂いが周囲に立ちこめた。
 こんな反応、見たことがない。
 慌てて火を消して、せっかく完成した薬の変化を抑えようと試みる。しかしできあがったばかりの薬は、明るい紫色から、さらにとろりとした飴色に輝き出して。
「きゃぁぁっ!」
 下町にある落ちこぼれ魔女の工房が、黄金の光に包まれた。



 半年後。
 リヴァンクール王国騎士団長マクシミリアン・ウェーバーの執務室に、愛らしい黒猫が居着いていた。
 よく手入れされた艶やかな毛並みと、宝石のように輝く緑の瞳。子猫のわりにはおっとりとしていて、お昼寝が大好きな小さな雌猫。今日もいつもの特等席である出窓にぽふっと陣取り、燦々と注ぐお日様の光を浴びている。
 長く優美なしっぽを揺らしながら、あくびをする仕草まで愛らしい。
 マクシミリアンが書類仕事をする背中を見つめながら、黒猫はのんびりと過ごしていた。
 黒猫は名前を、エマという。
 誰がどこからどう見ても黒くてほわほわの子猫に見えるが、実際のところ本物の猫ではない。
 あの日、工房で薬の作成に失敗した、落ちこぼれ魔女のエマだった。
 リヴァンクール王国が建国されるより以前、この地には深い森が広がっており、一人の魔女が森を守護していた。人々が森を切り開き、王国が建国されると、魔女は森ではなく人間を守護するようになった。
 現在のリヴァンクール王国にいる魔女たちは、建国に協力した善き魔女の末裔なのだ。
 落ちこぼれ魔女のエマも、高名な魔女一族の末席に名を連ねる一人だった。
 しかし優秀な兄姉たちとは違い、魔力が少なく、使い方も不器用で、失敗ばかりしていた。十六歳で成人の儀を終えたあとも目立った成果を挙げることができず、とうとう実家にいられなくなり、下町に自分の工房を開いたのが二年前のこと。
 そのエマがどうして王国騎士団長の執務室にいるのかというと、これにはいくつもの不思議な偶然が重なり合っていた。
 半年前の冷たい雨の日。
 エマは騎士団から依頼された薬を調合していた。
 その名も『虫下しの薬』。
 魔物退治のため、衛生環境の悪い場所へ遠征に行く騎士団は、毎回大量購入をしてくれる。
 しかし虫下しの薬にはまだまだ在庫があった。それというのも落ちこぼれ魔女のエマが唯一失敗せずに作れる薬が、この薬だったのだ。
 下町でこっそり販売されていたエマの薬。
 よく効くという噂を聞きつけた騎士団がお得意様になってから、彼女の暮らし向きもずいぶんと楽になった。ぼろぼろの大釜を新調できたし、正確な秤も手に入れることができた。
 これはぜひ騎士団にお礼をせねばと、依頼品の『虫下しの薬』の他、『虫下しの薬・改』の調合に挑戦してみたのだが、その結果がこの有様だ。
 エマはやっぱり、出来損ないの落ちこぼれ魔女だった。
 ――単純な改良のはずだった。
 ローズマリーの精油に注ぐ魔力を強化して、薬液の調合にネコハッカの汁を少量、加えただけ。
 しかしできあがった薬と、エマから漏れ出た魔力がおかしなふうに作用して、魔力暴走が起きた。エマは魔力すべてを失った上、子猫の姿に変化してしまい戻れなくなったのだ。
 これにはさすがに、彼女も慌てた。
 飛び出るように出てきた実家は頼ることができないし、魔力のない子猫の姿ではそれほど遠くへも行けない。
 冷たい雨の中、工房を飛び出し、下町暮らしでお世話になった魔女の家へほうほうの体でたどり着いたものの、『しばらく留守にします』の看板がぶら下がっている。自由気ままな魔女なので珍しいことではなかったが、なんとも間が悪かった。
 しかしエマの受難はここからだった。
 よちよち歩きの子猫の姿で生ゴミを引っかけてしまい、情けなくて心細くて鳴いていると、今度は鴉に追いかけられた。
 鴉は魔女が使役する眷属だが、魔力を失った生ゴミ付きの子猫のエマは、彼らにとって獲物でしかない。黒く鋭い嘴に狙われ、逃げるのにも力尽きてこれまでかと覚悟したとき、助けてくれたのがマクシミリアンだった。
 彼は上着を使ってしつこい鴉を追い払うと、濡れて生臭く、ぼろぼろのゴミのようになった黒い毛玉を拾ってくれた。震えてか細く鳴く子猫を、上着に包んで暖めてくれた。傷の治療をしてミルクを与え、温かいお湯で洗ってくれた。おかげでエマは、子猫になってからずっと感じていた心細さを忘れることができた。
 そして数日が経ち、傷が少し癒えた頃に与えられた名前は、偶然にもエマ。
 ありふれた名前が、これほど嬉しかったことはない。
 エマは汚れて臭う毛玉から、王国騎士団長の愛猫となった。
「にゃー」
 お日様を燦々と浴びながら、とっても気持ちよく伸びをする。
 猫生活を満喫しているように見えるが、さすがに彼女もずっとこのままでいいとは思っていなかった。
 工房には虫下しの薬のストックが大量にあるが、猫の姿では新たな調合ができない。こんな落ちこぼれ魔女の薬でも、必要としてくれているひとがいるのだ。
 しかし使用しなければ戻るはずの魔力の蓄積が遅く、なかなか人間に戻れるまでには回復しない。元来、ひとの姿であっても魔力容量が少ないエマだが、強制的な猫化のせいで、魔力の回復にまで影響が出ていた。
 それでも焦っていないのにはわけがある。
(きっと大丈夫! もうすぐハロウィンだから)
 ぽわぽわとあくびをしながら、子猫はのんびり考える。
 収穫祭が終わると、リヴァンクール王国は冬の季節を迎える。
 秋と冬のその境目、ハロウィンの夜には世界に満ちる魔力が増幅し、魔物や魔女が活気づく。今は子猫の姿から戻れないエマであっても、ハロウィンの恩恵を受けて魔力を取り戻すことができるだろう。
 そのような算段があるので、子猫の姿から戻れなくてもあまり気にしていなかった。
 そして猫化したことで思考力が鈍化し、本来の性格よりのんきになっているため、ハロウィンという期限までと割りきってお気楽な猫生活を楽しんでいる。
「……っ」
 気持ちよくうとうとしていたところ、ため息のような声が聞こえて、黒猫の耳がぴくりと揺れた。
 エマがいる出窓から見えるのは、精悍な後ろ姿。濃紺の騎士団の制服を着て、朝からずっと書類仕事をしているマクシミリアンが、こめかみに指を押し当てため息をついたのだ。
 これはいけない。
 黒猫はすっと起き上がると、ぷにぷにとした肉球を備えた四つ足を使い、出窓の縁からジャンプした。大きく頑丈な執務机の上に難なく着地すると、くるりと一回転してマクシミリアンを見上げる。
 お日様のようにキラキラ輝く金色の髪、整った鼻筋と厳しく引き結ばれた形のよい唇。碧い瞳は吸い込まれそうなほど美しく、研ぎ澄まされた刃のように鋭い。
 王国最強の騎士と名高い騎士団長マクシミリアン・ウェーバーは、美しさと凜々しさを併せ持つ稀に見る見目麗しい青年だった。
 彼はその鋭いまなざしで、無作法にも机に飛び乗った黒猫を一瞥した。
「にゃん……」
 エマは首をかしげ、甘えるように鳴いてみる。
 マクシミリアンは朝からずっと、机に向かい仕事をしていた。窓辺に座り、のんびり日光浴を楽しんでいた彼女とは違う勤勉なひとだった。
 でも、エマにしてみると働きすぎだと思う。疲れているなら休憩したほうがいいし、なんならエマと一緒にお昼寝をしたらいい。
「にゃん、にゃあ!」
 マクシミリアンの鋭いまなざしが、春の陽ざしのようにすっとやわらいだ。
 可愛くて愛しくてしかたがないというように、口許がわずかに緩む。
 もちろん彼は黒猫のエマを、騎士団御用達の虫下しの薬を作る落ちこぼれ魔女だとは認識していない。ただただ保護した飼い猫のエマを、目の中に入れても痛くないほど溺愛しているだけだ。
 下級貴族出身の彼は、実力で団長の地位に上りつめた武闘派だ。きらびやかな舞踏会が似合う美しい顔立ちをしているのに、剣を握ったときの人並み外れた強さは国内で敵う者がいない。机に飛び乗りにゃんにゃん鳴く黒猫に伸ばされた手も、剣ダコがあってごつごつしている。
 しかしエマの頭を撫でる手つきは、意外なほど繊細でやさしかった。
 そっと慈しむように撫でられて、しっぽの付け根がムズムズする。くすぐったくて気持ちよくって、幸せが止めどなく溢れ出てくる。
 いつまでも撫で続けてほしいほど心地よい触れ合いに、エマは甘えた声でまたにゃあと鳴いた。

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