第三章 執愛
1.残滓
「ルナリア……」
愛しい女が、目の前で消えた。
ずっと、誰にも奪われないように大事に囲っていたのに。
追手もすべて始末して、ラメール王国に辿り着いて、やっと……やっとルナリアを国の柵【しがらみ】から解放出来たと思っていたのに。
『愛してる、ディラン』
やっと、愛を返してもらえたのに。
「クソ!!」
苛立ちを抑えきれず、倒れていた棚を蹴とばす。
さっきは家に戻るとルナリアの体が消えていて、咄嗟のことで魔法陣を確認出来なかった。
先程ルナリアは『召喚される』と言っていた。だとしたら、マジェス王国に呼ばれたとしか考えられない。だが、召喚術は禁術とされた最上級魔法だ。
あの魔法は膨大な魔力を要し、魔法陣の構築に人柱を必要とする。つまり六芒星の魔法陣を発動させるのに、最低でも六名の高魔力保持者を人柱にたて、その生き血で魔.法陣を構築しなければならない。その残虐性が問題視されて禁術になったんだ。
なのになぜ、ダライアス王国の魔術師団ならともかく、大した魔法技術も待たない神器頼りのマジェス王国がそれを成したのか。信じられないの一言しか出てこない――
「ここでウダウダ考えていても仕方ないな」
◇◇◇◇
「ロゼリオ!」
「は!?」
「きゃあああ!」
俺はさっきまで酒を飲んでいたロゼリオの私室に転移魔法で戻った。
するとソファの上で妻の王太子妃を膝の上に乗せ、半裸で乳繰り合っているロゼリオがいた。
「お前!! いつも突然転移してくるなって言ってるだろうが! 俺の妻の裸を見やがったな!?」
「そんなのはどうでもいい! 俺は今すぐこの国を出る。さっき頼まれた魔道具は作れないから金は返すぞ!」
先ほどもらった依頼書と金をロゼリオに投げつけ、そのまま転移して消えようとしたその時、奴に手を掴まれて止められる。
「ちょっと待てディラン!! 一体何があった!?」
「離せ! 邪魔するな! ルナリアが攫われたんだ! 恐らくマジェス王国に召喚された。だからお前に構っている暇はない!」
手を振り払おうとしても、獣人の馬鹿力には敵わない。
今は一刻を争うというのに、俺の邪魔をするつもりなら昔からの友だろうが殺す──
「王太子に殺気を出すな! いーからちょっと落ち着けって!」
こちらの声が外に聞こえたのか廊下が慌ただしくなり、走る音とロゼリオたちを呼ぶ声が聞こえた。
「パメラ、悪い。外の奴らに何でもないと伝えてきてくれ。俺はちょっとコイツと話がある」
「俺はない! 離せ!」
「わかりました、ロゼリオ様」
先ほど取り乱して叫んでいたパメラは既に王太子妃の顔に戻り、身なりを整えた後に部屋を出ていった。その間もロゼリオは俺を転移させまいとして手を掴んだままだ。
「離せと言っているだろう。邪魔するならお前でも容赦しないぞ」
「あのなぁ、今のマジェス王国近辺の異変にお前も気づいてるだろ。闇雲に突っ込んでいったらお前の身もタダでは済まない。あっちには勇者がいるんだぞ!」
「……」
「お前を見つけたら、勇者はお前を殺すぞ」
「……上等だ、返り討ちにして俺が息の根を止めてやる。だから離せ。お前は夜伽の続きでもしてろ」
「お前のせいでもう萎えたわアホ! いいから、何があったのか洗いざらい話せ。じゃないと協力しようがねえだろ。ルナリアを無事に取り返したいなら尚更お前一人で動くな。絶対失敗する」
「なぜそう言い切れる」
「ルナリアがお前の弱点だからだよ。俺が敵ならルナリアを使ってお前を消す」
「……」
「だから俺に殺気を向けるな! 仮定の話だろ! そうやって冷静さを失ってる時点で相手の思うツボだろーが」
ならどうすればいい。
俺はルナリアしかいらないのに、その唯一が奪われた。
「──無表情で人間嫌いだったお前が、そんな顔するようになるとはなぁ」
「そんな顔ってなんだ」
「置いてきぼりくらったガキみたいな顔──……だから殺気を飛ばすな。俺は王太子だぞこの野郎」
「お前と無駄話してる時間はないんだよ!」
「わかってるよ! だから協力するって言ってんだろ。ルナリアの存在はラメール王国にも恩恵をもたらしてたんだ。俺らにとっても賢者と聖女がこの国にいてもらった方が有難いのさ。だから一人で乗り込むとか馬鹿な真似はやめろ。万が一お前が魔力暴走でも起こしたらルナリアを道連れに国が滅ぶぞ」
「そんなヘマはしない!」
「本当か? 現時点でこんなに取り乱して魔力を乱れさせているお前が、ルナリアと勇者が一緒にいるのを見た時に平静を保てるのか? それにお前、勇者に勝てるのか? アイツの固有スキルは魔術師にとって一番厄介なものだ。あのスキルだからこそ魔王を倒せたんだろうよ。味方なら心強いが、敵にしたら魔王よりもタチが悪い相手だぞ」
──勇者の固有スキルは魔法を使う者にとっては天敵と言ってもいい。自分に害を成す状態異常や魔法への耐性が強すぎるからだ。つまり攻撃魔法があまり効かない。
だから魔族との戦いで生き延びることが出来た。だから魔王に対抗することが出来た。
だからあの夜――ノイシュに洗脳の類は使えなかった。勇者に魅了は効かないし、そもそも禁忌魔法でリスクが高すぎる。出来るのは、せいぜいノイシュの隠している下心を表に引き出すくらいだった。アンジェリカでも発動出来るよう、光を闇に変える魔力転換の術式を組み、あの女の舌に魔法陣を刻んだ。
完璧な魔法陣に膨大な魔力を込めた。普通の人間なら一生解けない魔法でも、勇者なら一晩経てば正気に戻るだろう。きっと、ノイシュはあの夜の真相に辿り着いている。だからこうもしつこくルナリアを探しているのだ。
「さっさと諦めてくれりゃ良かったのに……っ」
もし対峙すればロゼリオの言う通り、アイツは俺を殺そうとするかもしれない。だが俺は、アイツの欲を暴いたことを後悔はしていない。一途にルナリアだけを想っていれば、手は出さなかった。
なのにアイツはルナリア以外の女に触れた。
俺が喉から手が出るほど欲しかった女を手にしながら、アンジェリカに欲情して触れた。
そんなクソ野郎が何食わぬ顔でルナリアと結婚し、彼女を抱くのかと思ったら殺意しか芽生えなかった。一度でも一線を越えた奴は、機会があれば二度も三度も飛び越える。
アンジェリカのノイシュへの執着を思えば、結婚後もあの女はノイシュを誘惑しただろう。だったら、もう最初からお前らが一緒になればいい。俺はルナリア以外の人間は必要ない。だから俺がもらってもいいだろう。俺ならルナリアだけを一生大事にする。──そう思った。
そう思っていたのに、結局俺は、怖くて仕方ないんだ。
ルナリアを攫ってからずっと怯えている。
真相を知られることを恐れている。
俺のしたことは、正義感でもなんでもない。
俺の欲のためなんだ。ルナリアを傷つけるとわかっていても、彼女が欲しかった。
泣かせるとわかっていても、ノイシュから離れるように仕向けた。
ずっとノイシュから奪いたかった。
きっと君は俺の罪を知ることになるだろう。
それが何よりも怖い。想像しただけで手が震える。
『愛してる、ディラン』
真相を知って、君のその愛を失うのが、怖くて怖くて仕方ない──