1 落ちこぼれの神子【みこ】
神聖ユーグシアッド王国は、万病に効く『聖蜜【ポーション】』を作ることのできる神子と呼ばれる少女たちと、その神子たちが暮らす神殿を有することで近隣国に名の知られた国だ。
クリスタルの瓶に入れられた乳白色の『聖蜜』はどんな病や怪我も瞬時に治してしまうのだと百年以上前から伝えられている。
その『聖蜜』を手に入れようと、今日も多くの人が巨額の寄付金を手に神殿の前へ並んでいた。
けれど、その『聖蜜』が、神子たちの胸から抽出される体液であることは、神殿の関係者とごく一部の王族しか知らない。
◇◇◇
「――――っ、はぁ……こんなに頑張って搾ってるのに、これだけしか出ない……」
簡素なベッド、それに木の椅子と机だけが置かれた狭い部屋の中。
白い大きな襟のついた黒いワンピースの前を、あられもなくはだけた神子が、がっくりと項垂れている。
ぷるんぷるん……を通り越してぶるんっ! と震える白く豊かな胸。そしてその先端で淡くピンクに色づく乳首には、クリスタルの指輪のようなものが嵌められていた。
長い銀の髪に水色の瞳をした神子の名前はリデア。
リデアは今年で二十歳になるが、童顔でどこか妖精めいた雰囲気がある。
幼い頃からこの神殿に暮らす彼女は、今は日々の務めである『聖蜜』の抽出の最中だ。
リデアの胸の先端に嵌められたクリスタルの輪は神子全員に配られている聖具で、不思議な力を持っている。
どういう仕組みなのかリデアにはわからないが、その輪を嵌めたまま胸を絞ると、管などで繋がれているわけでもない瓶の中へ聖蜜が溜まっていくのだ。
けれど、リデアの目の前の机に置かれた瓶には、ほんの少しの液体しか溜まっていない。
そう。リデアは一応、聖蜜を作成できる体質のため神子の資格は持っているが、ハッキリ言ってしまえば落ちこぼれだ。
他の神子たちが一日に三本~五本の聖蜜を作れる中で、リデアはかなりの時間をかけて一本ぶん搾り出すのがやっとだった。
ちなみに、神殿で暮らす神子たちはみな純潔の乙女なので、聖蜜と母乳は別物である。
「あぁぁぁマズいぃぃっ……! もしこのまま、聖蜜を出せなくなっちゃったら住む場所がなくなる……っ」
リデアの暮らす神殿は身寄りのない子供たちを保護する施設も兼ねていて、赤ん坊の時に両親を亡くしたリデアも最初は孤児として保護された。
そして十二歳の時に神子としての力を開花させたのだが、神子でない子供は十八歳で独立しなければならない。
そして今、年々作れる聖蜜の量が減っているリデアはとてつもない焦りを感じている。
「私、神子の力が無くなったら神殿の外でちゃんと暮らしていけるかなぁ……」
生まれた時からほぼ外の世界に出たことのない、箱入り娘ならぬ神殿入り神子。俗世での暮らしは未知ゆえに不安しかない。
「――リデア。そろそろ出来ましたか?」
薄い扉をノックする音と共にそう声をかけられ、リデアは慌ててワンピースのボタンを留める。
「はい……! 大丈夫です!」
リデアの返事を聞いて部屋に入ってきたのは、神子たちを指導するマギーという名の初老の女性だ。
マギーはリデアの差し出した瓶を見て、その中身の少なさに眉をひそめた。
「……まぁ、無いよりはマシでしょう。シルヴィオ殿下をお救いするためにはどんな可能性も試してみなくては」
「シルヴィオ殿下の体調は未だに芳しくないのですか?」
「殿下が原因不明の高熱で倒れられてから十日。意識はお有りになるそうですが、今まで神殿から献上した聖蜜は、どの神子のものもお身体に合わないようです」
「神殿の中で一、二を争うほど優秀な神子たちの聖蜜でもダメだったなんて……」
「ですからリデア。いよいよ貴女が最後の望みです。たとえ第四王子といえども、王家の方の命を喪うわけにはいかない」
「はい……! 私の聖蜜がシルヴィオ殿下のお身体に効くように、お祈りします……!」
――と、マギーに対して意気込んでみたものの。
リデアは内心、自分の力では無理だろうと期待していなかった。
一度も会ったことのない、雲の上の存在の第四王子の体調よりも、自分の今後の身の振り方のほうが心配なほどだった。
(こんな不敬なこと、絶対に誰にも言えないけれど……!)
けれど翌日。
慌てた様子で駆け込んで来たマギーの言葉で、リデアの運命は大きく変わることになる。
「大変ですリデア! シルヴィオ殿下が、貴女の聖蜜を飲んで回復されました!」
2 私が聖女!?
「ここが、王宮……」
王家の印の入った立派な黒い馬車から下りたリデアは、目の前にそびえ立つ豪奢で美しい建物と、どこまでも広がる庭園に圧倒された。
思わずたじろぎ、足を止めたリデアに彼女の案内役の騎士が声をかける。
「聖女リデア様、シルヴィオ殿下のお部屋はこちらでございます」
「あっ、はい……!」
先導する騎士の後に遅れないよう、リデアは城の中を進む。
(あの騎士さんを見失ったら、絶対に迷子になる自信がある……っ)
そう思いつつも、目に入る全てのものが初めて見るものばかりで、つい気を取られてしまう。
ロングギャラリーを彩る、絵画や装丁の美しい本にシャンデリア。毛足の長いふかふかの絨毯に、大きな花瓶いっぱいに生けられた甘い香りの大輪の薔薇。そのどれもが、神殿生活では無縁だったものだ。
(私、場違い過ぎでは……!?)
世間知らずのリデアにもわかる。ここに存在するのは、全て一級のものばかりだ。
(せめて、今着ているのがいつもと同じ服でないことが救いだわ)
今日のリデアは、神殿でずっと着ていた神子お仕着せのワンピースではなく、彼女のためだけに用意された新品の衣装を着用している。
デザインと色は神殿で着ていたワンピースに似ているが、たっぷりと使われた生地は比べ物にならないくらい上質なもので、黒のレースで出来たベールも繊細な模様が美しい。
それでも、建物自体が芸術品のような王宮を歩くのには不相応な気がして、リデアはベールと同じ黒いレースの手袋を嵌めた両手を祈りの形で握りしめる。
(王族の方々は、こんなにキラキラした場所で本当に日常生活を送ってらっしゃるの……?)
そして目眩がしそうなほど長い距離を歩いた頃。リデアを先導していた騎士が大きく白い扉の前で足を止めた。きっとここが第四王子シルヴィオの部屋なのだろう。
(シルヴィオ殿下、一体どんな方なのかしら……)
マギーが駆け込んで来たあの日。リデアは信じられない気持ちでマギーからの説明を聞いた。
曰く、どんなに優秀な神子の聖蜜でも回復しなかったシルヴィオの体調が、リデアの聖蜜を一口飲んだだけで見違えるように良くなったのだと言う。
このままリデアの聖蜜を飲み続ければ、シルヴィオは以前のように動けるようになるだろうというのが宮廷医師の見解だった。
(突然お城で暮らすことになったのには驚いたけれど、私がシルヴィオ殿下を癒せたのは光栄なことだわ)
けれどリデアが一度に作れる聖蜜の量は少なく安定的な供給ができない。
そのため、リデアが聖蜜を作れたらすぐにでもシルヴィオへ投与できるよう、リデアの身柄を王宮内に移そうと決まったらしい。
『え、もう決定してるのですか?』
『はい。王と神殿長がお決めになったことです。何か異論でも?』
『トンデモございません』
なんの地位も権力もない、それも落ちこぼれの神子が王族と上司の決定に逆らえるわけがない。
そうしてリデアは今日から王宮で、それも第四王子であるシルヴィオの隣の部屋で暮らすことになった。
しかもいつの間にか聖女という称号までが自分についていて、環境の変化に戸惑うばかりだ。
「シルヴィオ殿下! 聖女リデア様をお連れしました!」
よく響く騎士の声と共に、シルヴィオの部屋の扉が開かれる。
「失礼いたします……」
恐る恐る足を踏み入れると、まず目に入ったのはリデアが八人は寝転がれそうなサイズの大きなベッドだ。
その上で天使が上半身を起こし、こちらに向かって微笑んでいる。
「初めまして聖女リデア。貴女のおかげで、こうして起き上がれるまで回復しました。ありがとうございます」
「――っ!?」
シルヴィオ・ユーグシアッド。御年十八歳。
先日まで臥せっていたため、髪には艶が足りず、目の下にもうっすら隈ができて頬もほっそりしているが、それでも彼は美しかった。
サラサラのプラチナブロンドに神秘的な紫色の瞳。鼻筋はスッと通っていて、薄い唇は上品だ。
その天使のように美しい彼が、落ちこぼれ神子の自分にお礼を言っている。