序章 赤薔薇の夫人
霧に包まれている欠けた月が、館の一室を淡く、白く照らしていた。
世辞でも豪奢とはいいがたい質素な室内を、微かな月明かりが暴いていく。赤薔薇と呼ばれる伯爵の館にふさわしい真紅のカーテンが窓から入る風に、軽く揺れた。
赤薔薇領の風は雪交じりで冷たい。だが、眠る娘が寝台から起き上がったのは、それが理由ではなかった。
(来る)
馴染みのある微かな足音に目を覚まし、部屋のあるじたる娘はそっと、形のよい裸足を真っ赤な絨毯に下ろした。
月光が、立ち上がった娘の姿を暴き出す。
光沢のある、背中まで伸びた長い黒髪。細い鼻梁の上には、海にも似た青い双眸がある。明るさと凜々しさが混じった神秘的なおもては、なんのためか、硬く強張っていた。
娘が寝間着の上からガウンを羽織ったとき、無作法にも合図などなく扉が開く。
「……オルフェル」
扉を閉じた男――オルフェルと呼ばれた男は、無機質とも冷酷とも見える、それでも確かに端整な顔立ちをそのままに、赤い瞳で寝台に座る娘を見下ろした。
「また子ができなかったな、ローレッタ」
冷ややかな声音に、娘、ローレッタの顔が悲しそうに歪んだ。
「ごめんなさい、オルフェル」
「青薊【あおあざみ】の娘として嫁いだ義務を、まだお前は果たせぬか」
嘲笑にも似た酷薄な声が、室内に静かに響く。
肩を震わせるローレッタをよそに、銀に近い白髪を月光に輝かせたオルフェルが、そっと動いた。
己のガウン、その隠しから、薔薇の刻印が彫られたナイフを取り出す。
「もう一つの義務は果たしているというのに、我が赤薔薇の子を孕むことだけは成せぬとはな。これでは血を与えるにも値しない」
「そ、それは……困るわ、オルフェル……」
「そういうだろう、お前は。血の加護がなければ戦うことすらままならぬ」
「戦いは青薊【あおあざみ】の仕事よ。私のもう一つの責務だわ。だから、血を……」
懇願にも似たローレッタの言葉に、オルフェルの眉根が僅かに寄った。だがそれも一瞬のことだ。すぐに無表情となり、ナイフをサイドテーブルに置く。
「血の前にお前へ注ぐのは、子種だ」
「あ……」
ローレッタを寝台に押し倒し、その上にのしかかるように被さる。
ガウンを剥ぎ取り、オルフェルはローレッタがまとうシュミーズ越しにその乳房を強く、潰す勢いで握った。
「っ……」
「覚えておけ。お前の全てはわたしのものだということを」
唇を噛みしめるローレッタの耳元で、オルフェルは小さくささやく。
夜着の上から胸の突起を摘ままれて、痛みを伴う快感にローレッタの体が大きく跳ねた。
「ん、あっ」
開いた口から漏れるのは甘い悲鳴。夜着を乱暴に脱がされ、剥き出しとなったローレッタの裸体は白い。だが、そこら中に擦り傷、獣の爪痕などがあり、それを見てかオルフェルは口元だけをつり上げた。
「薊の娘は戦うこと、傷つけることしか知らぬ、とはお前の兄の言葉だったな」
いささか乱暴に胸を揉み、引き締まった足の間に体を滑りこませながら呟く。
「白百合の神子【みこ】と民を守るためだけに、身を挺して戦うとは結構なことだ」
「それ、が……私……薊の娘の生き方だもの……」
「よかろう。だが、その前にもう一つの義務も果たしてもらうぞ。我が妻としての義務を」
「義務……」
「早く子を孕め。わたしの子を」
乳房を襲う苦痛に耐えながら、ローレッタは夫が裸になるのを潤んだ視界で見ていた。
オルフェルの体躯は一見細身だが、程良い筋肉があることを知っている。一年前、妻となったときにはじめて見た夫の裸身は、今でも変わらずに保たれていた。
「ん、っ」
首筋を噛まれる。口づけもなく、大きめの胸に爪を食い込まされ、ただ捏【こ】ねられた。
外気のせいか桃色の乳頭はツンと立ち、存在を主張している。それすらも押し潰すようになぶられれば、痛覚に混じって悦楽が否応なしに体を襲う。
「ふあ……!」
不意に乳首を摘ままれ、指の腹でしごかれた。つい、悲鳴を漏らしてしまう。
片足を無遠慮に開かれた上、肩に載せられた。秘部が丸見えの状態だ。何度体を交えても大切な箇所を見つめられることは恥ずかしく、未だ慣れない。
夫の手のひらが自分の体を這い回り、蜜路を塞ぐ肉輪へ伸びた。愛撫はそこを数度、手や指先で撫でられて終わる。
むず痒さにも似た淫悦は感じるが、法悦に達するという経験はなかった。あるのは辛さと苦しみ、そして目が覚めるような痛みだけ。
「くあ、っ」
愛蜜も少ししか漏れていない淫筒に、乱暴に指が二本、入ってくる。蜜路を守るために自然と淫液が溢れ、くちゅりと淫靡な音がした。
細く、長い指が自分の中でうごめけば、言葉にできない感覚をもたらしてくる。
その指で頬を撫でられたら、どんなに幸せだろう――
潤む視界の中、唇と唇を重ねられたら、天にも昇る気持ちになるかもしれない――
叶うはずのない願いに、一粒涙がこぼれる。
「オル……フェル」
呼気を整え、腕で泣き顔を隠しつつ夫の名を呼んだ。途端、抽送していた指が止まる。
「力を抜け」
「わ、かった……」
冷徹な声音と共に指が蜜壺から抜かれ、代わりにあてがわれたのは灼熱の塊だ。
腰を突き出された瞬間、淫路をこじ開けて淫竿が奥へ入ってくる。
「う、く……」
胎からこみ上げる痛みと苦しさ、両方に震える声が漏れた。
ぎしりと寝台が軋みを上げる。
細腰を乱暴に掴まれた。入り抜きが激しくなり、オルフェルの息が荒くなっていくのをローレッタは確かに感じる。彼が達しようとしていることは、いやでもわかった。
乱暴に、犯されるように抱かれるのは、戦場で傷つくよりも辛いことだ。
「出す、ぞ」
「んんっ……!」
それでも苦悶の呻きを堪え、オルフェルから注がれる熱い飛沫を胎内に受けた。
重なっていた体があっさりと離れる。愛の言葉も、労いの言葉もそこにはない。
少しの間を置き、呼気を正したオルフェルが、テーブルに置かれたナイフを手にする。そしていつものように、自らの親指の腹を薄く切った。鮮血が滴る。
「わたしの魔力をくれてやる。飲め」
命じられ、横たわっていたローレッタが静かに身を起こす。差し出された指から伝う血を口に含み、唾と共に嚥下すると、青い瞳に恍惚とした光が混じった。
「これで戦えるわ、オルフェル……ありがとう」
「礼はいらぬ。わたしも義務を果たしているだけのことだ」
にべもない物言いで返すオルフェルは、絨毯に落ちたガウンを拾って着こんだ。
「赤薔薇の妻として、青薊【あおあざみ】の娘として、白百合の神子を守れ」
「……ええ」
オルフェルとの会話はそれが最後だった。部屋を後にするオルフェルと、夜明けを共にしたことはない。一年間、ずっと。
たった一つの思い――愛を告げることもできない寂しさ。
降りはじめた雪と寂寥感に、体を震わせるローレッタの姿を見るのは、誰もいない。