◆おじさんの説教は長くて陰湿だ
「マッチは要りませんか?」
その日も、マッチを売っていた。
物乞いと間違えられて小銭を受け取っただけで、今日は全く売れていない。
(そりゃ、そうよね――)
マッチなんて、売れるはずがないのだ。年の瀬にマッチを切らしている家もあまりない。
「マッチは要りませんか? 黄燐が使われていない安全なマッチですよ。擦り損じがありません!」
声を張り上げても、誰も足を止めない。
それでもマッチ売りとして在庫を抱えているうちは、私は間違いなくマッチ売りだ。
他のマッチ売りの娘たちは、早々に諦めて、せっせと春を売って稼いでいる。哀れそうに売れば春の値段がつりあがると、私に指南する娘までいる。
私はしもやけで赤黒くなった頬のせいで、子供でも買うような変態の目にも留まらない。それに、売れたとしても春を売るのはまだ怖い。
仕方ないから、あの手この手で売り文句を考えては、必死にマッチを売り込んでいた。それなのに、ポケットの中には、さっき老紳士に施された小銭しか入っていない。
早くこのマッチを手放してしまいたいのに、老紳士はマッチを受け取らなかった。私が哀れに見えたからお金をくれただけで、マッチは要らないそうだ。
今夜はもう、夜露をしのぐ場所もない。
他の少女たちと身を寄せ合って寒さをしのいでいた廃屋も、今朝がた家主と名乗る者がやってきて、追い払われたところだ。
今日が終われば、新しい年が明ける。雪が降らないだけまだましだが、夕方になって酷く冷える。
乾いた冷風が体を痛めつけるけれど、ぐっと空腹の腹に力を入れて耐える以外に術がない。
(――ああ、唇さえ凍りそう)
年末の休暇が始まって、外を出歩く人はまばらだ。
私を視界に入れないようにして、人々は外套の前を押さえて足早に通り過ぎていく。
日が暮れる頃、身なりの良い髭面の紳士が目の前を通りかかった。これで最後にしようと、明るい声を作ってマッチを売り込む。
「旦那様、マッチはご入用で? 高級な暖炉にライターで火を入れるのは味気ないと思われませんか? マッチ箱の絵柄なら、旦那様のお屋敷の暖炉にぴったりです。しかも、このマッチ、湿気もしませんし、擦り損じがございません。黄燐は使っておりませんから、安全ですよ」
行く手に立ちふさがり、満面の笑みで売り込むが、男は髭を絞るように撫でて不機嫌そうに鼻を鳴らす。表情を隠している長いブロンドの前髪の奥で、青い目がこちらを睨んでいた。
「間に合っている。こんな所で物を売るな。人攫いにあうぞ。年の瀬だ、子供は家に帰れ」
「おじさんがマッチを買ってくれたなら、すぐにでも」
「駅前へ行け。あそこなら人通りも多い」
「でも……」
駅前は別のマッチ売りの縄張りなのだ。私が顔を出せば制裁を受ける。まぁ、そんなことをこのおじさんに説明しても無駄なのだが。
「日が暮れるとこの辺りも物騒だ、早く移動しろ」
おじさんはコートのポケットから丸めた紙幣を取り出すと、私に押し付けて足早に去って行った。
私はくしゃくしゃの紙幣を丁寧にひろげて、それを眺める。おじさんが私に手渡した紙幣は、私の一月分の稼ぎよりも、うんと多かった。
年を越せたからなんだ。私がどんなに頑張っても、金持ちのポケットのゴミにも敵わない。細い細い生きる気力が、プツリと切れた。
(――死のう)
限界だ。今日でマッチ売りは廃業する。
年を越したところで、マッチ売りが売春婦に変わるだけだ。マッチも嫌だが、春を売るのはもっと嫌だ。この金で酒を買って、橋から身を投げてしまおう。酔っ払っていれば、きっとたいして怖くない。
それはとてもいい思い付きだと思った。
早速、お使いの振りをして酒屋に入り、一番高い酒を買ってくる。飲んだことはないけれど、すごく高い酒だったから、ふらふらに酔えるだろう。
その前に、この忌々しいマッチを燃やし尽くしてしまわなくては。
マッチなんか持っているから、私はいつまでもマッチ売りなのだ。
私は暗くなってきた道端で、自分の人生を呪いながらマッチを一本擦った。
火薬の煙い香りとともに明るい炎がともり、束の間の熱を感じる。
「ちくしょう、マッチなんか! マッチなんか、マッチなんか……」
本当にクソみたいな人生だった。
――拾われっ子だった私は、養母に折檻されて家を出た。
次のマッチを擦る。
――教会に逃げ込んだら、修道女に虐められて、また逃げた。
更にマッチを擦る。
――靴磨きをしてやっと貯めた金で、騙されてマッチを買わされた。一文無しで手元に残ったのはマッチだけ。これを売らないと金にならない。
マッチを擦り続ける。
(このマッチがある限り、私の糞みたいな人生は終わらないんだ……)
擦ったマッチの火に、箱ごと売れ残りを放り込む。
「燃えろ、燃えろ、燃えちまえ!」
私は高らかに笑いながら、マッチを全て焼べた。
ジュッ、ジュッと小気味よい音を立てながら、箱の中のマッチは次から次へと炎を繋ぐ。
冬の乾燥した風に煽られて、マッチは勢いよく燃えた。
(マッチ売りはお終い。マッチの火が消えたら、私の命も終わり……)
私は、満足して炎を見つめる。
マッチは勢いよく燃えた。凍えていたのに、そこに立っているのも熱いくらい。勢いが強すぎて、高く高く火柱が立つ。
(火が消えたら――)
火の粉が風に飛ばされて、近くの畑の積み藁に火がついた。
(――消えたら?)
あっという間に火柱を上げた積み藁の火は、今度は、風に乗って隣の屋敷の馬小屋に飛んでいった。
乾燥した冬の強風、乾燥した敷き藁のつまった馬小屋――それはもう、よく燃えた。
「あ、あれ、消え……消えない? 馬、逃げて! 誰か、ウマ、馬がぁ!」
私が擦ったマッチの炎は、馬屋を焼いた。
大騒ぎになって、大人がたくさん集まってくる。
その中には、さっき私から生きる気力を根こそぎ奪った、髭のおじさんもいた。
怒号が飛び交う中、煤で真っ黒になりながら、薄氷の張る池から水を運ぶ。樽で水をかけたり、荷物を運び出したりした努力の甲斐もなく、馬屋は全焼した。
例のおじさんはブロンドの髭がチリチリになって、上等な背広も所々焦げている。
使用人らしい人が、おじさんを旦那様と呼んでいたから、馬屋はおじさんのものだったようだ。馬は少し煤けただけで、一頭も怪我をしていない。それだけが救いだった。
野次馬が取り囲む中、呆然とした私の首根っこを掴んで、おじさんが恐ろしい顔で私を見下ろしている。もう逃げる気力もなかった。
「お前、さっきの恩も忘れて……」
消火を手伝った皆が、散り散りに年越しの御祈りをするために帰っていくというのに、おじさんは長い説教を始めた。
あまりに長いので、水を運んで温まっていた体が冷えていく。終いには、これだ。
「――もう火遊びはしませんと誓え」
「はいはい。火遊びはしません。なによ、遊びじゃないったら!」
投げやりに復唱する。
「夜道を子供一人で歩くな」
「そんなの――」
――できるわけがない。だって誰一人、私を守るものはいないんだから。
「誓え」
「言うだけなら言えるわよ! 一人では歩きません。今度は子供を買うような客と一緒に歩けばいいんでしょ」
どんな皮肉を言っても、おじさんは怯まない。この後も基本的な生活習慣を、生意気な口をきくのが面倒になるくらい誓わされた。
理不尽だ。そんな風に生きられるのだったら、とっくにそうしている。
「年の瀬くらいは家にいろ。家族と過ごせ」
「家も家族もないから、無理!」
そう答えると、今度は説教から尋問に変わった。
親はどうしたとか、住まいはあるのかとか……。
「あんなお金、要らなかったのよ。マッチを売り切って、マッチ売りを辞めたかったの」
ベソをかきながら、説教に抗議する。心を入れ替えたところで、私の生活が明るく変わるわけではない。
「一晩過ごす家もないくせに金が必要ないだと? 要らないなら返せ。うちの者に食わせる大切な金だ」
「もう、使っちゃったのよ!」
「何に使ったんだ? 年明けまで暖かい場所で生活するには、十分な額だっただろ」
おじさんの顔が恐ろしくなるのを見て、もう何もかもが嫌になった。馬の敷き藁に埋もれて置いてある、マッチの入っていない籠を指さす。
「……お酒」
さっき買ったばかりの酒が、籠と一緒に転がっている。
おじさんは酒瓶を手に取ると、ひっくり返してラベルを読んだ。
「こんな高いワインなんかどうするんだ? これは、お前が飲んでも価値がわからないような代物だ」
「川に身投げするから、酔っ払った方が怖くないと思って!」
「な――」
ちゃんと死ぬからそれで許してくれと泣いたら、おじさんは眉間の皺を深くして「ぐぅ」と黙り込んだ。
馬小屋を弁償するにも、私には何もなかった。今しがたマッチは擦ってしまったし、死んで詫びるくらいしかない。
「上手に死ぬから見逃して。チビでガリの私じゃ、売春しても商売にならないし」
「馬鹿。お前みたいな孤児は施設行きだ」
おじさんは、きっと施設がどんなところか知らないんだ。皆が意地悪だから、こんなことになってるってのに。
「施設なんか行っても、また馬屋を焼くよ。娼館でも紹介してくれた方が親切ってもんだ。それでお金が返せるとは思わないけどね」
私は煤と泥にまみれた手で洟を拭いて、おじさんを睨む。
「死んでどうなる」
「楽になる!」
そう叫べば、おじさんは不機嫌そうな顔を一瞬真顔に戻して、同意するように頷いた。
「それでは、お前が罪を償うまで、身柄を預かる」
おじさんはそう言って、私の顔についた汚れを、やけに柔らかい手巾で拭った。
何の因果か、私は馬屋を燃やして、おじさんの家に転がり込むことになったのだ。