第一章 躍り出るおっぱい
リーゼル・アルムスターは、アルムスター伯爵家の次女であり、優秀な騎士だ。
彼女は十八歳の若さで王城の第三騎士団の副団長に就任をし、四年。そして更に騎士団長に昇格して、既に一年が経過している。
緩く波打つ金髪を高い位置でまとめ、すっきりとした顔立ち。聡明な碧眼は少しだけ吊り上がり、勝ち気な表情を見せる、すらりとした高身長美女だ。
表向き、口にする言葉も騎士さながらで、ついつい断定的な物言いをしてしまうリーゼル。しかし、貴族のご令嬢たちには「それが似合う」ともっぱらの評判だ。そして、当然ながらご令息たちには不評でもある。
そんな彼女が率いる第三騎士団は、魔獣討伐の命をうけて二か月前に王城を出立、今は辺境に滞在をしていた。魔獣がよく出る辺境伯の領地にいる兵だけでは足りないため、年に一度は必ず騎士団が遠征をすることになっている。そんなわけで、現在第三騎士団の面々は、魔獣が出る森近くの砦での寝泊まりが続いていた。
「はぁ……肩が、凝るわ……」
リーゼルは砦の執務室で深い溜息をついた。彼女はひとりの時は柔らかな物言いをするものの、それを知っている者は、彼女の家族と邸宅の使用人だけだ。
溜息の原因はひとつ。胸が重たい。毎日鍛えて筋力をつけているものの、一向に胸がどうにもならない。というか、この年齢にもなって、何故かまだ大きく育っている気がする。
「気のせいか……王城を出立した時より、大きくなっているような……」
どん、と乳房を執務机の上にのっけると、困ったことに肩が楽だ。誰もいないことをいいことに、彼女は気を抜いて「ふうーーー」と息をゆっくり吐き出した。なんて重量だ、と苦々しく思う。
「ただでさえ身長が高くて嫁の貰い手がないというのに……この胸では……」
そう。この国では、女性の乳房は慎ましやかな方が好まれる。正確に言うと、美しくえぐれた鎖骨がまず重視される。当然、鎖骨が美しく浮き出ているとなると、おおよそ乳房もそこまで豊かではない。実際、彼女は鎖骨があまり浮き出ていないことも悩んでいる。
豊かすぎる乳房は、飽食の象徴として人々に敬遠されがちだ。当然、貴族であれば飽食はおかしいことではない。だが、リーゼルの胸の大きさになると、過度な飽食として後ろ指をさされる可能性がある。それほどの大きさなのだ。
だからこそ、貴婦人たちは胸元を開けたドレスを着用し、胸の半分までを覆うコルセットを身に着ける。そして、細い腰を強調し、美しくくぼんだ鎖骨を見せつける。そういうものなのだ。だからこそ、こうしてリーゼルは深い溜息をついているというわけだ。
「しかも、また育っているのかしら? もう、そんな年でもないのに。帰ったら、鎧を新調することも考えないと」
戦用の鎧を身に着けて、馬に乗って一週間かけてこの辺境までやってきた。出立時に「少し鎧が窮屈では?」と思ったものの、気のせいだと考えないようにしていた。だが、辺境の砦に入って魔獣討伐に日々明け暮れていれば、それが気のせいではないと嫌でもわからされる。
砦には、もともと鎧のスペアが用意されている。内緒でこっそりとそれらを身に着けたが、困ったことに胴当ての長さと胸の大きさがすべて合わなかった。しかたないので、それまでの鎧でなんとか誤魔化している。
彼女が着用している鎧胴体の右側は蝶番(ちょうつがい)で繋がっているが、左側は革のベルトで調整ができるようになっていた。今のところはベルトを最大限に緩めているが、それでもいくらか胸が苦しい。
「それにしても……こんなところにまで、お父様の手紙が届くなんて困ったわ。そもそも、見合いのお相手がわたしのような者を好むわけがないのに」
ぶつぶつと独り言を言って、王城方面から届いた封書をぽい、と机上に置く。第一、見合いなんてもう五回もやっている。連戦連敗だ。
そして、その理由のほとんどは、この大きく育った胸なのだ。それぐらいわかっている。貴族は体裁を重んじる。結婚をしてしまえば、彼らにとってリーゼルの「騎士団長」という位は意味をなさない。残るのは「自分の妻」としての存在だけだ。
そこに、この胸が大きい女を据えようとする者はいないのだろう。リーゼルはもう何も期待をしない。もう、自分はひとりで生きていくしかないだろうと考えていた。結婚願望はあるものの、これが現実なのだからしかたがない。
その時、コンコン、とノックの音が聞こえた。慌てて胸を持ち上げれば、ずっしりと肩に重量が響く。
リーゼルは「う」と小さく呻いてから「どうぞ」と声をかけた。
「失礼いたします、団長」
ひとりの男性が室内に入って来る。副団長のヘルフリートだ。リーゼルは気を引き締めて、騎士団長らしい言葉遣いになる。
「ヘルフリート。どうした」
「はい。明日からの当番表をお持ちしました」
彼はリーゼルの部下、二十一歳のヘルフリート・アンデルス。リーゼルが団長になった時に、副団長に就任をした子爵令息だ。彼の家門は、鍛冶職人、中でも素晴らしい鎧職人を抱え込んでいるため、子爵とはいえ王城での扱いは伯爵家並みだ。しかし、そのことを鼻にかけない謙虚で明るい人柄が、人に慕われるゆえんなのだろう、とリーゼルは思っている。
彼は、赤銅色の髪を無造作に切っており、前髪は琥珀の瞳にかかっている。並ぶと頭ひとつリーゼルより高く、整った顔立ちは笑うとへにゃりと人懐こい笑顔になる。
第一、第二騎士団と違って、第三騎士団は平民騎士も多い。そんなところで女性であるリーゼルが騎士団長をうまくやっていける理由のひとつが、彼の存在だった。爵位そのものがあまり高くないのに、誰も彼に文句ひとつ言わない。まごうことなく実力で副団長になったと誰もが思う優秀さ。その上で人々にわけへだてなく接する彼の存在を、リーゼルは頼もしく思っていた。
「ああ、ありがとう。そこに置いてくれ」
「はい。では、こちらに……王城からのお手紙ですか?」
机上に無造作に置かれた手紙へ目を落とすヘルフリート。それへ、肩を竦めてリーゼルは返事をする。
「いや、わたしの親からの手紙だ。戻ったら見合いをしろと言われてな……とはいえ、どうせまた断られるのだから意味がない」
ちらりとヘルフリートを見れば、彼はじっとリーゼルの目を見ている。どうもやたらとその視線に強さを感じ、戸惑うリーゼル。そんな彼は、かすかに眉間にしわを寄せてリーゼルに尋ねた。
「もし、お見合いがうまくいったら騎士団をお辞めになるのですか?」
「うまくいく可能性なんてないが……とはいえ、わたしは騎士団長に叙任してくださった陛下のお気持ちを裏切りたくないので、あと何年かは勤めたいとは思っているんだ。だから、父上には余計なことをするなと釘をさしているのだけれど……困ったわね……」
最後は小声で、つい、家族に話しているような口調になった。しまった、と思ったけれど、ヘルフリートは何もなかったように「そうですよね」と頷く。そして、何故かじいっとリーゼルの目を見つめている。何かを言いたいのか、と思いながら、リーゼルは咳ばらいをして彼に尋ねた。
「ヘルフリートは? お前も子爵家の次男とはいえ、もう婚約者がいてもおかしくない年齢だろう」
「いえ、実は僕も年齢が年齢なので、急かされてはいまして……困っています」
「そうか。お互い大変だな。だが、ヘルフリートの家柄なら何の問題もないだろう。アンデルス子爵家が所持している鍛冶工は王城のお墨付きだし。そうだな、わたしも帰ったら鎧を発注しようかな……」
「あっ、鎧を新調なさるんですか?」
嬉しそうな声音になるヘルフリート。けれども、リーゼルは直後に(となると、採寸をしなければいけないのよね……)と考え、なんとなく恥ずかしさを覚えた。すべてこの大きな胸がよくない……そこまで一秒でぐるぐると考えて、
「まだわからないが、それもいいかと思って……」
と、曖昧な言葉で濁す。
そもそも、彼の家門に鎧を発注したことはない。何故ならば、採寸をして自分の体のサイズが彼に筒抜けになるのではと思うからだ。どんなに胸が大きいのかを知られるのは、普段から見ている相手でも少し嫌だと思う。だから、いつも王城に出入りをしている汎用的な鎧を作る鍛冶職人に発注をしている。
興味がないわけではない。むしろ興味だらけだ。アンデルス家おかかえの鎧職人が作る鎧は、いつ見てもため息が出るほど素晴らしいし、ヘルフリートが着用しているものはすべてそうだ。
正直なところ、リーゼルはドレスよりも鎧の方が好きだったし、価値もその方がよくわかっている。アンデルス家が作る鎧は本当に素晴らしい。けれども……。
「いいですね! 王城から少し離れておりますが、うちの家門のものをそちらにお送りいたしましょう。ぜひともご用命ください。もう、すぐにでも駆けつけさせますので! 最近素材の質もあがりまして……」
すると、彼はペラペラと、少しばかり早口で話し出した。そう。ヘルフリートは興奮をすると少し早口でまくし立てる癖がある。普段はあまり見ないものだが、なるほど、鍛冶職人や鎧職人の話になると饒舌になるのだな……とリーゼルは少し驚いた。いつもの彼の姿からは考えられなかったからだ。
「ん……そうだな。考えておく」
どうやらヘルフリートには何ひとつ悪気はないらしく、にこにこと微笑んでいる。善意だ。善意百パーセントの笑顔だ。どうして自分の目をじいっと見つめてくるのかはともかくとして……。
リーゼルはいくらか苦々しい表情で「うん。考えておく」ともう一度言って話を終わらせた。それでは失礼します、とヘルフリートが部屋から出ていくと、大きくため息をついて、再び執務机の上に乳房をどんと乗っける。
「ヘルフリートは、女性に人気があるだろうに……」
困っている、とは言っていたが、むしろ何に困っているのかまでは聞かなかった、と思う。少なくとも、子爵という爵位が貴族の中では低いということは特に問題ではない。先ほども口にしたが、王城のお墨付きゆえ、王城近辺ではそれこそアンデルス子爵家は伯爵以上の爵位と同格ともされているからだ。
(それに……)
王城での舞踏会で衛兵たちに加わる当番になった時、彼が貴族令嬢たちに声をかけられているのをリーゼルは見たことがある。綺麗で華奢な令嬢たちに囲まれたヘルフリートは、さらりと彼女たちからの誘いを流していた。しかし、見るからに可愛らしいご令嬢とヘルフリートはとてもお似合いだとリーゼルは感じて、なんとなく胸を痛めた記憶がある。
そうだ。そんなことは口が裂けても言えないが、彼女は少しばかりヘルフリートを「そういう意味で」気に入っていた。しかし、彼は部下だ。その上そもそも自分は……。
「他の令嬢に比べたら背も大きいし、それに、こんな大きな不格好な胸……間違いなく威圧的で、どんな殿方にも嫌がられてしまうわ……きっと、ヘルフリートにだって……」
そう言って、リーゼルは悲し気なため息をひとつついた。それは、自分の胸が大きいことへの憐憫だと彼女自身思ったが、心の奥ではもっと違うこと――ヘルフリートへの想い――で落胆していた。それに気付かないまま、彼女は執務机に乳房を乗せてもう一度ため息をついたのだった。
「はぁっ……」
いつもよりも多く息を吸おうと心がけて、必死に肺に空気を送り込むリーゼル。
今日も魔獣討伐で騎士団たちは森に赴く。一度辺境の地にある砦から離れれば、次に戻るのは八時間後か、あるいは野営。一応今日の予定では砦に戻れるが、野営ではない分休める時間が減る。それを考えて、リーゼルは憂鬱になった。
(大丈夫かしら……ちょっと、強く押さえつけ過ぎたかもしれない……)
鎧の上から、とんとん、と指先で胸元を叩く。何かをしなければ我慢ができない……そんな思いが無意識で彼女を動かしてしまう。森の入口までは馬で行くため、騎士たちはみな自分の馬に馬具をつけて準備をしている。
そこで、ヘルフリートが声をかけて来た。
「どうしました、団長? うかない表情に見えますが、何か?」
「そんなことはない。何も変わりはない」
「うーん、団長、失礼します」
すると、ヘルフリートはずいと近づいて、リーゼルに両手を伸ばしてくる。つい、はっと一歩後退してしまうが、それよりも早く彼の指先がリーゼルの鎧に触れた。
「少し前から気になっていたんですが……鎧の左右、ちょっとバランスが悪いですね? こっち側の蝶番が反っていますし、こっちの革ベルトは結構ギリギリですし……ああ、だから、鎧を新調しようと?」
彼は騎士になる前は家門の鍛冶職人を手伝っていた時期もある、と話していたことがあった。それを思い出すリーゼル。
「大丈夫だ、気にしすぎだろう」
リーゼルはヘルフリートの手を軽く振り払った。彼は、少しばかりしょんぼりとした表情――それはもう、騎士団の副団長とは思えないような――で「ですが……」と言葉を続けようとする。
しかし、ちょうどその時、遠くから「副団長! 物資の確認をお願いします!」と声をかけられ、ヘルフリートは渋々頭を下げてその場を離れた。それを見送ってから、リーゼルは眉間にしわを寄せる。
「うぅ……」
美しい薔薇色の唇から、微かに小さい声が漏れてしまう。だが、騎士団員たちの喧騒の中でそれは誰の耳にも届かない。
(どうにも苦しいな……しかし、これ以上ベルトを緩くはできない……)
再び胸元をとんとんと叩く。鎧の上からではそれは何の刺激にもならず、何ひとつ「彼女の悩み事」を解決するものではない。ただの気休めだ。
(胸が大きすぎて苦しいなんて……体にあっていない鎧を着用するなんて……これは、自己責任の範疇だわ。ヘルフリートのアンデルス子爵家に依頼どころではないわね。帰ったらすぐに王城付近の鎧職人を呼びましょう……)
そう思いながら革ベルトをぎゅっとひっぱって伸ばし、少しでも楽になろうとする。だが、革はまったく伸びない。リーゼルは意識をして、どうにか深呼吸をすることが精いっぱいだった。
魔獣討伐を終えて砦に戻る最中、兜をとったリーゼルの額には嫌な汗が浮かぶ。王城を出立してから今日まで、毎日のように鎧を着用していた。けれど、その間にも自分の大きな胸は育ってしまったことを、今日はやたらと実感している。
(限界だわ……!)
もう間違いない。自分の胸はこの年でも育っている……それを飲み込まざるを得ない状況で、彼女は浅く息をついた。ふっ、ふっ、と短い呼吸になっていることに気付いて、意識をして深く吸い込もうとするけれど、それがどうにもうまくできない。
すると、隣で馬を走らせていたヘルフリートが大きな声をあげる。
「もうすぐ砦に着くぞ!」
先遣隊が先に砦に着いたようで、合図ののろしが夕焼けの空に高くあがっていた。これは、砦までの道が完全に安全だという知らせだ。それに気付けなかったことに愕然とするリーゼル。
(しまった。本来はわたしが言うべきことだったのに……)
ちらりと横を走るヘルフリートを見たが、彼は特にリーゼルを見ずに、まっすぐ前を向いている。気にしていないのか。いや、そんなことはない。気にしているからこそ、彼は声をあげたのだろう。
(何はともあれ助かったわ。だって、どうにも気が散ってしまうんですもの……!)
それが言い訳にならないことはわかっている。それでも今日は許して欲しいとリーゼルは心の中で弁明をした。
騎士団として動くからには、大きな胸をゆさゆさと揺らしている場合ではない……ということで、王城では胸を潰すためにコルセットを毎日着用している。もちろん、それは腹部から胸部にかけてのもので、ドレスを着る時に仕込むことも多い。特注をして、胸の下部ではなく半分を押しつぶすようなものを作ってもらっていた。
しかし、遠征などで家を離れれば自分ひとりでコルセットをつけることが難しい。よって、しかたなく布を胸元に巻き付けて胸を潰し、その上に鎧を着用していたのだが……。
(うう、それが、ほどけてしまうなんて……布が腰まで落ちてきてしまっているわ!)
魔獣討伐をしている最中に、巻いていた布が解けてしまった。そのおかげで、胸は解放されて……いるわけではない。インナーシャツの中でぎちぎちになっている胸が、更に鎧に押しつぶされている。
もう、一刻も早く鎧を脱ぎたい。「ふう、ふう」と、戦闘中でもないのに呼吸があがっていくリーゼル。
「戻ったぞ! 門を開けろ!」
ヘルフリートの声で、砦に残留していた騎士団員によって砦の門が開かれる。馬を中にいれると、リーゼルはすぐさま馬番の少年に自分の馬を託し、砦の中に駆け込んだ。
いつもはそんな雑なことをしない。砦に入った後は、騎士団全員が戻るまで見守って、それから馬を降りる。だが、今はそうしている余裕がない。急いで部屋に戻ろうと砦の中を足早に歩きだすと、背後から声をかけられた。
「団長! お待ちください!」
「……!」
ヘルフリートだ。やはり、雑に去ったことに疑念を抱いたのか、彼は走って追いかけてくる。ああ、いい加減にしてくれ……リーゼルは苛立ちながらも立ち止まる。
「団長、もしかして、体調が悪いのでは……」
リーゼルは「違う」と言って慌てて振り返った。と、それと同時に、聞き慣れない耳障りな音がする。なんと、鎧を留めていた革のベルトが、とんでもない勢いでブチブチとちぎれたのだ。