死に戻り令嬢、5回目のループでも諦めません1

著者:

表紙:

先行配信日:2026/07/24
配信日:2026/08/07
定価:¥770(税込)
伯爵令嬢のアイレーシアは、信じていた婚約者に裏切られ、両親とともに命を落とす人生をすでに4回も繰り返していた。
過去のループでは婚約破棄や結婚延期を試みるも失敗続き。
だから今回こそは、死の原因である『婚約そのもの』を完全に白紙にするしかない!
そう決意した彼女はある大胆な計画を思いつく。

それは別の男性との既成事実を作ること!
彼女は夜のサロンに乗り込み、女遊びが激しいと噂の美しき公爵・セオドアに決死の覚悟で一夜の関係を迫る。
しかし、箱入り娘のアイレーシアは『キスだけで子供ができる』と本気で信じていて!?

運命に抗う令嬢と、彼女の斜め上のピュアさに調子を狂わされていく王弟公爵。
勘違いから始まる、ハラハラ甘々の逆転ラブストーリー開幕!

成分表

♡喘ぎ、二穴、NTR、非童貞、などの特定の成分が本文中に含まれているか確認することが出来ます。

立ち読み
see more

第1話 突然ですが!



 フワリとお酒の匂いと、上品なムスクの香りがし、アイレーシアの涙で濡れた唇に、温かくて柔らかい物が触れた。
(これって……キス!?)
 婚約者候補はおれど、男性との接触は挨拶としてされる指先へのキスくらい。そんな箱入りの伯爵令嬢であるアイレーシアは、キスをされた衝撃に涙も止まり、ただ硬直するしかなかった。
 男性はしばらく唇を押し当てていたが、アイレーシアがピクリとも動かず、拒絶の意思も示さない為、下唇をチュッと喰み、舌を唇の間に差し入れてきた。
 アイレーシアは、キスという行為は知っていても、まさか舌が入ってくるとは思ってもいなかった為、簡単に男の舌を口腔内に受け入れてしまった。男の舌は自在に動き、口腔内を舐め、口蓋を刺激していく。すると、アイレーシアの下腹部、子供が育つ所だと教えられた場所が、ズクンと疼いた。
(あ……子供ができちゃう)
 アイレーシアは、男の呼気に含まれるアルコールにすら酔ったのか、それとも男の巧みな舌の動きに酔わされたのか、男の胸元に置いた手は、男を拒絶するのではなく、縋るように洋服を掴んでしまう。
 男の舌がアイレーシアの舌を探り当て、根元から絡められると、アイレーシアは今まで感じたことのないような快感に支配された。気持ち良くて、もっとこの行為に溺れたくなる。男の唾液がアイレーシアの口腔内で混ざり合い、クチュクチュと卑猥な音が部屋に響く。
 なんでこんなことになったのか、アイレーシアは霞んできた意識の中、自分の行動に間違いがあったのかと自問自答した。
 アイレーシアの唇を奪い、初めての快感にアイレーシアを翻弄している男性は、セオドア・ロイゼンタール公爵。現国王の年の離れた弟で、国王に第一王子が生まれたその年に王位継承権を放棄して、今の公爵位を十八の若さで賜ったのだ。
 現在は二十八歳。
 赤いくせ毛は、情熱的な彼の内面を表しているようだし、太く整った眉に、一重だが切れ長で魅力的な紫がかった黒い目、鼻筋がしっかり通った高い鼻、薄く引き締まった唇は、女性達の視線を惹きつけて離さなかった。
 さらに、スラリと背が高い上に、無駄なく筋肉のついた身体つきは、どんな男性でも羨ましく思うこと間違いなしだ。
 つまり、セオドア・ロイゼンタール公爵は紛れもなくモテ男であり、実際に彼と浮名を流した女性は星の数ほどいるらしい。
 そんなロイゼンタール公爵に、アイレーシアは一目惚れした訳でもなければ、密かにお慕いしていた訳でもない。はっきり言って、アイレーシアにしても彼を見たのは今日が初めてだったからだ。それなのになぜ、ロイゼンタール公爵に一晩の夢をお願いしているかというと、明日のアイレーシア自身の婚約式をぶっ潰したいからである。

 ★★★

「○?? △?□?!!!」
 アイレーシアは、声にならない悲鳴を上げて飛び起きた。
 全身からは汗が吹き出て、涙が止まらない。身体はガクガクと震え、叫びたいのに声にならない。
「……」
 夢を見た。
 いや、あれは夢じゃない。アイレーシアは知っている。全て、本当にあったこと。
(私は、四回殺された)
 なぜかはわからないが、アイレーシアは殺される度に十八歳の誕生日前日に引き戻され、また人生をやり直しているようだ。
 前回までは一つ前の人生のみ記憶しており、殺されないように藻掻いていたが、今回は全ての記憶を持ったまま、また今日という日に戻ってきたようだった。
 アイレーシアは震える身体を抱き締め、ベッドからヨロヨロと起き上がった。
 壁掛けの鏡に、まだ健康で薔薇色の頬をしていた頃のアイレーシアが映る。
 幸せだった頃の懐かしい自分の顔。
 緩いウェーブのかかった腰までのプラチナブロンドは朝日に輝いており、父親譲りのブルーグレーの瞳は涙に濡れていた。顔立ちは母親譲りで、派手ではないが整っており、いつもは落ち着いて控え目な印象を与えるその顔は、恐怖と悲しみ……そして怒りで、自分でもこんな表情ができたのかと驚くほど険しいものだった。
 今日は四月九日、明日はアイレーシア・ストバリアの十八歳の誕生日だ。
 伯爵家長子として生まれたアイレーシアは、兄弟がいなかった為、入婿を迎えて家を相続することが決まっていた。その候補者は八歳の時から数名いたが、最終的には一人に絞られ、アイレーシアの誕生日である明日、婚約式を執り行なうことになっていた。
 明日、伯爵家当主になることを約束されるだろう幸運な若者は、エレク・デレステ。デレステ子爵家の次男だ。肩までのサラサラストレートの金髪に、常に微笑みを絶やさない碧色の瞳、女性のように整った顔立ちは、世の中の貴族令嬢を魅了してやまない。男子にしてはやや低めの身長に華奢な身体つきだが、それも彼の魅力を増していた。
 そんなエレクと婚約し、一年後に結婚する予定のアイレーシアは、誰から見ても幸せな少女であったに違いない。
 アイレーシアだって、一回目の人生の時はこんなに恵まれた婚約はないと思っていた。
 幸せな一年間の婚約期間を過ごし、十九歳になったその日に、夢見心地のまま結婚式を迎えたのだ。
 幸せな結婚生活だと思っていた。子宝には恵まれなかったが、エレクに愛されていると信じていた。結婚してからちょうど二年後の春、両親が馬車の事故で亡くなるまでは。
 両親が亡くなってすぐ、エレクはキャロラインという愛人とその息子を連れてきた。息子はエレクによく似た男の子で……三歳だった。
 ショックで体調を崩したアイレーシアは、それから寝込むことになるのだが、気がついた時には愛人の子は養子に迎えられており、アイレーシアを気づかう使用人達は全て解雇、アイレーシアは地下室に追いやられ、対外的には不治の病にかかり療養中とされた。
 地下の不衛生な環境に、使用人以下の食事はアイレーシアの体調をさらに悪化させた。
 不正出血は止まらず、痩せこけ、自分で立ち上がることもできなくなった頃、エレクと愛人はアイレーシアのもとを訪れ、死に行くアイレーシアに、笑いながら全てを暴露したのだ。
 両親の事故死は愛人の兄が両親の馬車に細工したせいだったこと。エレクが毎晩アイレーシアの健康の為と飲ませていたお茶は遅効性の毒薬だったこと。
 その毒がジワジワとアイレーシアの体内に蓄積し、内臓を全てボロボロにした。アイレーシアの不調は全てその毒薬のせいだったのだ。
 アイレーシアは絶望の中、二十二歳の春に毒薬による多臓器不全で死亡した。
 そして、第二の人生に戻された。
 死に戻ったアイレーシアは、最初は第一の人生の記憶のことを悪夢だと思っていた。
 そして、戸惑いながらも婚約式を行い、エレクに愛される婚約期間を経て結婚した。
 しかし、エレクに毎晩出されるお茶だけは飲まずに捨てた。
 何事もなく結婚生活が一年を過ぎようとした頃、両親が共に体調不良を訴え出した。医者に見せたが内臓の不調だろうと診断され、処方薬を飲んでいたが、それから半年も経たずに寝たきりになってしまった。ガリガリに痩せ細り、自力で起き上がることができなくなった両親の姿が前の人生で死に行く前の自分と重なった。
 毒薬のせいだと気付いた時にはすでに遅かった。
 両親が死んだのは、アイレーシアが結婚してちょうど二年後の春。前回事故死した時と時期は被っていた。
 両親の死のショックと、毒物への恐怖で食事が摂れなくなったアイレーシアは、日に日に痩せ細っていった。寝込みがちになったアイレーシアは地下室に追いやられた。
 誰もやってこない地下室で、聞こえてくるのは庭で楽しそうに遊ぶ子供の声と、エレクを呼ぶ甘えた女の声。子供はエレクを「お父様」と呼んでいた。
 食事を摂らないのならと、地下室に食事は運ばれなくなり、立ち上がることさえ出来なくなったアイレーシアは水分すら摂れなくなり、ある日目をつぶったまま二度とそれを開くことはなかった。
 二十二の春、アイレーシアは栄養失調により衰弱死した。
 そして、第三の人生に戻された。
 第一の人生の記憶はなかったが、第二の人生を記憶していたアイレーシアは、エレクと婚約式をした後、エレクの愛人の存在を探した。ただ、一度目の人生では愛人の顔も名前も知っていたが、二回目の人生では顔を見たこともなければ、名前すら知らなかったから、二回目の人生の記憶しかないアイレーシアには愛人を見つけることが難しかった。愛人がいるということの証拠もない為、知り合いに話す訳にもいかず、社交界の噂話からなんとなく当たりをつけた。
 一年かけて、結婚式の直前にようやく見つけたエレクの愛人は、豪商の娘キャロラインだった。しかも、彼女はすでにエレクの子供を産んでいた。
 まだ婚姻を結んでいなかったアイレーシアは、エレクに婚約破棄を申し入れたが、「キャロラインには媚薬を飲まされ関係を持たされた。その一回で子供ができてしまったが、愛情はない。愛しているのはアイレーシアだけだ」と泣き落とされ、二度と二人に会わないことを約束させて結婚した。
 しかし、結局は第一の人生をなぞるように同じことが起こり、両親は事故死、自分は毒薬による多臓器不全で二十二の春に死亡した。
 そして、第四の人生に戻された。
 第三の人生を覚えていたアイレーシアは、婚約式は延期できずに行ったが、結婚してしまったら殺されると、病気を装い結婚式を延期することにした。
 しかし、アイレーシアは、寝込んでいる振りを逆に利用され、身体の自由を奪う薬を盛られ、言葉さえ奪われてしまう。せめて結婚式を挙げ、アイレーシアの支えになりたいと、エレクはアイレーシアの両親を泣き落としにかかり、騙された両親は人形のようになったアイレーシアとエレクの結婚式を挙げてしまった。
 身体が動かないだけで、全てを見て理解することのできるアイレーシアの前で、愛人とその子供を家へ引き入れ、彼らが本当の家族のように楽しそうに暮らすエレク。寝たきりのアイレーシアの前で、両親殺害の方法を語り、両親は事故に見せかけて殺害され、その翌年、アイレーシアは毒殺された。アイレーシア二十二歳の時だった。
 そして、第五の人生に戻された。
 今回の人生は、今までと違っていた。死に戻る日時はそのままだったが、アイレーシアは全ての人生を覚えていたのだ。四回もエレクに殺された人生全て。
 結婚したら、確実に殺される。それならばと、四回目は婚約破棄を目指したが結婚させられた上にやはり殺された。
 ならば、婚約式自体をぶち壊せば良いのではないか!? 婚約さえしなければ、エレクがアイレーシアを殺す理由はなくなるのだから。
 しかし、婚約式は明日。
 すでに式場も手配され、招待客にも招待状を送っているし、衣装合わせもばっちりしてある。婚約は家と家との契約だから、究極本人達がいなくても、両親達がサインしてしまえば成立してしまう。
 つまり、仮病はきかない。
 両親は優しくてアイレーシアのことを心から大切に思ってくれているが、エレクの外面の良さに騙されているから、エレクに愛人と子供までいると言っても、ただのマリッジブルーによる妄想だと信じてはくれないだろう。
 証拠を見せろと言われても、死に戻った時の記憶です……なんて荒唐無稽な話、いくら両親でも信じてくれる訳がない。
 アイレーシアは鏡の前で深呼吸をすると、鏡の中の自分を睨みつけた。

 婚約式は断固中止に!

 自分だけが死ぬのではなく、毎回大切な両親まで殺されているのだから、これは譲れない。
 アイレーシアは、明日の婚約式を白紙にする為の良案を、たった二十四時間……いや、婚約式は昼からだから、二十七時間で考えて実行に移さなければならなかった。

 ★★★

「リタ、婚約式を白紙……せめて延期……いえ、やっぱり白紙にする為の良案はないかしら?」
 いつものようにアイレーシアを起こしに来た侍女のリタは、愛しのお嬢様の瞼がパンパンに腫れているのを見て大パニックになった。明日は大切な婚約式だというのに、寝不足というよりも号泣した後のように腫れてしまった顔を冷やそうと、リタは慌てて氷水とタオルを取りに走った
 アイレーシアはされるままにベッドに横たわり、タオルを目元に当てたまま、さきほどの言葉をリタに投げかけたのだった。
「お嬢様……、もしかしてエレク様のことで、何か嫌なことでもお耳にしたんでしょうか」
「耳にしたというか……、知っちゃったというか」
 リタは、十年間アイレーシアの侍女をしている。それこそ、アイレーシアの婚約者候補を探し始めた時から、アイレーシアの側で候補者達を観察し、時にはアイレーシアに助言し、その中でアイレーシアがエレクに淡い恋心を抱く様子を一番近くで見てきた。
 昨日寝る前までは、明日の婚約式を楽しみに、幸せそうな優しい笑みを浮かべていたお嬢様が、今はこんなに悲痛な様子になってしまっている。
「何を……」
 昨晩から今朝にかけて、誰の訪問もなかった。もちろん、手紙なども届いていないことを、アイレーシア付きのリタが知らない筈もなかった。
「私、エレクと婚約したくないの。彼には愛人がいるのよ」
「エレク様は大変女性に人気がおありですから、ご婚約するお嬢様に嫉妬した誰かが流した噂話では」
 アイレーシアは、目元のタオルを掴んで外すと、上半身を起こしてベッドの端に座った。
 エレクは、アイレーシアを大切にしている振りをしているから、エレクを知っている人間ならば、「そんなことはあり得ない」とアイレーシアの不安を笑い飛ばすだろうとは思っていた。
 しかし、リタならば、アイレーシアのことを誰よりも知っていて、アイレーシアの世話をするのが生き甲斐だと婚期すら逃したリタならば、アイレーシアの言葉を信じてくれる気がした。
 この時期ならば、愛人のキャロラインのお腹には、エレクの赤ちゃんがすでにいる筈だ。誰の子供かわからなくても、未婚のキャロラインが妊娠していることは、調べればわかることだろう。
「キャロライン・ラングレー。エレクの愛人で、今はお腹に彼の赤ちゃんがいる筈よ」
「そんな!」
 リタはソバカスの散った頬を押さえた。
 あの性欲とは無縁そうなお坊っちゃまにまさか……という信じられない気持ちよりも、リタの大切なお嬢様が、こんな嘘を涙ながらにつく訳がないという気持ちの方が勝り、大事なお嬢様を裏切って、何してくれちゃってんのよ! と、フツフツと怒りが湧いてきた。
「お嬢様! それならば旦那様に言うべきです。旦那様ならば、愛人と子供がすでにいる男に、大切なお嬢様を任せる筈ないですもの」
 リタは、茶色い瞳に怒りを滲ませて、アイレーシアの手をきつく握った。
「でもね、エレクはきっと白を切るわ。もしくは、遊びだったとか、一夜の過ちだったとか、泣き落とされてしまうかもしれない。それに、私は愛人の存在を知っているけれど、証拠がある訳じゃないの。明日までに証拠を集めるなんて無理よ」
 アイレーシアは、自分のことのように憤慨してくれる侍女が側にいてくれることが、心底嬉しかった。
「私の兄が、街で何でも屋のようなことをしています。明日までには間に合いませんが、できるだけ早く、エレク様……いえデレステ子爵家次男の身辺調査をするようにお願いしてきます」
 今までの人生、アイレーシアと親しい使用人達は皆エレクに解雇されてきた。中でも、リタは真っ先に首になっていたと思う。やってもいない罪をきせられ、最悪は奴隷堕ちになっていた人生もあった。毎回、彼女を守ってあげられなかった。
「エレクのことは、お父様もちゃんと調べている筈。それでもキャロラインのことが発覚していないのなら、きっと巧妙に隠しているのよ。だから、キャロラインの方を調べてみてくれないかしら。そっちは調べられると思っていないだろうから、何かしら穴があるかもしれないわ」
「お嬢様、さすがです! わかりました。それでは早速兄に会いに行ってもよろしいでしょうか?」
「もちろんよ。できるだけ早く、お願いね」
 アイレーシアは、立ち上がって宝石を保管しているドレッサーの前まで歩いて行くと、引き出しの中からネックレスとイヤリング、指輪がセットになっているアクセサリーを取り出した。全てに大ぶりのエメラルドがついているこれらは、十六歳の誕生日の時にエレクから貰ったものだ。
 今までは大切に保管し、なくさないようにと、つけることもできなかったアクセサリーを、リタの手に握らせた。
「ごめんね、手元に金貨がないからこんなもので」
 このアクセサリーを、アイレーシアがどれだけ大切にしていたか知っていたリタは、大きな瞳に涙を溜めてブンブンと首を振った。
「いただき過ぎですよ、お嬢様。でも、これを換金すれば、沢山人を雇ったり、証拠集めに必要な機材も購入できますね。それに、そんなカス野郎に貰ったものなど、手元にあるだけでお嬢様の運気が下がりますわ」
「カス……。そうね、あんなカス野郎に貰った物なんか、全部捨ててしまうわ」
 王都で一、二を争う美男子に対して「カス野郎」呼ばわり。アイレーシアは、今日初めて笑みを浮かべた。
「いえ、お嬢様。捨てずに売りましょう。そのお金は取っておいてもいいし、パーッと使ってもいいし、孤児院に寄付してもいいですしね」
「じゃあ、寄付するわ。リタ、ついでにそのお使いも頼める? 午前いっぱいかかってもかまわないから、ね?」
「承知いたしました。なるべく早くに帰りますから。明日の婚約式を白紙に戻せる方法がないか、そちらもちょっと調べてまいります」
「うん、リタ、私も考えておくね」
 アイレーシアは、エレクから貰った宝石類を袋に詰めるとリタに手渡した。

 ★★★

 午前中は、瞼の腫れを誰にも見られないように屋敷の図書室にこもった。年頃のアイレーシアの為にという名目で、歴史書や学問書などの他に、文学書……特に若い女性に人気の小説の類も数多く取り揃えられていた。でも実は、アイレーシアの父親のダニエルが、隠れてこっそりこれらの小説を読んで涙しているのを、アイレーシアは知っていた。
 政略結婚ではあるが仲の良い両親は、アイレーシアにも同じように好きになれる相手と結婚して欲しいと、アイレーシアが八歳の時から、婚約者候補達を連れてきてはお茶会を開いていた。
 その中でも、アイレーシア一番が仲良くなり、淡い恋心を抱いた相手がエレクであり、そんなアイレーシアを見ていた両親は、アイレーシアの婚約者をエレクに決めたのだ。
 アイレーシアは、父親が特に手に取って読んでいるだろう本に手を伸ばした。
 しっかりと折り目がついているし、紙に水が染みたようにヨレているページもある。多分、読んでいて涙したのだろう。決して涎ではない筈だ。
 この小説は読んだことはなかったが、貴族令嬢達の間で人気のある本だということは知っていた。
 内容は、貴族令嬢が平民と恋に落ちる話らしかった。令嬢には親の決めた婚約者がいるが、その婚約者には愛人が多数……これは!!
 最初は、小説を斜め読みしていたアイレーシアだったが、婚約破棄する為に奮闘する主人公の様子を読んで、この中に何かしらヒントがないかと、婚約破棄に関係する場面のみを拾い読みしていった。
 他にも婚約破棄物はないかと探すと、机に山積みになるくらい見つかった。
 パターンは二つ。真実の愛を見つけて、愛のない婚約者に婚約破棄を突きつけるもの。逆に愛のない婚約者に婚約破棄を突きつけられ、真実の愛を見つけるもの。
 つまりは、婚約破棄には「愛する第三者」が必要のようだ。
(あと数時間で「愛する第三者」を見つけられる?)
 第一、貴族は政略結婚が基本だ。恋愛脳の両親でさえ、政略結婚(家を継いでもらわないといけないから、貴族の次男や三男)できる相手の中から、好きになれる人を選びなさいというスタンスだ。
 とすると、小説のように平民を「愛する第三者」に選んでも、さすがに許して貰えない気がする。せめて、エレクの代わりになるくらいの身分ではないと駄目だ。
 キャロラインがエレクの愛人である証拠を、明日の婚約式までに見つけ出せれば、あるいはエレクの有責で婚約式は流れるかもしれない。しかし、第三の人生を思い返してみると、エレクにうまく丸め込まれて婚約から結婚へ持って行かれる気しかしない。
 キャロラインの証言が取れれば一番なんだろうが、死に戻りする前の人生で数回会ったキャロラインは、エレクが伯爵位を継承し、自分が伯爵夫人になることに、猛烈な意欲を持っているように感じられた。下手したら、その為にエレクを誑し込んだと言っても良いくらいに。
 ならばやはり、「愛する貴族の第三者」をでっち上げるしかない。
 いきなり夜会で一晩の恋に落ちる……って、都合良く夜会の招待状なんか来ていないし、相手がアイレーシアに一目惚れしてくれるとも思えない。
 アイレーシアが机に突っ伏した拍子に、積み上げた小説がバサバサと崩れ落ちた。
「ああ……、やっちゃっ……」
 床に落ちた本を拾おうとして、アイレーシアは一冊の小説の表紙に目を留めた。
 真っ赤な髪をした貴公子が、妖艶な美女と寄り添い、見つめ合っている絵だ。これは婚約破棄物というより、主人公の貴公子が貴族夫人や令嬢達と次々に恋愛をしていく話で、中には婚約破棄してまで主人公にのめり込んでしまった女性がいた為、一応持ってきた本だった。
 これは、社交界で数々の浮名を流した実在の人物、現国王の実弟であるセオドア・ロイゼンタール公爵をモデルにした小説らしい。
(セオドア・ロイゼンタール公爵、彼ならば私と一夜の恋に落ちてくれるんじゃないかしら)
「そうよ、彼は来る者拒まずって聞いたことがあるわ。彼に閨を共にしてもらって、お腹に彼の子供がいるかもしれないと言えば、婚約式どころじゃなくなる筈よ!」
 この時のアイレーシアは純真無垢で、閨を共にするという意味を全く理解していなかった。一緒のベッドで眠ってキスすれば、あら不思議、お腹に赤ちゃんがやってくる……と、本気で信じていたのだ。
 死に戻る前の人生で、結婚していたアイレーシアではあるが、そう信じて疑わないだけの理由があった。
 それは、結婚後のエレクに「子供はキスして寝ればできるんだよ」と言われたからで、そしてエレクとはそれを信じてキスしかしたことはなかったのだ。



第2話 既成事実を作ってしまいましょう



「私、決めたわ!」
 帰ってきたリタに、アイレーシアは両手を胸の前でグッと握り、決意表明をした。
「何か良案が出ましたか?」
「うん。エレクの不貞の証明を明日までにするのは無理だから、私に好きな人ができたことにするの」
「昨日までカス野郎に心を寄せていたお嬢様を見ていた旦那様が、いきなり好きな人が他にできたと言ったところで、信じてくださいますでしょうか?」
「だからね、一瞬で恋に落ちてしまうくらい相手が素敵な人だったら、きっと信じてくれるんじゃないかと思って」
 アイレーシアは、さっき見つけた本をリタの目の前に差し出した。
「ほら、この小説のモデルになったロイゼンタール公爵なんか、うってつけだと思わない? ロイゼンタール公爵は、王族公爵位で一代公爵とされているでしょ? 彼に子供ができたら、その子供は王族が持つ他の爵位が与えられるんですって。つまりはその子がうちの爵位を継いだってかまわない筈よ。そんなところも、まさに私の相手としてはピッタリでしょ」
「お貴族様の事情はわかりませんが、そういうものなんでしょうか?」
「そうみたいよ。小説には、そう書いてあったもの。まぁ、婚約式で子供の話まで出ることはないでしょうけれど、うちの爵位はどうするんだって話になった時の為の情報としてね」
 確かにロイゼンタール公爵が小説のモデルかもしれないが、その小説が全て真実かと言えばそうじゃない気がするけど……と思いながら、リタはアイレーシアの言うことに頷いて見せた。
「私はロイゼンタール公爵に恋してしまったからエレクとは婚約できないって、婚約の宣誓をする時に言うつもりなの。婚約式に呼ばれた方々だって、相手がロイゼンタール公爵ならば、仕方がないって思うでしょ」
「それはそうですが……、お嬢様はロイゼンタール公爵と面識がおありで?」
「全くないわ」
 リタは頭を抱えたくなった。
 婚約式には、沢山の貴族が呼ばれている。その貴族達の前で、好きな人がいるから婚約しませんなんて、わざわざ宣言する人間は、王都中探してもアイレーシアだけだろうし、ゴシップ好きな貴族達には、かっこうのネタになるだろう。それは一日で王都中に広まり、ロイゼンタール公爵の耳に入ることは間違いない。
「お嬢様、それは本当に良案なんでしょうか?」
「別にね、ロイゼンタール公爵と本当に結婚したい訳じゃないのよ。私の片恋という話にしてもいいわ。ただ、明日の婚約式をなくせればいいの。そうすれば時間が稼げて、エレクの不貞の証拠を突きつけられるじゃない? エレクとの婚約・結婚を完璧に無しにしたいのよ」
「けれど、面識もないのにそんなこと言ってしまったら、とんでもないことに……」
 アイレーシアは、そうなのよねと頷く。仮にも王弟だ。勝手に名前を借りる訳にもいかないだろう。
「面識は欲しいわよね。ついでに既成事実も」
「は!?」
 おとなしそうな顔でとんでもないことを言い出したアイレーシアに、リタは侍女という立場も忘れて素で返してしまう。
「いえ、失礼いたしました。お嬢様の言う既成事実とは、どの程度の接触をお考えなんでしょうか?」
 リタは咳払いをし、自身を落ち着けてから言葉を選んで問いかけた。それについて、アイレーシアはポッと頬を赤らめて答えた。
「それはやはり……キスかしら。そのくらいしないと、やはり真実味は出ないわよね」
 二十六歳、婚期を逃して未婚であるとはいえ、リタはアイレーシアと違い、正しい性知識だけは持っていた。そして、一応閨教育も受けた(実際には、旦那様に全て任せておけばいいとしか言われていなかった閨教育であったが)アイレーシアが、ベッドに横になりキスしただけで子供ができると信じているとは、全くもって思っていなかったのだ。
「そうですか。まぁ、それくらいならば……。でも、今日の今日で、どうやって面識をお持ちになるおつもりですか?」
 子供を作る行為を「それくらいならば」と言い切るリタは、やっぱり大人なのねと感心しながら、アイレーシアはさっきの本を開いて見せた。
「ほら、公爵様は大人のサロンで女性とよく知り合っているらしいの。だから、私も今晩そこに行ってみようと思うのよ。一人で行くのは怖いから、リタ、ついてきてくれる?」
「もちろんです、お嬢様!」
 サロンと言えば社交場。大人の……と言えば、大人の男性が世論や政治について話し合うお堅い社交の場だと思い込んだリタは、考えることなくアイレーシアの言葉に頷いた。実際のサロンは、男女が知り合い一晩の関係を結んだり、酒、煙草、賭け事を楽しむ場所だということを、純粋培養で育った箱入り娘であるアイレーシアは知らなかったし、リタもまた貴族の遊びについての知識などなかったのだ。

 ★★★

 屋敷の人間が寝静まった深夜、リタの手助けをうけ、使用人達の使う裏門から家を抜け出したアイレーシア達は、辻馬車を使って御者おすすめのサロンに来ていた。
「……これは」
 リタにピッタリとくっついたアイレーシアは、初めて入ったサロンで周りの雰囲気に圧倒されてしまった。
 夜会の時以上に肌の露出の多い女性達に、エスコートというには女性達との距離が近すぎる男性達。話し声は大きく、煙草の匂いとアルコールの匂いで頭がクラクラしてしまう。
「お嬢様……本当にこちらのサロンに目的の方がいらっしゃるんでしょうか?」
「ここではないかもしれないわね。でも、サロンがこんなに沢山あるなんて知らなかったのよ」
 リタはアイレーシアの腕を取り、変な男性がアイレーシアに声をかけないようにと、周りを威嚇しながら店の奥に進んでみた。
「お嬢さん方、ここから先は賭場だ。賭け金は持っているのか」
 奥の扉の前に立っていた大男が声をかけてきて、リタは「ヒッ!」と固まってしまう。
「賭け事をしにきたのではないの」
 固まってしまったリタの代わりに、アイレーシアが大男を見上げながら答えた。顔に傷痕のある大男は、賭場の用心棒をしているのか、いかにも腕っぷしが強そうな見た目をしていた。
「じゃあ何しに来た」
「人捜しよ」
「中にいる奴なら呼んでやるが」
 見た目によらず良い人らしく、ぶっきらぼうながら言う内容は親切だった。
「ロイゼンタール公爵はいらっしゃるかしら?」
「ロイゼンタール公爵? 公爵はうちになんかこないだろう。公爵が行くとしたら、高級サロンのパピヨンとかじゃないか」
「パピヨン……、ありがとう。そのお店に行ってみるわ」
「ちょい待て。あそこは紹介状がないと入れねぇぜ」
「紹介状って、どうすれば手に入るかしら?」
「紹介状か……。お前等、金はあるか?」
「少しなら」
「じゃあ、ちょっと待ってろ」
 大男は、賭場に続く扉を開けて中に入ると、一人の男を連れてやってきた。
「ラクト侯爵だ」
 赤ら顔で髪の毛はモジャモジャ、衣服は高価な物なんだろうが、ヨレヨレに着崩れていて、なぜこの男を紹介されたのかわからなかった。
「えーっと?」
「こちらのお嬢さん達が、パピヨンの紹介状をくれとさ。あんた、あそこの会員なら、紹介状出せんだろ」
 侯爵だと紹介しておきながら、大男の口調は随分とぞんざいだった。
「あぁ? あー、ただでか?」
「少額ですが、お渡しできます」
 アイレーシアは、小さなバッグから金貨を取り出した。
「書く、書く、書きます。ラリー、紙とペン……あと朱蝋」
「へーへー」
 大男はラリーという名前だったらしく、懐からカードと封筒を取り出してラクト侯爵に手渡した。ラクト侯爵は壁にカードを押し付けて一筆書くと、封筒にカードを入れて指輪についたラクト侯爵家の印で封を閉じた。
「はい、これ。でも、あそこは貴族しか入れないよ。そっちのお嬢さんは貴族じゃないよな」
 ラクト侯爵は金貨を受け取ると、また賭けができると、ホクホクして賭場に戻っていった。
 アイレーシアはラリーにお礼を言うと、パピヨンの場所を地図に書いてもらいサロンを後にした。
「お嬢様、お一人で入るのは危なくないでしょうか?」
「大丈夫よ、紹介状がないと入れないような、貴族御用達のサロンでしょ。そこになら、ロイゼンタール公爵がいるかもしれないもの。高級サロンなら変な人もいないんじゃないかしら」

see more
先行配信先 (2026/07/24〜)
配信先 (2026/08/07〜)