第一話 変な関係のはじまり
わたしの幼なじみには、すごいヤツがいる。いわゆる、顔良し頭良し金持ちだしっていうやつ。
幼稚園と小学校までは一緒で、ヤツの中学受験を機に別々の道へ進んだ。
んで現在お互い高校生で、ソイツは有名進学校の高そうなグレーの学ラン制服。わたしは底辺学校のうっすいペラペラのセーラー服。ソイツは一度も手を加えられたことがない艶々髪に天使の輪ができそうなキューティクルと、お伽噺の国の王子様ばりの気品漂う綺麗な顔。んでわたしは、何度も色染めまくって傷みまくった赤茶けた髪に、赤いリップとマスカラ命な派手顔。
こんな真逆なのに。あの時別々の道を進んでから、もう交わることはないはずだったろうに……。
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「はぅっ、はぁはぁはぁ」
狭いアパートの一室、唯一の家族であるママが今いないとはいえ、襖一枚で閉めきっただけのわたしの汚部屋で、美しい顔した男、|如月浩太郎《きさらぎこうたろう》のなまめかしく荒い息づかいが響く、とてつもなく。
「ちょっと、声でかいから」
「ご、ごめんっ」
頬を上気させて上目遣いでそう呻くように謝る浩太郎に、若干気をよくして、足先に力を込める。
「っう」
すぐに浩太郎は反応して前屈みになる。それを右足で顎を持ち上げるようにして止めてやる。
「嫌ならやめるよ」
「ごめんっ、し、してくださいっ」
一見、わたしが一方的に苛めているように思えるだろうけど、説明させて。
始まりは一カ月前。わたしの家、見事に古い旧式アパートの前に、見慣れぬ高級そうな自転車が停めてあった。
鉄骨の階段をカンカンと音立てて上がった我が家二〇三号室。そのドア前に、浮きまくりな有名進学校の制服をピッチリと隙なく着こなした如月物産の御曹子、浩太郎が立っていた。
「は?」
二度見したよね。んで一回、自分の目をゴシゴシ擦って瞬きしてから、もっかい言ったよね。
「はっ?」
「葉月ちゃん」
呼ばれてビックリ。声変わりしてるっ……てのが最初で、その後すぐにゾクゾクッとした。懐かしさだとは思うんだけどね。だって、わたしの名前を「ちゃん」付けで呼ぶヤツなんて、今周りにいない。
幼稚園、小学校とずっと可愛い王子様だった浩太郎は、さすがに高校生になって骨格が男らしく、顔つきもシャープになり、ビックリするくらいカッコよくなっていた。
んで驚きすぎたのと、今の自分の姿を見られてる恥ずかしさからか、「久しぶり」って言おうとしたのに「なんで?」と、なんかつっけんどん増し増しな言葉を出してしまった。
「葉月ちゃんしか、頼れる人いなくて……」
なにかしらの告白ではなかったようだ。まあそうだろうけども。ちょっとだけ、焦ってしまったではないか。
今でも浩太郎の中で、わたしは姉御的な存在なんだろうな。優柔不断で慎重な浩太郎を、大雑把で無鉄砲なわたしがリードしてあげたことの大半はメチャクチャな結果だったろうに、記憶のいいとこ取りですんでるようだ。
「悩みあんの?」
「うん……ちょっと、ここでは……」
そう言って、チラッと我が家の木目調シートレベルのペラペラなドアを見ている。
ちょっとめんどくさいと思った。けどまあ、わたしも最近彼氏と別れたばかりでいじけてたから、気分転換にプチ同窓会でもしよっかな、と軽い気持ちで家の鍵を取り出し、なかに入れた。
玄関入ってキッチン通過してリビングの部屋の右側の襖パッカーンと開けたら、もうそこがわたしの城。脱ぎ散らかした服や、雑誌や化粧品なんかの過剰なデコレーションはあるけども。
「どこでも好きに座ってどーぞ」
と、足でザザッとその辺のものをどかして床面積を確保する。
半ば呆気に取られている浩太郎だけど、境界線を飛び越えてきたのはそっちだぞ。あんたの家のクローゼットのほうが綺麗で広いんだろな、とこっちもこっちでヤケクソだ。
「んで、何?」
ボフンとベッドに腰掛けながら聞くと、「お邪魔します」と小さく呟いて、浩太郎は床に正座して顔を上げた。
(……めっちゃイケメン……)
よく心の声が漏れなかったよ。てか反則だろ。なにこの綺麗な顔っ、キューティクルに愛された髪っ。なんで色付きリップのわたしよりぷるんと赤い唇なんっ!? そんでマスカラで二十分かけて仕上げたわたしよりも、なんでそんなにクルンと美しくカールした睫毛なんっ!?
「実は、高校入ってからストレスで……つらくて」
「え?」
浩太郎はコクンと頷く。
「自分でもプレッシャーで、だとはわかってるんだ。だからやるべきことはやって、学業もスポーツも、塾も、すべてちゃんとこなしてきてるんだけど」
「はーぁ、相変わらず大変だね、アンタん家って」
昔から習い事のオンパレードだった。風の便りに、ゆったり育てたい母親と、英才教育を敢行したい父親との狭間、というか間を取っていた幼稚園時期でさえ、なかなかで。しかも勉強だけだと脳は育たないと、スポーツにも力を入れさせられていた彼はほんとに、ストレス社会の代表みたいなもんだと思う。
「実はこのあとも塾なんだけど」
「え? そうなの?」
わたしはこれからご飯食べて風呂入って夜遊びタイムへ、というスケジュールなのに。
「ほんと、大変だね。そりゃストレスなるわ」
「ありがと葉月ちゃん。僕のこと、そう言ってくれるの葉月ちゃんだけだよ」
「うーん。絵に描いたような真面目な跡継ぎ求められてんだもんねー」
「そう、それ!」
浩太郎は前のめりに叫んだ。
「すごい人の目が気になってつらいんだ。したいことも言えない、やりたいこともできない。息苦しくて……」
本当につらそうに、綺麗な眉をしかめて青ざめた表情をしている。
まったく想像もできないほどのストレスを背負ってるんだろな。わたしなんて今最大の悩みっていったら、彼氏と別れてさみしーぃ、ぐらいのもんなんだから。
「かわいそーに」
ポロっと呟くと、なぜか浩太郎はガバッとわたしの座るベッドに両手をついて中腰状態で顔を近づけてきた。
「そ、それだよそれ!」
「え? え? なに!?」
突如ドアップになった正統派イケメンの顔面にビビって仰け反るも、浩太郎のほうはまったく気にもしてないのか、もうひと押しとばかりにググッと寄せてきた。
「葉月ちゃんの、僕をそうやって憐れむ目が、欲しかったんだっ」
意味がわからん。
わたしの目は、明らかに点になって呆けていただろうに、構わず浩太郎は急いたように続ける。
「みんな僕のことを、まるで宇宙人でも見るかのように、人ではないように見てくる、それがつらい。だけど葉月ちゃんは昔から僕のことを、眉間に皺よせて、厄介な奴とか面倒な奴とか思ってること駄々もれの視線で見てくれてた」
……どうやら昔のわたしは、随分失礼な奴という印象で固定されてはいたらしい。前言撤回、いい思い出だけではなかったようだ……。
「それでね……」
浩太郎が急に腰を降ろしてモジモジしはじめた。ようやく本題に入るようだ。
「葉月ちゃんにお願いがあるんだ」
「ほほう? 言ってみな」
わたしは気分よく、足と腕を組んで背筋を伸ばした。
「僕ね……ストレス発散には、禁止されてるようなイケナイことを、するってのが効果的だと思っててね」
「おーなるほど?」
「男女交際も、性行為も、興味あるんだけど、父に結婚するまで禁止だと言われてね」
「え? 厳しっ!!」
「だけど、その、性行為は、すごく、気持ちよくてストレスなんてどーでもよくなるって情報を手に入れてから、もう勉強が手につかなくて」
「はぁ……」
「葉月ちゃん、お願いできるかな?」
「……は?」
しばし見つめ合うこと五分。まったく空気を察しない浩太郎に、こっちが痺れを切らした。
「浩太郎」
「ありがとう」
「いやいやいや、言ってない。わたしはオッケーとは言ってないっ」
「えっ……駄目、なの?」
フルフルと小鹿のように震えて驚いてみせているが、こっちが驚くわっ。
「ダメに決まってんじゃん! 確かに今は彼氏いないけどエッチは誰とでもしていいって訳じゃないよ」
浩太郎は少しむくれている。
「だけど聞いたよ、葉月ちゃん高校生になってからいっぱい男女交際していっぱい性行為してるって」
誰じゃーーっ!! そしてどんなデマじゃ!!
「あのねっ、わたしまだ彼氏三人しかできてないしっ」
「三人も……」
愕然としている浩太郎に、こっちも呆然となる。
そ、そうか、浩太郎にとっては三人は“いっぱい”なのか……。浩太郎が本領発揮したら一桁どころの騒ぎじゃないだろうに……イケメンの持ち腐れだな。
ショボーンと見るからに、いや、見せつけるかのように萎れた浩太郎を眺めていること十分。まったくもって、諦めて退散する気のないほんとにまったく空気の読めない浩太郎に、再び痺れを切らして、うっかり呟いた。
「わかったわかった。じゃあ、交際しないし、エッチもしないけど、イケナイことをしてやろう」
「えっ!? 本当に!?」
浩太郎がムクッと上体を再び起こして、キラキラの瞳搭載で顔を近づけてきた。
再び仰け反るかたちで、でもしっかり主導権を握るべく言い聞かせた。
「わたしの言うことを、ちゃーんと守ってくれるならねっ。あとわたし、ビッチじゃないし浩太郎とはエッチしないからねっ」