じゃない方の伯爵令嬢

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先行配信日:2022/12/23
配信日:2023/01/06
定価:¥770(税込)
伯爵令嬢リュゼット・マダルは、美貌の公爵ローレスからの求婚に苦悩していた。
なぜなら人気の伯爵令嬢ルゼット・ダタルと人違いされているに違いないから。
これまで6回も《じゃない方の伯爵令嬢》として破談されてきたリュゼット。
彼をこれ以上騙したくはない。だけどもう少しだけ、このかけがえのないひとときを。
仮面舞踏会――リュゼットの嘘と仮面は、ルゼットによって剥がされるが……運命の恋は裏切らない。
大人気、勘違い人違いロマンス、大加筆完全版。

成分表

♡喘ぎ、二穴、NTR、非童貞、などの特定の成分が本文中に含まれているか確認することが出来ます。

立ち読み
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 マダル伯爵家の令嬢リュゼットは、目の前で頭を下げ続ける伯爵家の子息に、感情のない顔を向けていた。
 切れ長の紫色の瞳は鋭さを一層増して、先の尖ったアメジストを思わせる。
 数カ月前に社交界デビューしたばかりの十八歳の小娘だが、それとは思えないほどの落ち着きぶりに、向かいの子息が生唾を飲み込んだ。
「わ、私にリュゼット嬢は大変勿体ない方だと今さらながらに気づいた次第で、えぇと、ですから……今回のお話は……」
 さらに低く頭を下げる男のつむじを冷たく眺めながら、リュゼットはぼそりと呟いた。
「どの方もこの方も、申し合わせたように、同じ言い回しばかり。本当につまらないわ」
 直角に頭を下げていた男が「は?」と言ってわずかに頭を上げると、冷たい風が吹いてきて、リュゼットのまっすぐな銀髪をさらりと揺らした。
 リュゼットは手にしていた扇で口元を隠すと、淡々として返した。
「いえ、なんでもありません。もう結構ですよ。今回のお話は、なかったことにいたしましょう」
 リュゼットの言葉に、男の顔が晴れ晴れとしたものになる。
 ──そんなに破談になるのが嬉しいのなら、自分の口から言えばいいのに。
 しかし、暗黙の了解が多い貴族社会では、そうもいかないのだから難しい。
 縁談の申し込みをした側が後々破談にしたいと思っても、それを願い出ることは常識外れだと考えられてご法度とされていた。
 それもそうだろう。
 普通ならば、あなたと結婚したいですと願い出ておきながら、やはり無理でしたと言うことなど、失礼極まりないものなのだ。
 しかし、普通ではないことが稀に起きることもある。
 その普通ではない稀なこと……つまり、求婚者側がどうしてもその話をなかったことにしたい場合に、常套句のように使われるのが「私には勿体ない」という言葉だった。
 そして、リュゼットはこの言葉を、今まで五回も聞かされてきたのだ。
 五回となれば、稀に起きるというレベルの話ではない。
 おかげでリュゼットは、その後に自ら発する破談の申し出も滑らかに伝えられるまでになってしまっていた。
 栄えある六回目の「私には勿体ない」発言をした男は、用が済んだとばかりに、とっとと姿を消している。
 リュゼットはひとつため息をつくと、途方に暮れた。六回目こそはと意気込んでいた父に、またダメでしたと言わなければならないためだ。
 破談になるたびにリュゼット以上に傷つき、涙を流す父に追い打ちはかけたくないが、言わないわけにもいかない。
 今はまだ口約束の段階ではあったが、正式な婚約式に向けて父は張りきって準備をしてくれていたのだ。
 きっとまた「うちの可愛いリュゼットの、どこが悪いんだー!」と、一晩泣き明かすのだろう。
 リュゼット自身も三回目の破談までは、父と同じ気持ちだった。
 さすがに自分のことを可愛いなどとは思ったこともないが、なぜまた「勿体ない」と言われてしまうのか、何か悪いことをしてしまったのかと心を悩ませたものだった。
 しかし、それもすぐに解決された。
 三回目の破談後に多少なりとも心を痛めていたリュゼットは、とある夜会で偶然にも聞いてしまったのだ。
 その三回目の「勿体ない」発言をしてきた元婚約者は、男友達らしき者に「いやぁ、参った参った」と言って苦笑いをしていた。
 男友達が「どうかしたのか? もしかして、婚約の件か?」と尋ねると、元婚約者はこともなげに「まぁな、破談になったよ」と返した。
 もちろん、どちらもリュゼットがカーテン越しに聞いているとは夢にも思っていなかったのだろう。
 声を潜めることもなく、二人の会話が続く。
「え! せっかく婚約できたのに?? お前は不幸者だなぁ」
 男友達の言葉に元婚約者は、大きく首を振った。
「いやいや、違うんだよ」
「何が違うものか。彼女と婚約したい男は星の数ほどいるんだぞ? そもそも、初手で自己紹介に送る手紙にだって、なかなか返事がこないらしいじゃないか。それでも一縷の望みをかけて、相当な数の手紙が毎日届けられていると聞いたぞ。やっと手紙が返ってきても、家を訪ねさせてもらうまでも時間がかかるらしいじゃないか。そんな難関をくぐり抜けたのに、破談になるだなんて……お前は何をやらかしたんだ?」
「いや、だから違うんだって」
「何が違うんだよ。ルゼット嬢に振られたからって、往生際が悪いぞ」
「だーかーら、じゃない方の伯爵令嬢だったんだよ」
 元婚約者の言葉に、男友達が首を傾げる。
「は?」
「だから、ルゼット嬢……じゃない方の伯爵令嬢に申し込んじゃっていたんだ!」
「ルゼット嬢……じゃない方……あ!」
 男友達が、合点がいったように大声を上げた。
「お前、まさかルゼット・ダタル伯爵令嬢じゃなくて、リュゼット・マダル伯爵令嬢に申し込んでいたのか?? それ、俺の知り合いが『危うく間違いかけた』って言って、大笑いしていたやつだぞ!」
「ご明察」
 元婚約者の軽い返事に、リュゼットは奈落の底に突き落とされたような気持ちになっていた。
 そんなことも知らずに、元婚約者の口はペラペラと動き続ける。
「いやぁ、おかしいとは思ったんだ。手紙もすぐに返ってきたし、家にも早い段階で招かれた。もちろん、顔を見ることはできなかったが、すぐに扉越しに手紙を渡してくれたりしてなぁ。噂とは違って随分とトントン拍子だなとは思っていたんだ」
「そりゃ、普通はおかしいと思うだろう。本来なら好敵手だらけなんだ。そこに至るまでに何人が蹴落とされていると思っているんだよ」
「だよなぁ。俺の他に男の姿も見なかったから、おかしいなぁとは思っていたんだが……」
「そりゃ、ルゼット嬢ならひっきりなしに男共が集っているに決まっている。約束の時間じゃなくても、隙を見て会えないかと、屋敷の周りに毎日通う者さえあると言われているんだぞ」
「だよなぁ。てっきり早々に他を断って、俺に絞ってくれたのかなぁなんて思っちゃったんだよ」
「相変わらず、お前は自信家で楽天家でおっちょこちょいだなぁ」
「俺は悪くないだろう? とにかく名前が似てるのが悪いんだよ。しかも、髪色まで同じときた。間違えてくれと言わんばかりだろう?」
「まぁなぁ。ルゼット・ダタルに、リュゼット・マダル……しかもどちらも伯爵家じゃ、最初の手紙が間違って届くこともあるだろうしなぁ」
「加えてうちの御者は、耳が遠いじーさんだ」
「あー。あの、じーさんまだ現役か。ケチってないで、早く若い奴雇えよな。しかし、行き着く屋敷も間違えちゃえば、『顔見せ』までは気づかないもんなぁ。そりゃ、話が進みに進んだ後で驚くわけだ。……で? そのリュゼット嬢ってのはどんな女だったんだ? 相当不細工だったのか?」
「いやいや、まぁ美人は美人だったんだけどなぁ」
「美人ならいいじゃないか」
「それがさぁ、いかにもキツそうな顔って言うか、なんとなくこっちが謝りたくなるような雰囲気があるっていうか……とにかく、何もかもが鋭い感じなんだよ。ルゼット嬢とは完全に正反対。蓋を開けてビックリならぬ、扇を閉じてビックリだ」
「お、うまいこと言うなぁ」
 大してうまくもない言葉で盛り上がる二人をよそに、リュゼットの心は地の底を這いながらも落ち着きを取り戻していた。
 なるほど。つまりは、人違いで求婚されていただけだったのだと深く納得をする。
 姿形をはっきりと見たわけではないが、確かに同じ時のデビュタントの中にルゼット・ダタルという名前の令嬢がいた。
 そして、彼女の登場と共に会場がどよめいて、従者を連れた独身の貴族男性たちが一斉にギラついた目を向けていたのも、同時に思い出された。
 デビューまでは、どの貴族令嬢も屋敷の中で大切に育てられ、茶会などの交流も限られた友人同士のみで行われるため、お互いに顔も名前も知らないことが多い。
 しかも、婚約者のいない令嬢が顔を曝け出せるのは、デビューの夜会一度きりのみ。
 正式な婚約式を終えた令嬢のみが、その後の夜会でも気兼ねなく顔を出すことができるため、令嬢たちが一斉にデビューする夜会は男たちにとって戦場のような場所なのだ。
 婚約者の決まらない令嬢が公衆の面前で顔を出すことはご法度ではないが、扇や仮面で顔を隠さずに不特定の男性と顔を合わせることは恥じらいに欠けると受け取られてしまう。
 このため、結局はどの令嬢もデビューの夜会後は、顔を隠してしまうのが常だった。
 たった一度きりの機会を逃すわけにいかない男たちが、デビュタントにギラついた目を向けるのは当然のことだろうが、あの夜ルゼットに向けられた視線の数と熱は、リュゼットの想像を大きく上回るものだったのだ。

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