愛だの恋だの番だの、懲り懲りです

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先行配信日:2022/12/23
配信日:2023/01/06
定価:¥770(税込)
獣人婚約者の〈番〉衝動のため、破談に追い込まれた侯爵令嬢ヘレイン。
愛だの恋だの番だの、懲り懲りです。私は王宮事務官として働きます。
ところが――上司の宰相補佐室長ロベルトから契約結婚を持ちかけられ、
事情アリの初夜のはずが、竜の〈番〉として甘く激しく溺愛されて……
隣国の第三皇女来訪や、明かされる〈番〉事情により深まる二人の関係。
人気WEB作品、新章大幅加筆で――愛も恋も番も大充実です。

成分表

♡喘ぎ、二穴、NTR、非童貞、などの特定の成分が本文中に含まれているか確認することが出来ます。

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1 王宮事務官ヘレインと獣人たちの〈番〉事情



 とある休み明けの朝。ヘレインは片手を頭に軽く当て、ひとけのない王宮事務棟の廊下を少し俯いて歩いていた。毎週のことだけれど、常用する薬のせいで休み明けは頭が重くボーっとしてしまう。
 その姿は一見憂鬱そうに見えるだろうが、体調が優れないだけで仕事はとてもやりがいがあるし、最近やっと戦力になってきたのが嬉しい。
 王宮事務官として働き始めて三年。侯爵令嬢が働くなんてと陰口を叩かれたり、傷物だから行き場がないのよねと面と向かって嫌味を言われたこともあるが、仕事に不満はないのだ。
 ヘレインは片手でこめかみを押さえたまま、職場である宰相補佐室のドアをコン、と軽くノックして開けた。

 そう。侯爵令嬢ヘレインは、傷物……。婚約者ジャン・ブラーエンに捨てられたことで悪目立ちしている気の毒な令嬢だ。


 ヘレイン・ウィーランドは王都近郊に領地を持つ侯爵家に生まれた。二人兄妹で、五つ年上の兄は頭脳明晰なうえ騎士としても名を馳せた後、名門ウィーランド侯爵家の後継として父の執務の手伝いをしている。
 その妹ヘレインも、幼い頃から家庭教師が脱帽するほどの才女で本の虫だった。しかも容姿は母の美貌を受け継ぎ、艷やかなダークブロンドに大きなエメラルドの瞳、抜けるように白い肌。世の令嬢よりやや大柄ではあるが豊かな胸と引き締まった腰、女性らしい滑らかな曲線を描く魅惑的な女性に成長した。
 ウィーランド侯爵家は、権力の中枢とは一線を引きながらも王家の覚えめでたく、父侯爵も人格者だった。出来のいい子どもたちに恵まれたのに、降るほどやってくる良家からの縁談にも乗らず、政略結婚を強要することもなかったので、ヘレインは好きな勉強を好きなだけさせてもらっていた。
 しかし適齢期を迎え周りが次々と結婚するうち、さすがにお相手がいなくなるのでは、と数多の求婚者の中から婚約者が決まった。辺境伯の嫡男ジャン・ブラーエンだ。
 国境を守る辺境伯、武の一族と言われるブラーエン家。将来辺境伯を継ぐジャンは、鍛え上げられた肉体にライトブラウンの髪を短く刈り込んだ少し厳つい容姿の持ち主だったが、実のところ物静かで優しく聡明な人物だった。
「王都の社交にはあまり慣れていなくて」
 と侯爵家のサロンで恥ずかしそうに微笑む姿に、ヘレインは好感を持った。彼となら穏やかな家庭を築くことができるのではないか、と。
 しかし、物事はそううまくはいかなかった。



 この世には、少なからず獣人の血を引いた者が存在する。正確にはわからないが十人に一、二人ほどの割合になるそうだ。
 獣人たちは見た目はなんら普通の人間と変わらないが、それぞれ獣人特有の性質を社会で活かしながら人間と共存している。例えば虎の獣人は戦闘能力に優れ、兎の獣人は身が軽い。狼は夜目が利く、など。その特質は様々。
 そんな獣人が人間と共存する社会で起こる一番大きな問題は、ずっと昔から〈番〉をめぐるトラブルだ。
 獣人にとって〈番〉とは運命の異性。同族か他種族か、あるいは年齢の老若にもかかわらず、生涯に一人だけ定められた相手のことだ。
 ただこの広い世界のどこかにいるというたった一人の〈番〉に巡り合うのは稀なこと。ほとんどの獣人たちは〈番〉と出会うことなく普通に恋に落ち、結婚して家庭を築く。
 しかし獣人がいったん〈番〉の匂いを嗅ぎつけると、執着し決して逃さない。〈番〉とされて目をつけられたら、他にお相手がいようと好きな人がいようとお構いなし。それが獣人というものだ。
 普通の人間にはよくわからない〈番〉の匂い。獣人男性が〈番〉を嗅ぎ分けるための匂いは、純潔の女性からしか発しない。逆に獣人女性は、相手の男性が既婚者であってもその存在がわかるという。

 身体能力に優れた獣人は軍人になり身を立てる者も多い。だが軍人は遠征などで行動範囲も広く〈番〉と遭遇する確率が高いため、獣人兵士が戦地で〈番〉を嗅ぎ取り失踪したり、あろうことか敵国の女性兵士を〈番〉だと認識したりすることがたびたびあり、問題となっていた。
 そこで近年、とある国の軍内部で開発されたのが、任務中の獣人兵士に飲ませる〈番〉の抑制剤。服用することで〈番〉の匂いを感知しなくなるという画期的な薬だが、この薬は市井にはあまり普及しなかった。高価な薬だったこともあるが、そもそも獣人は本能で〈番〉を求めているのだから、できれば飲みたくなかったのである。
 もちろん軍人だけでなく、一般市民でも貴族たちの間でも〈番〉と出会うことで恋人同士や夫婦が引き裂かれたり、純潔を軽んじる原因となったりした。時に目を背けたくなるほどの悲劇的な結果を生むこともあった。
 よってその後開発されたのが、発する〈番〉の匂いのほうを抑える抑制剤だ。獣人から見初められたくない者が飲むこの薬は売れに売れ、稀に効かない体質もあるが、現在は年頃の貴族女性の間で当たり前のように服用されている。

 というわけでヘレインも、ジャンと婚約して間もなく抑制剤を飲み始めた。どこかの獣人に見初められることなく、何事もなく婚約を進めるためだ。誰もがやっていることだった。だが週に一度飲むその薬はあまり体質に合わないらしく、副作用の軽い頭痛や目眩に悩まされていた。
 そんなある日。夜会に招待されたヘレインはジャンにエスコートを頼み、二人は婚約後初めて揃って公の場に出ることとなった。
 ジャンは辺境伯嫡男とあって鍛え上げられた体躯を仕立てのいい夜会服に包み、薄い色の短髪をぴちりと後ろに流して固めている。精悍な中に知的な雰囲気も纏った姿は凛々しく、ジャンから贈られた上品なブルーグレイのドレスに控えめな化粧をしてもその美貌が際立つヘレインを伴う様子に、列席者は感嘆の息をついた。
 宴もたけなわ。社交慣れしていないジャンは緊張していたのか、少しだけ過ごしたらしい。給仕人から水を受け取りあおりながら、ヘレインを庭園へと誘った。「ごめん。酔ったみたいだ」とジャンは恥ずかしそうに微笑み、その逞しい腕でヘレインの肩をそっと抱いて会場を後にした。
「……さっき休憩室の場所を確認しておいたんだ」
 ゆっくりと歩きながら耳元で囁かれ、ヘレインは瞠目した。背中の素肌にそっと触れた掌の熱さに鼓動が速くなる。ジャンの頬が赤いのは酔いのせいか。こちらに目も合わせずゴホン、と小さく咳払いをしている。
 正直ジャンに恋しているわけではないが、婚約者として好感は持っている。婚姻の日はもう決まっているし、いっそジャンと結ばれてしまえば……煩わしい抑制剤の副作用からも解放されるのでは。
 ヘレインはしばらく逡巡したが、その後ゆっくりとジャンに身を委ねる。頭上で息を呑む気配がした後、がしりと腰に強く手を回された。
 寄り添いながら廊下を歩いていると、前方から来た二人組の令嬢とすれ違った。とある伯爵令嬢とおそらく化粧室に付き添ったらしい年若の侍女。
 次の瞬間。ジャンが雷に打たれたようにぴん! と背筋を伸ばし直立した。
 そして令嬢たちとすれ違いざまにヘレインからパッと手を離し、背後からその侍女の腰に掴みかかった。
「きゃああぁ!!!!」
 耳をつんざくような悲鳴を上げながら、年若の侍女はジャンに腰を掴まれて廊下を引きずられてゆく。二人は角を曲がって休憩室のほうへ向かったようだった。ヘレインはあまりのことにしばし呆然としていたが、侍女の名前を叫びながら追いかけてゆく伯爵令嬢の声に我に返り、少し離れたところにいた警備の騎士たちを見つけ、走って助けを求めた。
 騎士が休憩室へと踏み込むと、哀れな侍女はジャンに組み敷かれ服を破られているところだった。
「彼女は俺の〈番〉なんだ!!」と叫びながら暴れるジャンの爛々と輝く銀の瞳。その乱れたライトブラウンの短髪から生えているのは、艶やかな黄金の毛並みに覆われた大きな獣の耳。
 取り押さえる騎士たちの怒鳴り声。泣き叫ぶ侍女。主人である伯爵令嬢は気を失い倒れてしまった。ヘレインは思った。まさに阿鼻叫喚だと。

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先行配信先 (2022/12/23〜)
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