第1話 ある女の一生と、ある男の一生、そして現在
「こちら、大貫大悟(おおぬきだいご)さん。二十三歳。帝都大学ご出身で、今年から同大学で講師として教鞭をふるっていらっしゃいます。こちらは、渡辺茜(わたなべあかね)さん。高等小学校(現在の中学校レベル)を卒業して家事手伝いをしていらっしゃいます」
お見合いの席、といってもこの時代、女である茜には断る選択肢はなく、ほぼ結婚前の顔合わせのような席であった。
目の前には、神経質そうで気難しい顔をした男性が一人。目があり鼻があり口がある人間である……、茜の中では造作などは関係なかった。どんなに不細工であろうが、親の決めた相手に嫁がなければならず、今まで家のために行ってきた奉公を、これからは旦那様や旦那様の家のためにするだけだった。
それでも、生理的に受け付けない相手だったら困る。結婚するということは、旦那様になる相手と子供を作る行為をしなければならないからだ。
茜は気づかれないくらいさりげなく旦那様になる男の顔を見た。
身長はかなり高いが、青白い顔に痩せた身体はあまり威圧感はない。ムッツリと不機嫌そうな顔はいただけないが、顔の作り自体は悪くない。目つきが鋭いせいで、常に怒っているような表情になってしまうのだろう。楽しい結婚生活は望めないかもしれないけれど、安定した生活は与えてくれそうだった。
ならば茜のすることは決まっている。
快適で過ごしやすい家庭を作ること。旦那様の仕事の邪魔はせず、家のことで煩わせることはしない。後継ぎを作り、その養育に専念する。
男尊女卑がいまだに残る田舎で育った茜は、結婚に夢も希望も持っていなかった。職業婦人に憧れたこともあったが、女に学問はいらないと高等女学校に上がることも許されず、実家では家事手伝いという名で無給の小間使いのごとくこき使われていた。
結婚は永久就職ともいうから、これも一種の就職だと割り切ろうと、茜はお古の着物の襟を整えながら考えていた。
同じくその時、大悟は見た目の表情からは予想できないくらい浮かれていた。
勉強勉強で過ごした学生時代、今だって周りは男子学生や男の同僚ばかりで、かろうじている女性の事務員といえば若くて四十代後半。大悟の母親と大差ない熟女(本人達談)ばかりだった。
そんな若い女性に免疫のない大悟の目の前にいるのは、まさに妙齢の女性。小柄で柔らかそうな身体つきに、首筋に落ちたおくれ毛が妙に艶めかしく見えた。ふせられた睫毛は長く、鼻は低めだが女性らしく小さくて、ふっくらとした唇はつい引き寄せられそうになる。
つまりは、大悟は茜に一目惚れをしたのだ。
この女性とこれから一生寄り添って生きていくのかと思うと、拳を突き上げて喝采を叫びたい気分だった。
まったくもって正反対の表情にしか見えないが。
そんな温度差のある男女が夫婦になり、淡々と日々を積み重ねて家族を増やしていった。
特に山もない谷もない平凡な生活。五人の子供達が巣立ち、夫婦二人の生活になってからは、殊更に代わり映えのしない毎日が続き、会話がなくても成立する生活が何年も何十年も続いた。
ある夜、風呂からなかなか出てこない大悟を不審に思い風呂場を覗きに行くと、脱衣所で倒れた大悟がいた。享年八十六、心筋梗塞による病死だった。
倒れた際に大悟の頭に浮かんだのは茜のことだった。六十三年の結婚生活の中、茜と手を繋いで歩いたこともなければ、二人で旅行なども行ったことはなかった。いつも自分の身の回りを整えてくれているのに、感謝の言葉を伝えたことも、自分がどれだけ茜のことを大事に思っているか、愛しているかを伝えたこともなかった。
もし伝えることができていたら、茜と笑いながら暮らせただろうか? 茜に男として愛される人生もあっただろうか? 何よりも、茜を幸せにすることができたんじゃないだろうか?
大悟は死ぬ間際に痛切に後悔した。
来世というものがあるとしたら、次こそは茜を愛していることを伝えられる”違う自分”になりたい。そして、何があっても茜を守ることができる強い自分になって、来世でも茜と共に……そんな大悟の願いを聞いている存在がいた。
大悟が亡くなってからの十年間、茜は穏やかな晩生を送った。孫家族と同居し、なるべく迷惑をかけることなく、共働きの孫夫婦の代わりに家事を行い、でしゃばらず控えめにを心がけた。自分を捨て家族に尽くす生活は、結婚前、結婚後、独りになってからも変わらない茜のライフスタイルだった。
そんな茜は九十三歳のある日、寝たままの状態で苦しむことなく人生を終えた。大病することもなかった為に、老衰による心不全だった。
「九十三かぁ、いやぁ、めでたいな。大往生じゃないか」
「痴呆もなかったんだろ?」
「ええ、頭も身体もシャンとしてらして、家のこともしてくれていて……」
「明日から夕飯どうすんのー。ばあちゃんいないと、洗濯とか掃除とか誰やるのー」
「パパもママも仕事なんだから、あんたがやんなさい」
「えぇー? あたしー!? 無理無理、部活忙しいしー」
「ちょっと、あんたのばあちゃんは私。ひいばあちゃんでしょ」
「えー、なんだっていいじゃーん」
茜の通夜の席、親戚一同が集まり賑やかに宴会が行われていた。
それをフワフワ浮かびながら見ていた茜は、人生で初めて激怒した。
『なんだって良くない! 私は……私の人生はいったい……』
もし来世があるのならば、曾孫達のように自由きままに、自分のことだけ考えて生きていきたい。私は私らしく、したいことをするんだ。我慢なんかもう沢山だ!
茜のこの願いもまた、どこかの誰かが聞いていた。
★★★
「ルビー、本当に行ってしまうの? いい人を見つけて結婚した方が良くないかい? うちの息子達なんかどうだい? 都合のいいことに、三人共まだ売れ残ってるよ」
ルビエラ・オルコット、二十歳になったばかりの社会人二年生だ。
キャンベル王国学園に平民ながら推薦入学し、文官学科を次席で卒業。王国大学の推薦や中央での仕官の話を蹴って、地元に近い辺境の騎士団の事務官として就職した。唯一の身内であった祖父の介護の為だが、一ヶ月前にその祖父も他界し、ルビエラは以前から打診されていた中央異動の話を受けたのだ。
祖父がいない今、辺境にはなんの未練もない。友人達もすでに結婚して近隣の町で新しい生活を送っているし、なんなら学生時代の友人達はみな王都にいるくらいだ。
お隣のマニラおばさんが、太った身体を揺らしてルビエラの袖を引っ張った。
「仕事もあるし、私は一生独りでいいかな。それじゃマニラおばさん、おじいちゃんのお墓もあるし、たまには帰ってくるから」
結婚なんか冗談じゃない。
しかも隣のマニラおばさんは、前世の家族達みたいに人をこき使うことを悪いと思わない人種で、その息子と結婚なんかしたら、前世の二の舞いになること間違いなしだ。それに、息子達も横柄で全くこれっぽっちも好きになれない。
前世……、ルビエラには魔術は使えないが、実は人の前世を見ることができる魔力があった。といっても、常に見えている訳ではなく、見ようと思うと前世のワンシーンがまるで演劇を見るように頭の上に浮かぶのだ。ただ、たまに見ようと思わなくても見える場合もある。波長が合う人間のものは常に見えるし、前世のその人にとって衝撃的なシーンは見たくなくても見せつけられた。自己主張の強い人物の前世は、やはり主張が激しかったりする。
この魔力のおかげで、自分の前世はとにかく我慢の連続で、家族に尽くして尽くして尽くし倒して死んだのだということを、毎日鏡を目にするたびに見せつけられていた。前世の自分を反面教師にして、今の人生は自分の為に生きたいと、結婚なんかまっぴらごめんだと思うくらいには、この魔力に依存しているルビエラだった。
それにこの能力は、初めて会った人を見極めるのに役立った。大抵の人は、前世の自分と大差ない性格をしている。たまに人ではない前世の人もいるから、そういう時はアバウトなイメージとして参考にするくらいだが。
ちなみにマニラおばさんは太った野良猫、長男のトニーはこうるさい金貸し、次男のマニーは藪蚊、三男のラニーは脳筋なボディービルダー、というのが彼らの前世だ。なんとなくだが、そのまんまな人達である。
「じゃあ、馬車の時間があるから」
「そんな、ラニーがもうすぐお昼で戻るだろうから挨拶くらい」
三男のラニーは同い年なのもあり、そこそこ交流もあった。ルビエラが困らされる意味での交流であるが。
「本当に時間がないの。お墓の管理にはたまに顔を出すから。それまで家とお墓を頼みます」
ルビエラがマニラおばさんの手に少なくない金貨を握らせると、「お金なんか……」と言いながらも、ちゃっかりポケットにしまいこんで、歩き出したルビエラの背中に向かってわざとらしく泣き喚いた。
「長年面倒を見てやったってのに冷たい娘だよ。ラニーだってあんたに言いたいことがあるだろうに。可哀想なラニー」
はっきり言って、面倒をかけられこそすれ、面倒を見てもらった記憶はない。それでもお隣さんだから、残した祖父の家のことでこれから迷惑をかけることがあるかもしれない。そう思うと、無下にすることもできずに、ルビエラは立ち止まって振り返った。
「ラニーとは昨日話したんです。だからこれ以上はもう。じゃあ、おばさん、お元気で」
昨日、ルビエラを引き止めようとするラニーと一悶着あり、実は絶交を言い渡していた。張り手をして股間を蹴り上げるおまけ付きで。ただの喧嘩ではここまでのことはしないから、まぁ何があったかを語るまでもないだろう。
ルビエラはまだなおギャーギャー言うマニラおばさんに頭をペコリと下げ、馬車乗り場へ向かった。
第2話 まさか旦那様が……
王都まで乗り合い馬車で三日かかる。途中安宿に泊まりながら、ルビエラは小さな旅行バッグ一つ持って王都の中央広場についた。
まずは王宮の中にある騎士団総本部事務局に向かった。
騎士団の寮に入れることになっている筈だから、辺境騎士団から中央騎士団への異動の手続きさえすめば、住まいは確保できる。
辞令では第三騎士団勤務となっており、事務局で確認したところ、第三騎士団の騎士団長付き事務官に配属されたとのことだった。
いくらルビエラが優秀だといっても、まだ騎士団に入団して二年目のひよっこ事務官だ。いきなり騎士団長付き事務官に配属とか、どれだけ人材がいないのだろうか? と、栄転と喜んでいいのか微妙なところだった。ただ、給料は遥かに良いから、もちろん謹んで拝命するけれど。
ルビエラは、事務局にいた事務官に第三騎士団と騎士団長のことを尋ねた。
第三騎士団は王都の治安維持、犯罪取り締まりを行う部署になっており、騎士団長のダニエル・オースティンは伯爵家の出身(次男)らしいが、騎士団員は貴族よりも平民が多いとのことだった。
「オースティン騎士団長はどんな方? やっぱりゴリラみたいに厳ついおじさん?」
イメージは辺境騎士団長だ。ルビエラから見たら愉快なおじさんなのだが、騎士団員からはバーサーカーと恐れられていた。
「いや、まだ三十になったばかりで若いよ。厳つい……とはちょっと違うかな。かなりなイケメン、王都ではちょっとした有名人ではあるね。ああ、あと寮だけどね、騎士団別になっているから、第三騎士団の詰め所に行って聞いてくれるかな。詰め所の場所、わかる?」
「はい。中央広場の右手にあった煉瓦造りの建物ですよね?」
「そうそう。第三騎士団長付きは長続きしないんだけど、君ならまぁ……大丈夫か。じゃ、頑張って」
ジロジロとルビエラを見ながら言う事務官の口調には引っかかりを覚えたが、ルビエラはお礼を言うと事務局を後にして来た道を戻り、詰め所までやってきた。
受け付けで辞令書を見せると、団長執務室へ行ってくれと言われ、ルビエラは二階奥にある執務室へ向かい、扉をノックした。
辺境騎士団での癖で、ルビエラは返事も待たずに扉を開けてしまう。辺境は騎士団長からしてそのあたりの作法にルーズでズボラだったせいもなのだが、まさか仕事場でいかがわしい行為をしているなんてだれが思うだろうか。
「失礼します。本日より第三騎士団に配属されました……」
ルビエラは、目の前の光景に言葉をなくし、マジマジと見てしまった。
騎士団長と思われる黒髪の男が、執務机の上に女性を乗せて、熱烈なキスシーンを繰り広げていたからだ。しかも女性の洋服はかなりはだけており、まさに事に至る直前という状態だった。もう少しでポロリしてしまいそうな胸元、真っ白な太腿に差し込まれた手に、思わず目がいった。
荒くれた辺境騎士団で二年勤めたルビエラにとって、こういった場面に遭遇するのはそう珍しいことでもない。娯楽の少ない辺境では、ある程度の年齢になった男女の、楽しみというとセックスくらいしかない。貞操観念なんて言葉が存在しないくらい、所かまわず相手かまわずというのが普通だった。そんな環境で育ち、荒くれものの多い辺境騎士団にいたルビエラならば、たかがキスシーンといつもならばポーカーフェイスでやり過ごすのだが、今回だけはさすがに無理だった。
熱烈なキスシーンを繰り広げている騎士団長の頭上に浮かんでいる映像、そう、騎士団長の前世の一コマにルビエラの視線は釘付けになる。
見たいと思った訳ではなかったのだけれど、多分波長が合ってしまったんだろう。いや、合って当たり前だったのかもしれない。
そこにはルビエラが見慣れた映像が浮かんでいたのだから。
茜と呼ばれている前世の自分と、大悟さんと呼んでいる前世の自分の旦那様。そんな二人の無言の面白みのない食事風景が浮かんでいた。その日常の風景と、あまりに異なる実際の光景。
ルビエラが一番関わりたくない人物ベストスリーに入る要注意人物、それが前世の旦那様であったのだが……。
「失礼しました!」
ルビエラは事態を把握すると、秒で扉を閉めて階段を駆け下りた。
「オルコットさん!?」
受け付けの騎士団員を無視して詰め所を飛び出すと、とりあえずあの人から離れなければ! と、王都の裏道を駆け抜けた。王国学園に通っていたから土地勘はある。いつもならば絶対に通らない裏道を駆け、王都外れの丘まで一直線に進んだ。
丘についたルビエラは、息も絶え絶えに芝生に倒れ込んだ。
愛用の丸眼鏡は吹っ飛び、きっちりと編み込んだ三つ編みもグチャグチャになり解けてしまっている。仰向けに寝転んだルビエラは、はぁはぁと荒い息を整えながら、豊かな胸を上下させていた。いつもは大きめの服を着てポッチャリを装っているが、ふくよかなのは胸だけで、それ以外はスレンダーな体形をしている。
体形を偽るのも、わざと野暮ったい髪型にしてガラス厚めの眼鏡で顔を隠すのも、学園時代に身につけた自己防衛の賜物だ。平民女子なら手を出してもかまわないと思っている貴族子弟がなんと多いことか。それは辺境ではさらに酷かった。辺境騎士団長と遠い親戚だということと、その偽った見かけから、なんとか女好きの貴族達に目をつけられることなく、無事に生きてこられた。
「まさかこんなところで会うなんて……」
ルビエラが一人で生きて行こうと決めた原因。前世とは違う世界に生まれ変わったようだから、絶対に会うことはないと思っていたのに。
しかも、その原因である前世の旦那様の濡れ場に遭遇するとか、微妙にいたたまれない。なにせ、見たくて見る訳ではないが、前世の自分と旦那様のそういうシーンも、何度となく見たことがあったのだから。前世の旦那様は、淡々とこなしているというか、あまり激しい交わりを行うタイプではなかったイメージだったのだが、今世での彼はかなりアグレッシブなタイプらしい。
今の彼と旦那様は魂は同じでも、育ってきた環境によって人格は変わるのだから、別人格と言っても過言ではない。前世がストイックな性格で、家族もかえりみない仕事人間だとしても、今世でもそうしなきゃいけない訳でもなし、あれはあれで旦那様の新しい生き方なんだろう。
考えようによっては、あの状態で初対面で良かったのかもしれない。旦那様に彼女がいるのならば、必要以上に親しくなる心配もないし、今回の人生ではただの上司と部下としての薄い付き合いで済むだろう。もし普通に再会していたら、せっかくの好条件の仕事にもかかわらず、即行逃げ出していたことだろう。
ダークレッドの髪が芝生に広がり、いつもは長めの前髪と大きな眼鏡で隠れている切れ長の目で青空を見上げながら、ルビエラはなるべくポジティブに思考を切り替えようとしていた。